旅の基礎知識

【ベトナム】一人旅(ひとり旅)の前に知っておきたい基本情報4選

海外を一人旅すると、日本とは違う国の事情が良く分かりますが、それを事前に知っておくと旅がもっと面白く、深いものになります。
今回はアジアでもグルメが特に人気の国、ベトナムの基本情報をご紹介します。社会主義国家、グルメ、歴史、お金。これを読めばベトナムを旅するうえで知っておきたい基礎知識がすべて分かります!

1.社会主義国家ベトナム

ご存知の方も多いと思いますが、ベトナムは社会主義国家です。

2020年現在、世界で社会主義国家となっているのはベトナムのほかに、中国・ラオス・北朝鮮・キューバの計5か国のみです。

では民主主義国家と違って社会主義国家だと何が違ってくるのでしょうか。

街中で多く見られる看板

ベトナム1(出典:http://iwanya.exblog.jp/24653607)

旅でベトナムの街に降り立っても、あまり「社会主義国家だな~」と感じることはありません。

唯一、日本の街中にいる時と違和感を感じることが、上の画像のような看板が、街中や郊外の道路わきなどに数多く建てられていること。
後ほど詳しくお話しますが、ベトナムは19世紀からフランスの植民地としてフランスに支配されていました。上の写真の左下にある「2.9.1945」というのは1945年9月2日、ベトナムが独立宣言を発表した日を表しています。

この日はベトナムだけではなく、日本にとっても歴史の転換点となる日でした。

そうです。太平洋戦争で日本が降伏文書に調印し、正式に敗戦を認めたポツダム宣言の日です。

ベトナム中にあるこの看板は、独立から今に至るまでの年月を記載して、「国民が一丸となって頑張ろう!」と言っているようですね。

ちなみに2016年にベトナムを訪れた際には、1945-2015のちょうど70周年を祝うような看板が建っていました。

ベトナムと国営企業

もう1つ、社会主義国家の特徴として、ベトナムの主要な大企業が国営企業であることも知っておきましょう。

銀行では、一部民営化が進み証券市場に上場している銀行もありますが、アグリバンク(Agri Bank)やベトナム投資開発銀行(VIDB)、ベトコム銀行(Vietcom Bank)、ヴィエティンバンク(Vietin Bank)のいわゆるBIG4が国営銀行になります。

銀行の話をしましたが、海外旅行をしていると悩むのがお金の両替をどこでするか-。ではないでしょうか。

ベトナムのホーチミンには数多くの両替所があり、両替に困ることはありません。また、両替レートについてですが、日本やホーチミンの空港で両替するよりも街中の両替所や銀行での両替のほうがレートが良いため、空港での両替は最低限に抑えておくとよいでしょう。

2.ベトナムのグルメ、食文化

アジアの旅の楽しみの1つは、なんといっても美味しいご飯!

ベトナムにも、1度の旅ではすべて味わえないほど数多くの料理があります。今回はその中でも、特にアジアの中でもベトナムならではの食べ物をいくつかご紹介しましょう。

バイン・ミー

ベトナム3

ホーチミンの朝は、道沿いの露店での食事から始まります。
露店にもいろいろ種類がありますが、オーソドックスな朝食は、パンに豊富な具材と薬草をはさんで食べるバイン・ミーにコーヒー!

どちらもアジアのイメージと少し違いますよね。しかし、これこそが、かつてフランスの植民地であったことの名残りなのです。

使われているパンはもちろんフランスパン。一方、中に入れる具材は肉や野菜、バターのほか、ベトナムならではの薬草やニョクマムと呼ばれる魚醤です。

フランスの影響を受けながらも、ベトナム人の好みにカスタマイズされ、自国の食べ物として取り込んでしまう-。そういったベトナム人のたくましさが見えてきます。

おススメのバイン・ミー(ホーチミン)

ベトナム2

ホーチミンでおススメのバイン・ミーのお店が「Hoa-ma」というお店。

地元の人からの情報によれば、ホーチミンで最初のバイン・ミーのお店とのこと。

創業から50年以上経っているらしく、老舗ですね。

場所は、ホーチミン市グエンディンチヨウ通りとカオタン通りの交差点近くにあり、通りと横道に入る角に店があります。

ボリュームもかなりあるので、1つでお腹もいっぱいになります。辛いのが苦手な方は、唐辛子を抜いてもらうと良いでしょう。

ベトナムコーヒー

ベトナム4

バイン・ミーと並んでベトナム人の朝食に欠かせないのがコーヒーです。コーヒーも、かつて植民地として支配していたフランスがベトナムにもたらしたものですが、今ではベトナム人には欠かせない日常の飲み物になりました。

ベトナムコーヒーの特徴は、その濃さにあります。日本で飲むコーヒーとは全然違い、その深みのあるコクは一度ハマると病みつきになるほど。

ストレートで飲む場合は、上の写真のようにカップの上にお湯と豆の入った器具がセットで出され、コーヒー豆からコーヒーが少しずつ抽出されるのをじっくり待ちます。

この時間だけは、忙しいアジアの街の中にいてもゆっくりと時が流れ、ベトナム人のどこかのんびりとした気質を垣間見ることができると思います。

甘さもいろいろ、アイスコーヒー

ベトナム5

ベトナムでアイスコーヒーを頼むと、通常はカップの下にコンデンスミルクが入り、その上に大量の氷が入ったアイスコーヒーが出てきます。

ベトナムコーヒーはその濃さのため、コーヒー自体の量は少なく、アイスを溶かして底に溜まったコンデンスミルクと混ぜながら飲むのが一般的です。

ですが、それよりもさらにミルクが多く入った甘めのコーヒーもあります。写真の左側のコーヒーがそうです。

ベトナムを訪れた際は、ぜひ色々なコーヒーを試してみて味の違いを楽しんでくださいね!

ちなみに、ホーチミンにあるベトナムコーヒーのチェーン店でおススメは「ハイランド・コーヒー」です。

Mサイズのコーヒーを3~5万ドンで飲むことができるので、リーズナブルですよね。

ベトナムコーヒーとコンデンスミルク

ところで、なぜベトナムコーヒーにはコンデンスミルクが使われるのでしょうか。

これは1つの説ですが、もともと熱帯気候のアジアでは食べ物が腐ってしまうスピードが速く、牛乳も流通させるには難しい飲み物でした。このため、牛乳に砂糖を混ぜて煮込み、保存性を高くしたコンデンスミルクが一般的になったと言われています。

世界有数のコーヒー豆生産国、ベトナム

ちなみに、コーヒーといえば南米の生産国、グアテマラやコロンビアなどが有名ですが、ベトナムはブラジルに次いで、世界第2位の生産国なんです。生産量としては年間約160万トン。

ちなみに、コーヒー豆の生産はアラビカ種とロブスタ種の2つに分けられますが、ベトナムで作られるコーヒーのほとんどはロブスタ種となり、ロブスタ種だけで見るとベトナムが世界で1番の生産量を誇っています。

お米と薬草

ベトナム料理の中でも1番人気といえば、フォーですよね。フォーはお米から作られた麺料理ですが、フォー以外にも、ベトナム料理にはお米がいろいろと形を変えて使われています。

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ライスペーパーで作られたベトナムの春巻き

ベトナムでは野菜やシーフードなどを巻いて食べる生春巻きも人気ですが、この春巻きには揚げたものもあれば、写真のようにお米で作られたライスペーパーを巻いて食べるものもあります。

ホーチミンでも人気のWrap&Roll

生春巻きも含めていろいろな春巻きを楽しめるのが、チェーン店の「Wrap&Roll」。
ホーチミンのグエンチャイ通りにもお店があります。内装も清潔で、ドアマンが親切にドアの開閉もしてくれる、サービスも行き届いたお店です。

ちなみに、筆者が訪れたときは年中でも特にひどいスコールが降った日だったためか、エアコンから水漏れが。。!

ですが、スタッフが迅速に席を変えて用意してくれました。

ライスペーパーを使った料理

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ライスペーパーで薬草や豚肉などを巻いて食べるのが一般的

ライスペーパーの春巻きにもいろいろな種類があります。この写真のように、大量の薬草や野菜と豚肉をライスペーパーで巻いて食べるのもとても美味しいです。

写真をご覧いただくとお分かりのように、ベトナムでは大量の薬草が料理にセットで出てくることが多いです。

生の薬草を一度にたくさん食べることができ、とてもヘルシーですが、お腹が弱い方や慣れていない方は生ものをたくさん食べると調子が悪くなってしまうかもしれませんので、ご注意を。

ストリートフードでもお米は欠かせない!

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味もお値段もGood!なストリートフード

バックパッカーにとってベトナムは、ストリートフードが安いうえに美味しいのも魅力の一つです。

いろいろなストリートフードがありますが、ご飯の上に野菜や肉を豪快に乗せて、チリソースをかけて食べるのもとても美味しいです。

値段も3万ドン程度(約150円ぐらい)でこのボリュームはとても嬉しいですよね。

このように、日本でもお餅やお寿司などのお米料理があるのと同様、お米はベトナム人にとって、切っても切れない大事な食材としていろいろな使われ方をしています。

3.ベトナムの歴史

ホーチミン?サイゴン?

ベトナム:サイゴン駅

ホーチミンに行くと、よく「Saigon」という言葉を聞きます。

たとえば、鉄道の駅名も「ホーチミン」ではなく「Saigon(サイゴン)」という名前が使われていて、旅をする我々にとってはホーチミンとサイゴンて何が違うのか?混乱することがあります。

結論から言いますと、もともとホーチミンはサイゴンと呼ばれた都市でしたが、ベトナムを独立に導き、初代主席となったホーチミン氏の名前をとって、現在はホーチミンが正式な都市名となっています。

ですが、街の人たちと話をしていると、なんとなくホーチミンよりもサイゴンという呼び名の方に愛着を持っている気がします。その理由は推測にすぎませんが、ベトナムの南北間の歴史上の関係がまだベトナムの人々にとっては記憶に新しいことだからなのかもしれません。

ベトナム、特にベトナムの北部と南部にはいったいどのような歴史があったのでしょうか。順を追ってみていきたいと思います。

フランスの植民地時代とホーチミン

1860年~第二次世界大戦:フランスの植民地時代

ベトナムは1860年ごろから第二次世界大戦が終わる1945年まで、約90年もの間フランスの植民地としてフランスの支配下にありました。正確には、まずベトナム南部のサイゴンがフランスによって侵攻され、その後北部、中部ともに侵略されてフランスの支配下にはいります。そして、1883年、1884年に締結されたフエ条約によりベトナムは完全にフランスの植民地となります。

前回の記事でもご紹介したように、今でもベトナム人にとってフランスパンやコーヒーが身近な存在であるのはフランスの影響によるものです。

とはいっても、それを自分たちの文化に取り込んでしまうあたり、ベトナム人のたくましさが垣間見えます。

1910年~1945年:ホーチミン登場

ベトナムの紙幣

さて、そんなフランスの植民地化におかれていたベトナムから、後の初代主席になるホーチミン氏が海外に飛び出します。

彼はフランスを始め、欧州を周り世界情勢を学ぶとともに、ベトナムの独立を各地で訴える活動を起こしました。

そんな中で、ホーチミンはレーニン主義に出会い、共産主義思想に傾倒していきます。そして、1917年に起こったロシア革命の後に旧ソ連にわたり、そこから中国に入り、香港で1930年にベトナム共産党を立ち上げます。

第二次世界大戦も大詰めを迎えた1945年、日本軍は連合国軍に寝返ろうと策案していたフランス軍から、ベトナムを略奪します。そしてあっさりとベトナムは日本の支配下にはいることになります。

ですが、その直後に終戦を迎えて日本が降伏すると、それまでベトナムに潜んでいたホーチミンをリーダーとする独立運動グループが一斉に立ち上がり、瞬く間にベトナムを奪還します。

これにより、1945年9月2日にホーチミンはベトナムの独立宣言を行い、ベトナムは独立を果たしました。

戦後の冷戦と南北分裂

さて、ベトナムが独立できたものの日本が敗戦によりベトナムから撤退すると、それまで身をひそめていたフランス軍が再度ベトナムに侵攻、再びベトナム南部はフランス軍によって支配されてしまいます。

フランス軍によってサイゴンを中心としたベトナム南部は支配されたものの、フランスによる自由主義の浸透やある程度の権限移譲によってサイゴンは国としての実態を持つようになります。

一方で共産主義を掲げる、ハノイを中心とした北ベトナム軍とフランス軍の争いは続きました。この争いはインドシナ戦争と呼ばれていますが、この植民地化勢力と反植民地化(=独立)勢力の争いは、北ベトナムの背後に中国やソ連の支援があったことなどから、徐々に共産主義と自由主義の対立という構図に変化していきました。

この長引く戦争や戦況の混乱もあり、フランス軍と北ベトナム軍は1954年、ジュネーブ協定により休戦に入り、フランス軍はサイゴンから撤退します。

これにより、残されたサイゴンを首都とする南ベトナム共和国と、北のハノイを首都とするベトナム民主共和国の2つの国がベトナムの中で並存することになったのです。

ベトナム戦争

そんな中で、ベトナムの統一を目指す北のベトナム民主共和国は、ベトナム南部に攻め込み、南北の争いに発展します。これは共産主義と自由主義との闘いでもあったわけです。

そして、これがベトナム戦争の始まりでした。

皆さんはベトナム戦争といえば、アメリカによるベトナム侵略というイメージが強いかもしれません。ですが、この戦争も当時の冷戦を象徴づける、共産主義と自由主義との争いだったのです。

当時北ベトナムを支援していた中国やソ連によるベトナムの共産主義化を恐れたアメリカは、南部のサイゴンに軍隊を送り込みます。

ですが、アメリカ軍による戦争とは無関係な市民、村民、女性、子どもの殺戮が世界に知れ渡るようになり、世界中からアメリカに対する反戦デモが巻き起こり、アメリカ軍の撤退を求める声が大きくなりました。

戦争が長引いたこともあり、最終的にはアメリカがベトナムから撤退し、それによる北ベトナム軍の南部占領により、ベトナム戦争は終焉を迎え、ベトナムは統一されたのです。これは1975年のことで、アメリカ軍による介入のあった1965年から実に10年もの月日が経っていました。

4.ベトナムのお金「ドン」

ベトナムのお金「ドン」の桁数が多い理由

さて、ベトナム戦争がようやく終わり、これでめでたしめでたし、となればよかったのですが、ベトナムの混乱はこのベトナム戦争の後もしばらく続くことになります。

その一番の原因は、なんといっても共産主義による社会主義国家への急速な推進政策にありました。

先ほどお話しした通り、サイゴンを中心とする南ベトナムではフランスによる支配もあって、自由な商業取引経済圏が作られていましたが、共産主義の北ベトナムによる統一で、自由な商取引が禁止されるようになります。

これにより、商売が立ち行かなくなった多くのベトナム人が、ベトナムから海外へ大量に流出します。

詳細は割愛しますが、これによるベトナム経済の混乱と停滞や、カンボジア紛争も勃発し、1980年中頃にはインフレ率が700%を超えるハイパーインフレが発生しました。

さすがにこの状況をまずいとみたベトナム政府は、「刷新」という意味のドイモイ政策を掲げ、自由経済市場への取り組みを始めます。

こうして1990年代に入り徐々にベトナム経済は落ち着きを取り戻していくことになります。

ベトナムの通貨単位は「ドン」ですが、現在の為替相場ではだいたい1ドル=22,000ドンぐらいとなっており、ドンは桁数が多いため、ベトナムに旅をすると桁の多さに最初は慣れないかもしれません。

この桁の多さは、ベトナムがかつて経験したハイパーインフレの名残なのです。

 

いかがでしたでしょうか。

ベトナムの歴史や文化、背景を知っているとベトナムに旅した時、よりベトナムのことが分かるようになりますし、ベトナムの人たちとの会話も弾むこと間違いなしです。

ぜひベトナムに旅をするときには、今回ご紹介したベトナムの歴史や文化を知っておいてくださいね。

 

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