知っておくと海外旅がもっと面白くなる雑学【ベトナム】(後編)

前回はベトナムの食文化を中心としてお話をしましたが、今回は歴史にスポットを当ててみたいと思います。

ベトナムは北の大都市ハノイと南の大都市ホーチミンでかなり雰囲気が変わっています。これはベトナムの歴史をひも解いてみるとその理由が少し見えてきます。

ベトナムを旅する上で知っておきたいベトナムの歴史を分かりやすくご紹介します!

3.ベトナムの歴史

ホーチミン?サイゴン?

%e3%83%99%e3%83%88%e3%83%8a%e3%83%a06ホーチミン:サイゴン駅
(出典:vietnam.navi.com

ホーチミンに行くと、よく「Saigon」という言葉を聞きます。

たとえば、鉄道の駅名も「ホーチミン」ではなく「Saigon(サイゴン)」という名前が使われていて、旅をする我々にとってはホーチミンとサイゴンて何が違うのか?混乱することがあります。

結論から言いますと、もともとホーチミンはサイゴンと呼ばれた都市でしたが、ベトナムを独立に導き、初代主席となったホーチミン氏の名前をとって、現在はホーチミンが正式な都市名となっています。

ですが、街の人たちと話をしていると、なんとなくホーチミンよりもサイゴンという呼び名の方に愛着を持っている気がします。その理由は推測にすぎませんが、ベトナムの南北間の歴史上の関係がまだベトナムの人々にとっては記憶に新しいことだからなのかもしれません。

ベトナム、特にベトナムの北部と南部にはいったいどのような歴史があったのでしょうか。順を追ってみていきたいと思います。

フランスの植民地時代とホーチミン

1860年~第二次世界大戦:フランスの植民地時代
ベトナムは1860年ごろから第二次世界大戦が終わる1945年まで、約90年もの間フランスの植民地としてフランスの支配下にありました。正確には、まずベトナム南部のサイゴンがフランスによって侵攻され、その後北部、中部ともに侵略されてフランスの支配下にはいります。そして、1883年、1884年に締結されたフエ条約によりベトナムは完全にフランスの植民地となります。

前回の記事でもご紹介したように、今でもベトナム人にとってフランスパンやコーヒーが身近な存在であるのはフランスの影響によるものです。

とはいっても、それを自分たちの文化に取り込んでしまうあたり、ベトナム人のたくましさが垣間見えます。

1910年~1945年:ホーチミン登場

%e3%83%99%e3%83%88%e3%83%8a%e3%83%a07(出典:www.wendytour.com

さて、そんなフランスの植民地化におかれていたベトナムから、後の初代主席になるホーチミン氏が海外に飛び出します。

彼はフランスを始め、欧州を周り世界情勢を学ぶとともに、ベトナムの独立を各地で訴える活動を起こしました。

そんな中で、ホーチミンはレーニン主義に出会い、共産主義思想に傾倒していきます。そして、1917年に起こったロシア革命の後に旧ソ連にわたり、そこから中国に入り、香港で1930年にベトナム共産党を立ち上げます。

第二次世界大戦も大詰めを迎えた1945年、日本軍は連合国軍に寝返ろうと策案していたフランス軍から、ベトナムを略奪します。そしてあっさりとベトナムは日本の支配下にはいることになります。

ですが、その直後に終戦を迎えて日本が降伏すると、それまでベトナムに潜んでいたホーチミンをリーダーとする独立運動グループが一斉に立ち上がり、瞬く間にベトナムを奪還します。

これにより、1945年9月2日にホーチミンはベトナムの独立宣言を行い、ベトナムは独立を果たしました。

戦後の冷戦と南北分裂

さて、ベトナムが独立できたものの日本が敗戦によりベトナムから撤退すると、それまで身をひそめていたフランス軍が再度ベトナムに侵攻、再びベトナム南部はフランス軍によって支配されてしまいます。

フランス軍によってサイゴンを中心としたベトナム南部は支配されたものの、フランスによる自由主義の浸透やある程度の権限移譲によってサイゴンは国としての実態を持つようになります。

一方で共産主義を掲げる、ハノイを中心とした北ベトナム軍とフランス軍の争いは続きました。この争いはインドシナ戦争と呼ばれていますが、この植民地化勢力と反植民地化(=独立)勢力の争いは、北ベトナムの背後に中国やソ連の支援があったことなどから、徐々に共産主義と自由主義の対立という構図に変化していきました。

この長引く戦争や戦況の混乱もあり、フランス軍と北ベトナム軍は1954年、ジュネーブ協定により休戦に入り、フランス軍はサイゴンから撤退します。

これにより、残されたサイゴンを首都とする南ベトナム共和国と、北のハノイを首都とするベトナム民主共和国の2つの国がベトナムの中で並存することになったのです。

ベトナム戦争

そんな中で、ベトナムの統一を目指す北のベトナム民主共和国は、ベトナム南部に攻め込み、南北の争いに発展します。これは共産主義と自由主義との闘いでもあったわけです。

そして、これがベトナム戦争の始まりでした。

皆さんはベトナム戦争といえば、アメリカによるベトナム侵略というイメージが強いかもしれません。ですが、この戦争も当時の冷戦を象徴づける、共産主義と自由主義との争いだったのです。

当時北ベトナムを支援していた中国やソ連によるベトナムの共産主義化を恐れたアメリカは、南部のサイゴンに軍隊を送り込みます。

ですが、アメリカ軍による戦争とは無関係な市民、村民、女性、子どもの殺戮が世界に知れ渡るようになり、世界中からアメリカに対する反戦デモが巻き起こり、アメリカ軍の撤退を求める声が大きくなりました。

戦争が長引いたこともあり、最終的にはアメリカがベトナムから撤退し、それによる北ベトナム軍の南部占領により、ベトナム戦争は終焉を迎え、ベトナムは統一されたのです。これは1975年のことで、アメリカ軍による介入のあった1965年から実に10年もの月日が経っていました。

ベトナムのお金「ドン」の桁数が多い理由

さて、ベトナム戦争がようやく終わり、これでめでたしめでたし、となればよかったのですが、ベトナムの混乱はこのベトナム戦争の後もしばらく続くことになります。

その一番の原因は、なんといっても共産主義による社会主義国家への急速な推進政策にありました。

先ほどお話しした通り、サイゴンを中心とする南ベトナムではフランスによる支配もあって、自由な商業取引経済圏が作られていましたが、共産主義の北ベトナムによる統一で、自由な商取引が禁止されるようになります。

これにより、商売が立ち行かなくなった多くのベトナム人が、ベトナムから海外へ大量に流出します。

詳細は割愛しますが、これによるベトナム経済の混乱と停滞や、カンボジア紛争も勃発し、1980年中頃にはインフレ率が700%を超えるハイパーインフレが発生しました。

さすがにこの状況をまずいとみたベトナム政府は、「刷新」という意味のドイモイ政策を掲げ、自由経済市場への取り組みを始めます。

こうして1990年代に入り徐々にベトナム経済は落ち着きを取り戻していくことになります。

ベトナムの通貨単位は「ドン」ですが、現在の為替相場ではだいたい1ドル=22,000ドンぐらいとなっており、ドンは桁数が多いため、ベトナムに旅をすると桁の多さに最初は慣れないかもしれません。

この桁の多さは、ベトナムがかつて経験したハイパーインフレの名残なのです。

 

いかがでしたでしょうか。

ベトナムの歴史や文化、背景を知っているとベトナムに旅した時、よりベトナムのことが分かるようになりますし、ベトナムの人たちとの会話も弾むこと間違いなしです。

ぜひベトナムに旅をするときには、今回ご紹介したベトナムの歴史や文化を知っておいてくださいね。

 

※一人旅応援アプリbocci:)(ボッチ)をAndroid版でリリースしました!みんなが投稿した一人旅を楽しむ情報がたくさん!あなたの一人旅を投稿して、誰かの一人旅につなげよう!!
(アプリ紹介ページはこちら

Google Play で手に入れよう

タグ: ,

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)