【知らないと恥ずかしい!?】世界遺産としての富士山、4つのマメ知識

日本人なら誰でも知っている富士山。海外からも、「Mt. Fuji」として日本といえば富士山というぐらい、富士山は日本だけでなく世界中の人からも愛されています。
2013年に世界遺産に登録されてから、富士山に訪れる観光客はますます増加しています。
ですが皆さんは富士山のことをどれだけご存知でしょうか。「あの美しいフォルムと雄大な自然が世界遺産に選ばれた」と思われている方、それは少し違います。
今回は、身近すぎるからこそ見えにくい、世界遺産としての富士山の魅力をお伝えします。これであなたも外国の方に富士山のすばらしさを紹介できるはずです!

富士山は「世界自然遺産」ではなく、「世界文化遺産」!

富士山
(出典:http://www.fukei-kabegami.com/scene/22-shizuoka-107-fujisan-1-panorama/)

2013年に富士山が世界遺産として登録された際の登録名は

「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」

という登録名で、「世界文化遺産」として登録されました。

富士山は山ですし、なんといってもあの美しい山の姿や自然が世界遺産に選ばれたと思われている方がいらっしゃるかもしれませんが、世界遺産の三つの分類(世界文化遺産、世界自然遺産、複合遺産)のうち、世界文化遺産として選出されました。

簡単に言ってしまうと、富士山は古来より日本人の生活や信仰、芸術と密接に結びついており切っても切れない関係にあり、単なる自然以上の存在として受け止められてきた、という点において文化的な価値を認められたということです。

「信仰の対象」と「芸術の源泉」というのはどういうことでしょうか。それを紐解いていきましょう。

富士山-信仰の対象

富士山は日本人にとって、古来から単なる山ではなく「霊峰」として崇められてきました。霊峰とは、神様が宿っていると考えられている山のことです。

日本人は昔からいろいろなもの、特に自然に神が宿っているという考えが根底にありました。「八百万の神」といわれるぐらい、日本人はさまざまな神の存在を信じてきた一方で、仏教の信仰も厚く行われてきました。「神仏習合」という言葉のように、日本では仏教と神道が融合した独特の文化が根付いています。これは日本特有の文化ではないでしょうか。

富士山の歴史と信仰の変化

噴火の多かった平安時代

富士山は活火山であり、これまでも何度か噴火を繰り返し来ました。日本史として学ぶ紀元後では、平安時代あたり(西暦800年前後)から、直近では江戸時代(西暦1700年ごろ)にも噴火が起こっています。

特に平安時代ではたびたび噴火が起こっていたため、人々は富士山の神が怒っているのだと信じ、祈りをささげてその怒りを鎮めようとしました。ちなみに、富士山の神は「浅間大神」という名前でまつられています。

噴火が収まった鎌倉時代以降

平安時代後期から鎌倉時代になると、富士山の噴火はいったん収まりをみせます。すると、怒りを鎮めるための信仰から、神の力を得ようと修験者が山に踏み入れるようになりました。ここから、このような修験者のたどる道として修験道が出来上がってきます。

修験者から一般大衆へ

さらに時代が進むにつれて、徐々に富士山は一般大衆にも身近な存在となり、その風景を楽しむことが一般的になってきます。後ほどご紹介しますが、江戸時代には葛飾北斎の富嶽三十六景や歌川広重の富士三十六景など、富士山をモチーフとした絵画が流行します。これはそれだけ、富士山が大衆にとって身近で親しみのある存在になったことを意味しています。

このように、富士山は時代ともに日本人にとってさまざまな信仰の対象として受け止められてきました。

富士山と芸術

富士山が日本人にとって常に身近な存在であったことは、芸術からも読み取ることができます。

日本最古の歌集といわれている万葉集にも富士山が出てきますし、そのほか物語や俳句、絵画などさまざまな芸術の分野で富士山は登場しています。

葛飾北斎:「富嶽三十六景」と歌川広重:「富士三十六景」

富士山をテーマとした芸術の中でも有名なのが、江戸時代の絵画です。葛飾北斎と歌川広重は、その作品にも富士の名前を入れている通り、富士山をメインとした絵画を造りました。

赤富士
(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Red_Fuji_southern_wind_clear_morning.jpg)

この絵画は富嶽三十六景の中の一つです。

これを観て、「なんで富士山が赤いの?」と思われた方がいるかもしれません。これは、富士山の「赤富士」を描いたものです。赤富士とは、夏の終りから秋にかけて、早朝に朝日を浴びて富士山の斜面が赤く反射する現象です。

江戸時代からもこのように、富士山が自然の中で見せるさまざまな姿を楽しんでいたことが分かります。

この富嶽三十六景は、日本だけでなく、ゴッホなど海外の芸術家にも大きな影響を与えました。また、富嶽三十六景は青を基調とした作品が多いのですが、これも、北斎がそれまで一般的だった植物からつくられた藍色ではなく、化学顔料で造られた藍色を始めて取り入れたことにあります。この化学顔料によって、それまで難しかった藍色の濃淡をより鮮明に表現できるようになりました。

富士3
(出典:http://culgeo.i-portal.mie-u.ac.jp/kyodoshi/GIS/nishikie/prints/L_051.html)

こちらは富士山十六景の中の一つ、「伊勢二見浦」です。この絵を観ると、富士山は遠くの方に小さく描かれておりどちらかというと手前の岩島のほうがメインのようにも感じられます。しかし、富士山の斜面をずっと伸ばしていくと、手前の二つの岩島の輪郭に見事に一致します。これは、手前の岩島の輪郭を三角形にすることで、その視線を自然と上の富士山にもっていく効果があります。
また、これは伊勢の二見浦から描かれたものですが、伊勢といえば三重県。つまり、富士山は三重県からも遠くその存在を確認することができたということです。

富嶽三十六景や富士三十六景は、どちらも江戸時代当時の主要なルート、東海道や甲州道、中山道などさまざまな場所から描かれています。とくに、江戸の街からも普通に富士山を見ることができました。今では高いビルなどに阻まれて、見渡しの良い場所に行かなければ東京から富士山を見ることはできませんし、そのような場所もほとんどありません。これだけいろいろな場所から富士山の望むことができたということは、やはりそれだけ日本人にとって富士山が日常の風景の中にあったことを意味しています。江戸時代当時の街並みを想像しながら、当時の人たちがどのように富士山を毎日眺めていたのか、想像してみるだけでも素敵なことだと思います。

世界遺産:富士山の構成案件は20以上

一言で「富士山」と呼んでいますが、世界遺産として登録されている富士山は富士山の中、近辺にある自然や湖、寺院などその構成案件は20以上に上ります。

なぜそれだけ多いかというと、これらがこれまでお話ししてきた「信仰」と「芸術」を表す場所だからです。

浅間大社
(出典:http://tabihatsu.jp/special/sp_025/)

これは富士本宮浅間大社です。富士山の神様、浅間大神を祭っている神社です。これも世界遺産の一部として登録されています。

このように、信仰の対象となった神社や修験者の登山道、芸術などの舞台となった自然などが世界遺産として登録されており、これをみると富士山が自然遺産ではなく文化遺産であることがご理解頂けると思います。

いかがでしたでしょうか。富士山はその美しい形と季節や自然の中で見せる様々な姿も、他に類をみないほど素晴らしい山です。だからこそ、古くから日本人にとって信仰や芸術の対象になってきたのだと思います。富士山を訪れる際は、古くからいろいろな形で日本人と接してきた富士山と、それに対する日本の人たちの思いを想像しながら楽しんでみてはいかがでしょう。

(参考:http://www.fujisan223.com/)

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