【世界遺産】富岡製糸場のすごさが分かる6つのマメ知識(準備編・後篇)

前回に引き続き、日本の世界遺産、富岡製糸場のすごさが分かるエピソードを分かりやすくご紹介!

今回は、他の構成遺産、田島弥平旧宅・高山社跡・荒船風穴についてもご紹介します。

 

前編の記事をまだお読みでない方は、こちらもぜひご覧ください!

【世界遺産】富岡製糸場のすごさが分かる6つのマメ知識(準備編・前篇)

5.現代につながる勤怠システムの原点

今では一般的になった、週休二日制。

元々休日だった日曜日に加えて土曜日も休みとされるようになったのは1980年代以降のこと。

実は、日曜日を休みとする労働形態の元祖ともいえるのが、富岡製糸場と言われています。

富岡製糸場が操業を開始したのは、1872年ですが、この当時はまだ太陰暦が採用されていました。

太陽暦が採用されたのは、その翌年の1873年、明治6年のことです。

官営の富岡製糸場が、太陽暦導入後に日曜日を休日とする労働システムの先駆けとなったのは、操業を開始した直後に太陽暦の採用が決まったことの影響があるかと思います。

富岡製糸場では、この休日制度の他、働く女工たちの賃金をその能力によって決定する能力給としたり、工場内には医務室を設けるなど、現在の労働システムの原型ともいえる労働環境が整っていたのです。

当時まだまだ生糸の質が人の手に左右されていたことを考えると、質の高い生糸を生み出すために能力給が導入されたのも自然な事だったのかもしれません。

6.絹産業全体を支える仕組みの完成

さて、2014年に世界遺産に登録された際の登録件名は

富岡製糸場と絹産業遺産群

でした。

そうなんです。登録されたのは富岡製糸場だけではありません。それではこの、「絹産業遺産群」というのは何を指しているのでしょうか。

これは、富岡製糸場以外に世界遺産構成遺産として登録された、以下の3つの遺産を示しています。

・田島弥平旧宅
・高山社跡
・荒船風穴

こちらの3つの構成遺産についても、簡単にご紹介しましょう。

構成遺産と群馬県の関係

前回の記事でお話しした通り、富岡製糸場は、絹産業全体の工程の中で、蚕の繭から生糸を生産する部分に携わっていました。

しかし、絹産業は、その上流、つまり蚕を養殖する工程もあれば、その下流、生糸から絹製品を製造する工程を含めたものを言います。

富岡製糸場以外の構成遺産は、上流の養蚕に関係のある遺産です。

もともと生糸を生産する大規模工場として、富岡に製糸場が建てられたのも、現在の群馬県のこのエリアが養蚕農家が多かったことも関係しています。

田島弥平宅

富岡製糸場7(出典:http://animshionchiaki.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-7e74.html)

田島弥平旧宅というのは、近代養蚕農家の原点と言われている、養蚕を大規模に行う養蚕農家でした。

この田島弥平という方は、その当時技術が進んでいたヨーロッパに渡り、積極的に西洋の技術や文化を学び、日本に持ち帰ったという、すごい人。

その後、この田島弥平旧宅が、いわば養蚕学ぶ場としての養蚕学校の要素を持つ場として機能することになります。

養蚕だけでなく、西洋の文化を持ち帰った影響もあり、この田島弥平宅の近くには教会も建てられました。

写真を見て頂いて分かる通り、屋根の上に窓が付いた屋根のようなものが取り付けられていますが、これが養蚕農家の特徴でもあります。

高山社跡

富岡製糸場8(出典:http://worldheritage.pref.gunma.jp/kinuisan/db-dtl.php?data=36)

高山社跡というのは、養蚕の教育機関であった「高山社」発祥の地に建つ養蚕農家のこと。

この高山社は、当時養蚕方法としては画期的な「清温育」という新しい蚕の飼育法を確立した機関でもあります。

清温法は、当時主流であった人工的に温度と湿度を管理した「温暖育」と、自然にまかせた「清涼育」の長所を取り入れた「折衷育(せっちゅういく)」と言われています。

また、養蚕の学校として甲種高山社蚕業学校が建てられました。

「甲種」というのは厳しい基準をクリアした機関にのみ認めらえた資格のようなものですが、当時の養蚕学校の中で甲種が認められたのは、この高山社蚕業学校だけでした。

それだけ質の高い技術学校だったことがうかがえます。

 荒船風穴

富岡製糸場9(出典:http://tomikinu.saikyou.biz/know/arafunefuketsu/)

荒船風穴というのは、言ってみれば天然の冷蔵庫のようなものです。では、何のための冷蔵庫か。

それは、蚕の卵を保管するための冷蔵庫です。

蚕というのは、一定の温度になると卵から孵化して繭を作る性質を持っています。

それはつまり一年の内に決まった時期、春先に蚕が一斉に孵化して繭を作るわけです。

言い換えると、生糸を作る期間というのが蚕が孵化する時期と同じであり、それは一年で限られた時期しかないということでもあります。

しかし、このままでは安定した生産供給が図れません。

これを解決すべく造られたのが、この荒船風穴のような、蚕の卵を孵化する温度以下で保管しておく施設です。

こうすることで、蚕が一度に孵化してしまうことを防ぐことができ、一年中安定して生糸の生産を行うことができるというわけです。

 

富岡製糸場だけでなく、これらの構成遺産を含めることで、これらが総合して、いかに絹産業の技術を醸成して幕末後以降の日本の成長に貢献してきたかが分かるかと思います。

 

いかがでしたでしょうか。

鎖国で海外に後れをとった日本が、その後先進国の仲間入りを果たし、経済、技術大国にのしあがった原点、きっかけが富岡製糸場にあるといっても過言ではありません。

これだけ日本にとって重要な役割を持っていた富岡製糸場。

実は富岡製糸場が建設され、操業が軌道に載るまでには多くの苦難もありました。

そのお話はまたのお楽しみに。。

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