インドが世界に誇る世界遺産、「タージ・マハル」。
前回に引き続き、タージ・マハルが放つ圧倒的な存在感と美しさのヒミツに迫ります!
さて、前回に続き、タージ・マハルの全体的な構造についてのお話から始めましょう。
(前回の記事「【世界遺産】タージ・マハルを100倍楽しむためのマメ知識(準備編:その1)」と合わせて読むとより深くお楽しみ頂けます!)
エデンの楽園を目指して造られた庭園
前回ご紹介したタージ・マハルのメイン、廟堂(上図の2のエリア)の前には広大な庭園が造られました(上図の3のエリア)。
タージ・マハルの持つ美しさの1つ、完全なシンメトリーの追求が、イスラム教での理想の形式美であることはすでにお話ししました。
そして、廟堂の前に造られた庭園もイスラム教にとって、とても大切な意味を持っています。
イスラム教にとっての「死」と庭園
仏教やヒンドゥー教とイスラム教の大きな違いの1つが、イスラム教では輪廻転生という思想が無いことです。
輪廻転生とは、簡単に言えば、人は死ぬとまた別の誰か、もしくは生き物に生まれ変わってこの世に戻ってくるという考え方です。つまり、「死」によって肉体が滅んでも、「魂」は再びこの世に還ってきて別の「生」に宿り、これが繰り返されていく-。
こうした思想はヒンドゥー教や仏教でよく見られます。
一方、イスラム教では一般的に、人が死ぬと神による最後の審判を待ち、その審判によって「魂」とともにその先の天国へ進むと考えられています。天国に行くので、もうこの世には戻ることはありません。
そして、死んだあと神による最後の審判がくだるまでの間、つかの間身を休める慰安の場として庭園が設けられていると考えられました。
このため、死後も慰安の場を確保できるよう立派な庭園を造ることは、イスラム教ではとても大事なことだったのです。
タージ・マハルもこのイスラム教の考えに従い、エデンの楽園のように緑と水が豊かで、木々には果実がたくさん実る庭園の造営を目指しました。
現在、廟堂の前に広がる庭園はどちらかというとシンプルで、緑の木々が並べられているだけ(それでも十分な美しさがありますが)ですが、タージ・マハル施工当時はマンゴーなど、果実が実る木々が植えられていたと考えられています。
果実をたわわに付けた木で覆われた庭園。それこそが、イスラム教が理想としたエデンの楽園だったのです。
幾何学的な美しさを保った庭園
さて、平面図をご覧いただくとおわかりのように、庭園はほぼ正方形に造られ、その中央には泉が設けられています。
庭園の北は廟堂へ入る廟堂本体の飾り門(イワーン)、南には庭園に入る楼門があり、庭園の中央の泉を南北に向かい合うように建てられています。
そして、庭園中央の泉の東西には燈台(パラダリ)が置かれました。
このように、庭園の中心の泉を中心として東西南北を門と燈台が水路で結ばれ、庭園は4つの区間に分けられています。
さらにそれぞれの区間は遊歩道によって4つに分けられ、庭園は16の均等な区間に分けられていることになります。
正方形の敷地をさらに16もの均等な区分に整備する。これでもかと言わんばかりに均整のとれた設計ですよね。
ヤムナー河のほとりに建てられたタージ・マハル
タージ・マハルのすぐ北側(裏側)にはヤムナー河が流れています。
建築上、河のすぐそばに建物を建てることはリスクが伴うため、好んで造られません。
例えば、災害による河川の氾濫や地盤が安定しないなど、建物が簡単に崩壊してしまう可能性が高いからです。
そう考えると、「後世まで残る墓所を-。」というムムターズの願いを叶えるうえで、タージ・マハルを河のそばに造ることはふさわしくないように思えます。
ですが、シャー・ジャハーンはどうしてもこの場所に愛する妻ムムターズのお墓を造りたい、という強い思いがあったのです。
あえて河のほとりにタージ・マハルを造った理由。それをいくつかご紹介しましょう。
「水」の存在
さきほど、タージ・マハルの庭園についてお話をしましたが、理想の庭園を造るうえで欠かせなかったのが水の存在です。
エデンの楽園にふさわしい庭園。そこには果実が豊かに実る木々のほかに、潤沢に湧き出る水も必要でした。
そのため、タージ・マハルでは高度な用水技術を使って、庭園に水路を張り巡らし、泉からはが湧き出るように造られています。
水を引くには当然その水源となる河が近くにある必要があったというわけです。
アーグラ城とタージ・マハルをつなぐヤムナー河
タージ・マハルが現在のインドのアーグラに造られたのは、その場所にムガル帝国の王都があったからです。
代々のムガル帝国皇帝が王政を行っていたアーグラ城は、タージ・マハルからわずか数キロの先に、今もその跡を観ることができます。
そして、このアーグラ城もタージ・マハルと同様、世界遺産の1つに数えられています。
アーグラ城も見どころ満載の素晴らしい世界遺産ですが、そのお話はまた別にしましょう。
実はタージ・マハルはこのアーグラ城にいても、その姿を見ることができるのです。
アーグラ城からタージ・マハルがどのように見えるのか、それは実際に訪れて確かめてみてください。
それはまるで、ヤムナー河の向こう側にタージ・マハルが浮かんでいるかのような素敵な眺めです。
実はタージ・マハルは、ヤムナー河が大きく曲がりくねった場所に建てられています。上の地図でも河が曲がっているのが分かるかと思います。
シャー・ジャハーンは、いつでも自分のいるアーグラ城からヤムナー河に浮かぶタージ・マハルを眺められることで、亡き妻のことをひと時も忘れることなく想っていたのでしょう。
また、タージ・マハルの北側には門が造られ、シャー・ジャハーンは当時、アーグラ城から舟でヤムナー河を下って北側からタージ・マハルに入っていたと考えられています。
聖なる河へとつながるヤムナー河
実はヤムナー河は、その流れの先でガンジス河へと合流します。
ガンジス河と言えば、ヒンドゥー教では聖なる河と言われている神聖な河。
そんなガンジス河へと続くヤムナー河は特別な河として考えられていたと思われます。
タージ・マハルをヤムナー河のほとりに建てた理由はここにもあったのかもしれません。
いかがでしたでしょうか。
知れば知るほどタージ・マハルがいろいろな想いとともに、緻密に造られたことが分かってきますよね。
次回は、タージ・マハルが持つ大きな謎に迫ります!
(参考:「タージ・マハル物語」 渡辺建夫 朝日選書(朝日新聞社))