【世界遺産】シーギリヤ・ロックを100倍楽しむためのマメ知識4選(準備編:後編)

スリランカの人気観光スポット、世界遺産のシーギリヤ・ロック。

前回は、なぜ巨岩の上に王宮を建てることになったのか、2つの説をご紹介しました。

今回は、シーギリヤ・ロックの計算された構造と、神秘的な壁画についてご紹介します!

 

前回の記事

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【世界遺産】シーギリヤ・ロックを100倍楽しむためのマメ知識4選(準備編:前編)

当時の王都の姿をとどめているシーギリヤ・ロック

シーギリヤ・ロックの頂上

シーギリヤ・ロックが世界遺産に選ばれた理由の1つとして、アジアの中でも、当時の王都跡の姿を良くとどめている、その保存状態の良さにあります。

つい、高さ200メートルの巨岩に目が行きがちですが、当時はこの岩の東と西にそれぞれ100ヘクタール、50ヘクタールほどの敷地を持ち、王都として栄えていました。

この敷地内に残されている遺跡も合わせて観ると、5世紀後半に造られたこの王都が、いかに優れた技術を駆使していたかがよく分かります。

それをご紹介しましょう。

 高度に駆使された治水技術

シーギリヤ・ロックに巡らされた堀

シーギリヤ・ロックで特筆すべきは、その緻密に計算された治水技術にあります。

そもそも、巨大な岩の上に王宮を建てることからこの地に王都を移したカッシャパ王。

このような平野のど真ん中に王都を営むうえで重要なのが、水の確保でしょう。

人工の貯水湖:シギリヤ・タンク

今も面影を残している、シギリヤ・タンク

写真左側の湿原のようなエリアが、当時水を貯めるために人工的に造られたシギリヤ・タンクです。

ここに貯められた水は、その後水路を通じてシーギリヤ・ロックの周りの堀を巡ります。

このシギリヤ・タンクは、王都を支えるうえでの生命線と言え、周囲を張り巡らされた堀は外敵からの防御だけでなく、都市全体に熱が溜まるのをクールダウンさせる効果も持っています。

Water Garden

現在シーギリヤ・ロックへの入口となっているゲートをくぐると、そこからシーギリヤ・ロックまでの道の両端には水路や池などが置かれたWater Gardenがあります。

Micro Water Garden

その中でも、Water Gardenをぎゅっと小さくした、Micro Water Gardenが入口のすぐ右側に残されています。

ここには、水路、プール、水上テラス(小屋)や庭があり、水を巧みに利用して見事な庭園を造っていたことが分かります。

Water Gardenを囲む水路は、小石やきれいに磨かれた石を積み上げて浅く造られていて、そこをゆっくりと水が流れるように出来ています。そして、これが庭園全体を冷やす仕掛けになっているのです。

入口からシーギリヤ・ロックまでのWater Gardenも、このMicro Water Gardenと似た構成になっており、真ん中の道を挟んで左右対称に造られています。

今でも作動する噴水

雨が降ると噴水から水が噴き出す(出典:https://fortheloveoflanka.wordpress.com/tag/sigiriya/)

Water Gardenの道に沿って造られた水路の先に、石に穴を開けて造られた噴水が今も残されています。

雨がよく降る11月から2月ごろ、雨の後にこのように噴水から水が噴き出る様子を観ることができればラッキー。

それにしても、1,000年以上も前に造られた噴水が、今もなお機能しているというのは本当にすごいですね!

シーギリヤ・ロックの治水技術

シーギリヤ・ロック頂上に造られた、王のためのプール

シーギリヤ・ロックの頂上には、王だけが使っていたプールまで完備されていました。

このプールに入り、岩の上からの絶景を独り占めする-。

これ以上ない贅沢ですね。

段差を巧みに利用して設計された王宮

シーギリヤ・ロックの頂上は、自然そのままのため、平な状態ではなく、ところどころに高低差があります。

この頂上ほぼ全域を使って建てられた王宮は、この高低差を逆に巧みに利用することで、さらに豪華な造りへと変貌しました。

写真のように、いたるところに階段が数多く備えられていますね。

そして、雨で降り注ぐ水が頂上で滞留して溢れることなく、岩の隙間を通って地上に流れ落ちるよう、雨水の排水までも考慮して造られているのです。

地上のWater Garden同様、頂上には噴水も造られ、地上から水を送るポンプまで完備されていました。

といっても、電気も無いこの時代に、どのようにして地上から高さ200メートルもある頂上まで、水をくみ上げていたのか、詳細は明らかになっていません。

くみ上げられた水は、そこからシーギリヤロックの中を通って再び地上に降りるよう、循環する仕組みになっていて、この循環によりシーギリヤロック全体の熱を冷ます効果があったのだとか。

まさに究極のエコ・クーリングシステムと言えますが、5世紀後半にここまでの技術が駆使されていたのには驚くばかりです。

 

このような治水技術を知ると、シーギリヤ・ロックとそれを取り囲む地上の王都が、いかに一体として緻密に設計された都であったのかがよく分かるかと思います。

フレスコ壁画の謎

シギリヤ・ロックのフレスコ壁画

シギリヤ・ロックの最大の見どころの1つが、高さ100メートルほどの場所にある壁に描かれたフレスコ壁画です。

当初は500体もの女性が描かれていたと言われていますが、現在残されているのはわずか19体ほど。

実はこの壁画が誰によって作られ、またここに描かれた女性が誰なのかについて、いまだにはっきりとした結論は出ていません。

女性のモデルを巡る様々な説

カッシャパ王の妻たち

1つ目の説が、カッシャパ王の王宮で、王とともに暮らしていた正妻やその他の側室の女性たちを描いたものではないか、という説です。

莫大な財力と権力を握っていたカッシャパ王は、自分の王宮に数多くの女性たちと共に住んでいました。

まさにハーレムを作り出したカッシャパ王が、自分の身近にいる女性をモデルにして、このフレスコ壁画を描いたのではないか、という説です。

ニンフ

2つ目の説は、ニンフ、つまり、神話世界に出てくる精霊を描いたものではないか、という説です。

写真の壁画も、左側の女性が何か植物のようなものを持っている姿が描かれていますが、ニンフがカッシャパ王に対して花や作物を献上している姿を描いたのではないか、という説です。

タラ女神

3つ目の説は、チベット仏教に登場するタラという女性を描いたものではないか、という説です。

もともとヒンドゥー教の神様として崇められていたタラが、チベット仏教に取入れられ、女性の菩薩として崇拝されます。

風神と雷神

4つ目の説は、女性が「雲」と「雷」を象徴しているのではないか、という説です。

このフレスコ壁画の女性たちは、腰回りから上しか描かれておらず、そこから下は雲に隠れています。

また、女性の顔や皮膚をよく見ると、黄金の顔をした女性と、やや暗めの皮膚を持つ女性の2種類が描かれています。

このことから、それぞれ「雲」と「雷」を司る女性ではないか、と考えられています。

 

様々な説がありますが、壁に描かれた女性の首にはすべて、3つ輪のタトゥーのようなものが描かれています。

これは、この女性たちがカッシャパ王に仕える身分であることを表す装飾品だそうです。

つまり、女性のモデルが精霊やタラ女神だったとしたら、カッシャパ王はそれ以上の身分、存在であることを誇示する壁画ということになります。

女性が描かれた理由とは?

ミラー・ウォール

シーギリヤ・ロックは、実はスリランカでは珍しいある特徴を持っています。

それは、宗教的な建築物が造られていないことです。

同じスリランカの世界遺産であるアヌラーダプラやポロンナルワには、ストゥーパや仏像がたくさん残されていますが、ここシーギリヤ・ロックにはありません。

 

前回の記事でお話しした通り、カッシャパの父であったダトゥセナは、仏教に深く帰依した王でした。

その王を殺してしまったカッシャパは、仏教上、絶対に許されない過ちを犯したことになります。

また、多くの仏教僧からも嫌われる存在となってしまいました。

いったんは、王都があったアヌダーラプラに入ったカッシャパが、シーギリヤに王都を遷都したのは、居心地の悪さがあったのかもしれません。

そのため、カッシャパはシーギリヤを、宗教に基づかない王都にすることに意欲を燃やし、そこに自分オリジナルの神聖観を作り出すことにしたのです。

手本としたアラカマンダ

、カッシャパがシーギリヤを造営するうえで、参考にしたと考えられているのが、仏教上の話に登場する、アラカマンダという架空の都です。

アラカマンダは、この上ないほどに美しい、雲に囲まれた都であると考えられています。

これに倣って、カッシャパはシーギリヤロックの壁面を雲のように描くことで、王宮がまるで雲の上に建つ神聖な場所であるようにしたのです。

ですが、真っ白な雲だけでは下や外からの外観があまりに目立たず、地味なものに終わってしまうため、その雲に女性を描き足したのではないか-。

 

当初は500体も描かれていた女性の壁画。

これを下や遠くから眺めた時の姿は、華麗でどれほど美しかったことか。その姿を今は観ることができないのが残念です。

 

いかがでしたでしょうか。

想像以上に優れた治水技術、独特の世界観、そしてまだまだ紹介しきれていない、贅沢を極めたカッシャパ王の暮らしぶりが分かるシーギリヤ・ロック。

こんな王都を築きあげ、贅沢に暮らしていたカッシャパ王が、短絡的に父親を殺し、弟の復讐に怯えていた、ということに、筆者は違和感を感じずにはいられません。

いずれにしても、知れば知るほどその凄さが分かるシーギリヤ・ロック、皆さんもぜひ一度訪れてみてください!

 

(参考:「Sigiriya」Sm Print & Publishers Nittambuwa, 「The Pleasure Gardens of Sigiriya」 Godage International Publishers Osmund Bopearachchi)

 

 

 

 

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