【世界遺産】厳島神社を100倍楽しむためのマメ知識5選

広島県、宮島にある世界遺産、厳島神社。

海に浮かぶ鳥居と朱色の社殿は世界的にも珍しく、周囲の景観と調和した見事なその姿が印象的です。

創建の歴史、社殿建築や大鳥居のヒミツなど、今回は、そんな厳島神社を100倍楽しむためのマメ知識をご紹介します!

 

1.厳島神社創建の歴史

厳島神社と言えば、平清盛によって創建された神社と思われがちですが、実はその歴史はさらに古くさかのぼり、創建は推古天皇が即位された593年と伝えられています。

もちろん、創建当時は現在のような立派な外観ではなく、簡素な神社でした。

なぜ、海の上に建てられたのか

もともと厳島は、弥山(529.8メートル)も含めた島全体が神聖な場所として崇められてきました。

そのため、島自体がご神体と考えられ、島にある木を伐採し、そこに神社を建てるのは恐れ多いという深い信仰心から、海の上に神社が創建されたと言われています。

世界遺産としての厳島神社

ちなみに、世界遺産に登録されている範囲は、厳島神社に限らず、前面の海と背後の弥山を含む森林区域にまで及びます。

これは、厳島全体が神聖な場所として信仰されてきた日本独特の歴史が、厳島神社、海、弥山という調和により、ほかには見られない独特の世界観を具現化していることが認められたことによるものです。

現在の姿の元を造った平清盛

1168年、神主だった佐伯景弘が社殿の造営を行ったことが記録として残されています。

もちろん、1人の神主の財力で成し得たとは考にくく、そこに平清盛の援助があったことは確実です。

このとき、平清盛は武士として初めて太政大臣に昇りつめ、権力が絶頂にあった50歳でした。

その後、炎上と再興が繰り返されますが、現在残る主な社殿は、鎌倉時代、1241年に造営されたものと言われています。

2.社殿、本殿、大鳥居のヒミツ

社殿のヒミツ

寝殿造りの社殿

厳島神社は、北向きの本社の社殿群と、西向き摂社客神社(まろうどじんじゃ)の社殿群が、海上を廻る回廊でつながっています。

これは、平安時代の寝殿造りの影響を受けたものです。

先ほど、鎌倉時代に現在の社殿の主な部分が造られたとご紹介した通り、その建築構造は当時の貴族の邸宅であった寝殿造りがベースとなっているのです。

左右非対称の構造

寝殿造りとの共通点がもう1つ。それは、左右非対称の構造を持っているということ。

基本的に、寝殿造りはすべて非対称の構造で造られている一方、神社の建築においては左右対称が基本とされ、厳島神社のように左右非対称は珍しいのです。

本殿のヒミツ

厳島神社:拝殿

厳島神社の参拝の際、拝殿より奥へは進むことが出来ないため、なかなか本殿の全体を確かめることは難しいのですが、厳島神社の本殿が持ついくつかの特徴をご紹介します。

本殿の大きさは桁違い!?

厳島神社の本殿は日本最大とも言われる大きさを誇っており、標準的な神社の本殿と比較した場合、なんと100倍にもなるのだとか!

ちなみに、本殿の正面間口は23メートル70センチ、側面奥行は11メートル50センチです。

では、なぜこれほどまでに本殿が大きいのか。

その理由の1つが、中に置かれている6つの玉殿のサイズも通常よりも大きいから、と考えられています。

厳島神社から広まった玉殿

玉殿、というのは、神体が奉安されている場所になり、まさに神社の中心となる場所です。

厳島神社には6つの玉殿があり、その真ん中の2つが最も大きく、約1.7メートルほどになりますが、このサイズは神社の社殿と同じでもおかしくないサイズだそうです。

この玉殿、厳島神社から安芸国に広まった神社の建築様式になります。

もともと日本各地に置かれていた「国」は、それぞれの領地内に神社を持っており、そのトップの神社を「一宮」と呼んで、古くから大事に奉ってきました。

厳島神社は、旧安芸国の一宮とされた神社であり、その建築様式が安芸国内に広まったのは当然の流れと言えます。

左右非対称の本殿

厳島神社:祓殿

社殿と同じく、本殿も左右非対称に造られており、右側は3間、左側は4間となっています。

このアンバランスを隠すため、右の方は左に比べて、柱の間が少し長めに作ってあるのです。

厳島神社に訪れた際、拝殿からじっくりと奥の本殿を覗いてみてください。

大鳥居のヒミツ

海の中で神々しく建ち続ける大鳥居。

実はその造りは単純で、海中に松丸太の千本杭(現在はコンクリートもしくは鉄でできた鉄パイプのようなもの)が打ち込んであり、その上に大鳥居建っているだけ。

つまり、大鳥居は何かに支えられて建っているのではなく、自身の重みだけであのように建っているのです。

そう考えると、逆にそのようにバランスを考えて造られた技術の凄さが実感できますね。

この、松丸太の上に土台を置く建築手法は、住宅建築においてもその後長年に渡って利用されてきた手法です。

ちなみに、海中にある松丸太は常に海水にさらされているので、定期的に交換が必要です。

一方、海の上に出ている木の部分は、海水に触れない分、松丸太よりも長く持ちますが、それでもこれまでに何度か交換が行われてきました。

大鳥居は、2本の真柱と、それぞれにさらに2本の柱が添えられ、計6本の柱から成っています。

この2本の真柱はクスノキ、添えられている計4本の柱はスギの木が使われているのですが、これだけ大きな木は簡単には調達できません。

特に真柱となるクスノキは、次に真柱を交換する時のために、新しく真柱となる次のクスノキを探さなければなりません。

これほどの大きさに成長するまでには100年以上はかかるとも言われるクスノキ。

厳島時代を後々の時代に引き継いでいくことも、簡単な事ではありません。

 

3.ギリギリの美学

満潮時の厳島神社(出典:Shutterstock)

社殿の高さ

厳島神社と言えば、海の上に建っていることから、潮の満ち引きによってその景観はがらりと変わります。

とくに満潮時に水位が上がると、あと10センチもすれば本殿に水が流れ込んでしまうぐらい、ギリギリの部分まで水が上がってきます。

海の上に建てられた理由は先ほどお話ししましたが、社殿をさらに高い位置に造ることもできたはずです。

そこに、厳島神社の持つ「ギリギリの美学」があるのです。

厳島神社は、日々の潮の満ち引きを綿密に計算した上で、水位が社殿より高くならないギリギリの所に社殿を持ってくるよう、巧みに設計されているのです。

本殿の玉殿に至っては、これまで一度たりとも、台風などの影響で浸水したことはありません。

床板に施された工夫

社殿の板と板の間にはわざと隙間が設けられています。

これは、隙間から空気や水を逃がすことで水圧を分散し、社殿全体が浮力で浮いてしまうことを防ぐためです。

海の上に造られたため、台風などの風雨による影響を受けやすい厳島神社。

これまでも、強大な台風により一部社屋の木材が破損したことはありましたが、神社全体に致命的なダメージを与えたことが無いというのは驚きです。

4.厳島神社と毛利元就

厳島神社といえば、平清盛を思い浮かべる方は多いと思いますが、実はもう1人、厳島神社にゆかりのある戦国大名がいました。

それが、毛利元就です。

毛利元就と言えば、小国の領主から中国地方一帯にまで勢力を延ばした戦国時代の名将。

そのきっかけとなったのが、この厳島を舞台に繰り広げられた、「厳島の戦い」です。

この地で、源義経ばりの奇襲作戦でにより、戦力でははるかに勝っている陶晴賢を打ち破った毛利氏は、その後、厳島神社に深い信仰を捧げ、強力なスポンサーになります。

元就による建替え

元就は、社殿と大鳥居のどちらも建替えを行っています。

大鳥居に関しては、あの真柱2本を調達するのに5,000人もの人員がかかったと言われており、いかに一大事業でったかがお分かり頂けることと思います。

5.厳島神社と仏教

厳島神社には、いくつか仏教との繋がりを感じられる不思議があります。

朱色の建物

建物の朱色は創建後に色が塗られたそうですが、仏教を表す朱色が社殿全体に使われています。

本殿の棟に瓦を使っている

厳島神社の屋根は、檜皮葺という造りになっていますが、その上には瓦が積まれています。

瓦と言えば、お寺で多く使われるものですが、厳島神社においては、このように仏教をイメージする瓦を一部で使っています。

入口から出口までが108間

厳島神社は、入口から出口まで108間あると言われていますが、この「108」という数字は、仏教における煩悩の数を示すもの。

これは仏教を意図して設計されたのでしょうか。。

柱間の1間に8枚ずつ板が敷かれている。

厳島神社の柱と柱の間には、8枚の板が敷かれています。

この「8」という数字、仏教では「八正道」という8つの実践徳目をイメージさせます。

 

いかがでしたでしょうか。

様々な特徴を併せ持つ厳島神社。

平清盛は、まさに時代の先を行く革新的なデザインと最先端の技術を駆使してこの神社を造営したことが伝わってきませんか?

そして、それこそが、厳島神社が世界遺産として登録される理由でもあると思います。

ぜひ、広島県厳島を訪れてその素晴らしさを体感してください!

 

(出典:「厳島神社 千四百年の歴史」 NHK広島放送局)

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