世界遺産の楽しみ方

【世界遺産】栂尾 高山寺の至宝:国宝「鳥獣戯画」を100倍楽しむマメ知識4選

京都の世界遺産の1つ、栂尾 高山寺に伝わる国宝「鳥獣戯画」。
そのどこか愛らしい動物たちの絵は、おそらく誰でも一度はどこかで見たことがあるのではないでしょうか。
鳥獣戯画の基本情報、鳥獣戯画に残された謎、鳥獣戯画の内容、鳥獣戯画は日本最古の漫画?未だ多くの謎が残る国宝「鳥獣戯画」を100倍楽しむためのマメ知識を4つご紹介!

1.【世界遺産】栂尾 高山寺の国宝「鳥獣戯画」の基本情報

栂尾 高山寺

世界遺産の栂尾 高山寺に伝わる国宝「鳥獣戯画」は、その名の通り、動物たちが繰り広げる様々な遊びや出来事の様子を描いた絵巻物と言えます。

なぜこれほどまでに「鳥獣戯画」が有名なのかと言えば、動物たちを擬人化して描いていることが挙げられます。今では当たり前のように動物やロボットなどを擬人化した漫画やアニメ、絵本を目にすることが多いですが、その発祥ともいえるのがこの「鳥獣戯画」なんです。

国宝「鳥獣戯画」の製作時期

この「鳥獣戯画」ですが、実はいつ製作されたのか、その正確な時期ははっきりとは分かっていません。おおむね平安時代の後期、12世紀から13世紀ごろではないかと考えられています。

製作に当たって、もう1つ特徴として挙げられるのが、単一の人物によって製作されたものでは無いということ。

実は「鳥獣戯画」は、甲・乙・丙・丁巻に分けられており、それぞれで作者や製作時期が異なると考えられています。その根拠は後ほどご紹介するとして、複数の作者によって異なる時期にまとめられた製作物であることを知らない方も多いのではないでしょうか。

国宝「鳥獣戯画」はなぜ世界遺産の栂尾 高山寺に保管されているのか

現在、この国宝「鳥獣戯画」は京都の世界遺産の1つ、栂尾 高山寺に伝わっています。

ではいつ頃高山寺に持ち込まれたのか、実はその時期もはっきりと分かっていません。ですが、高山寺を盛り立てた明恵上人の入滅後で、おおよそ13世紀~16世紀の間と考えられています。
明恵上人が入滅されたのは1232年、そこから16世紀までの間に高山寺に持ち込まれた根拠として、16世紀初旬の高山寺東経蔵の什物を記した書類に、鳥獣戯画を示すと思われる記載があるのです。

別の記事で世界遺産、栂尾 高山寺と明恵上人について詳しくご紹介していますが、この鳥獣戯画が高山寺において保管されているのは、この明恵上人の影響が大きいと考えられています。その理由を2つご紹介しましょう。

皇族や公家、武士、さらには民衆に至るまで、明恵上人が築き上げたネットワーク

明恵上人が生きた平安時代後期と言えば、浄土宗、浄土真宗や臨済宗など新興宗教が数多く誕生した時代でした。
その中にあって、明恵上人は特定の宗派を組まず、孤高の仏僧としてただ純粋に仏道を極めるべく修行に没頭した人物だったのです。そのお釈迦様に対する深い信仰と、秀才とも呼ばれた評判の高い説法が多くの人を魅了し、自然と明恵上人が修行の拠点とされた高山寺には多くの貴重な資料や文化財が持ち込まれました。

国宝「鳥獣戯画」も、明恵上人の入滅後とはいえ、明恵上人がおられた高山寺であればそれを大切に取り扱ってもらえるという信頼と期待があったのかもしれません。

動物に対する深い慈悲を持っていた明恵上人

仏道を深く追及するあまり、明恵上人は無駄な殺生は一切行わず、動物だけでなく草木や昆虫まで、自然を心から愛した人物でした。

そんな明恵上人が常にそばに置き、肌身離さず持ち歩いていたと伝わる子犬の木造置物が今も高山寺に残されています。

高山寺や高山寺に関するイベントに参加される機会があればぜひ実際に見ていただきたいのですが、この「子犬」の置物がなんとも可愛らしいのです。
そのつぶらな瞳はもちろん、どこか少し首をかしげてこちらをじっと見つめている、そんな子犬の姿の置物なんですが、今もし雑貨屋さんに並んでいてもそれほど違和感を感じないかもしれません。

また、そんな可愛らしい「子犬」の置物ですが、重要文化財にも登録されている貴重な文化財です。

このように、動物や自然を愛した明恵上人だからこそ、動物たちが主役の絵巻物である「鳥獣戯画」が高山寺に伝えられたのかもしれません。

2.【世界遺産】栂尾 高山寺の国宝「鳥獣戯画」に残された謎

国宝「鳥獣戯画」 甲巻(出典:Wikipedia)

国宝にも指定されている「鳥獣戯画」ですが、いまだに解明されていない謎が数多くあるのをご存じでしょうか。その謎を簡単にご紹介しましょう。

作者がはっきりしない

先ほど少しお話しした通り、「鳥獣戯画」には複数の作者がいたと考えられているのですが、それがどこの誰であったのかははっきり分かっていません。

ただ、最も有名な甲巻に関しては、一般的には鳥羽僧正覚猷(とばそうじょうかくゆう)という僧が作者と言われています。
こちらの鳥羽僧正覚猷は平安時代後期の天台僧なのですが、源隆国の子で、天王寺別当や園城寺長吏、天台座主を歴任した後、晩年は鳥羽上皇の護持僧として鳥羽殿証金剛院に住んだと言われています。何より絵を描く能力にも長けていたと評されていたことが、この鳥羽僧正覚猷が作者ではないかと考えられている理由ですが、完全に決着がついているわけではありません。

最も有名な甲巻ですら作者が不明となっているので、他の乙巻、丙巻、丁巻の作者も特定が難しいでしょう。

どこで製作されたのかもはっきりしない

もう1つの謎が、「鳥獣戯画」がどこで製作されたのかはっきりと分かっていないということ。

世界遺産の栂尾 高山寺に保管されていたことは分かっていますが、このお寺で製作された可能性は低いと考えられています。その理由として、明恵上人は孤高の仏僧で人里離れた山奥で瞑想や修行に没頭していた人物であり、高山寺で絵巻物を含めた製作活動が活発に行われていたとは到底考えられないからです。
明恵上人の入滅後も高山寺は修行僧たちが住むお寺ではありましたが、明恵上人がそのような人物だったので、その弟子たちが積極的に仏教曼荼羅や絵巻物などを製作する可能性も低いと言えます。

とはいえ、当時高度な技術を持ってこのような絵巻物が製作できる立場として、可能性が高いのは寺院に属する絵仏師と、宮廷に仕えた宮廷絵師ではないか、と考えられています。

「鳥獣戯画」の作者、絵仏師説

皆さんは「曼荼羅」をご存じでしょうか。仏教の中でも特に解釈が難しいとされる密教の教えや世界観を図で表したものになります。

芸術的な絵画では無いとはいえ、その緻密に造られた曼荼羅は幾何学的にはもちろん、芸術的な美しさを秘めており、これらを製作した絵仏師はもはや仏教専門の芸術アーティスト、と言っても過言ではないでしょう。

密教の修法に用いられたこのような曼荼羅を、色を使わず墨線のみで表したものを「白描図」と言いますが、世界遺産の栂尾 高山寺には、この「白描図」が数多く残されています。
同じく墨線だけで描かれた鳥獣戯画との共通項でもあり、これらが鳥獣戯画の作者を絵仏師とする説の根拠となっています。

「鳥獣戯画」の作者、宮廷絵師説

もう1つの説が、当時宮廷に仕えて宮廷での様子や世相を絵巻物で表現した宮廷絵師を「鳥獣戯画」の作者と考える説です。

平安時代とはいえ、鎌倉時代に差し掛かる頃は末法思想が世に広がり、不安が充満していた時代。今のように芸術家として絵を描いて生計を立てるためには、サポートをしてくれるパトロンの存在が必要だったはずです。そう考えると、「鳥獣戯画」の作者も裕福な皇族や公家に仕えていた宮廷絵師では無いか、というわけです。

また、鳥獣戯画は、主に動物たちが様々な遊びに興じている様子を描いた絵巻物であり、当時の世相や風俗を表したものでもあります。この観点から考えても、そのような題材で絵巻物を製作していた宮廷絵師を「鳥獣戯画」の作者と考えることは自然かもしれません。

 

絵仏師 vs 宮廷絵師、国宝「鳥獣戯画」の作者はいったいどちらなのか、いまだに答えははっきり出ていませんが、「鳥獣戯画」が描かれている紙の成分を分析したところ、通常の絵画に用いられるものでは無く、日常的に寺院などでよく利用されていたものと似ていることが判明しています。
このことを踏まえると、絵仏師説が一歩リードしているといったところでしょうか。

「鳥獣戯画」は何を表現しているのか?ストーリーは?作られた目的の謎

最後に、「鳥獣戯画」は何の目的で、何を表現するために作られたのかもはっきり分かっていません。先ほど、絵仏師説と宮廷絵師説をご紹介しましたが、作ったのがどんな人だったかによっても製作の目的が変わってきます。

また、他の絵巻物と同じように、「詞書」、今でいう「吹き出し」がありません。
絵巻物と言えば、あるストーリーに従って物語が進んでいく様子を一枚の巻物に表したもの。であれば、「鳥獣戯画」にも同じようにストーリーがあるはずです。

確かに動物たちがいろいろな遊びを楽しんだり、話が展開しているのは分かるのですが、詞書が無いので詳細なストーリーまでは解読できません。

また、先ほどお話ししたように、「鳥獣戯画」は甲・乙・丙・丁巻に分かれており、甲・乙巻は動物しか登場しないのに対し、丙巻は前半が人の戯画で後半が擬人化した動物、丁巻は動物は出てくるものの人間が主体で、動物は擬人化されていません。

このように各巻によっても特徴が異なっており、作者もバラバラとなれば、ストーリーや「鳥獣戯画」が製作された目的の解読はさらに難しくなります。

一般的に考えられている、国宝「鳥獣戯画」の描いているテーマを2つご紹介しましょう。

動物の図鑑?

動物を擬人化して描いたのがその特徴と言える、国宝「鳥獣戯画」。
甲巻では擬人化された動物たちが遊びに興じている姿が描かれていますが、次の乙欄は甲巻よりもさらに多くの動物、さらには霊獣も登場します。ですが、乙欄は動物や霊獣は擬人化されておらず、そのままの存在として描かれています。

擬人化された動物たち、いろいろな遊び、普通の動物と霊獣、、そこから考えると、「鳥獣戯画」は子ども向けに作られた「動物図鑑」とみることができそうです。

世相や社会の風刺?

一方、後半の丙巻、丁巻では人間たちも描かれ、特に丁巻は人間が主題となっており、こちらも様々な遊びに興じている姿のほか、儀礼の様子も描かれています。

そこから考えると、当時の社会のあり様を描いており、動物を擬人化しているのは何らかの風刺、とも考えられますよね。

 

謎が残されている分、それだけいろいろに解釈できる余地があるということです。皆さんもぜひ、いろいろな想像を膨らませて国宝「鳥獣戯画」を楽しんでみてはいかがでしょう。

3.【世界遺産】栂尾 高山寺の国宝「鳥獣戯画」の内容解説

それでは世界遺産 栂尾高山寺に伝わる「鳥獣戯画」の内容を見ていきましょう。

最も有名な甲巻:擬人化された動物たち

国宝「鳥獣戯画」:甲巻(出典:Wikipedia)

最も有名な「鳥獣戯画」の甲巻は、擬人化された動物たちだけが描かれており、彼らが様々な遊戯や儀礼に興じる姿を描いています。ウサギとカエルが相撲を楽しんでいるシーンは皆さんもよくご存じではないでしょうか。

登場するのはウサギ、カエル、サルのほか全11種類の動物たちで、鹿、キツネ、いのしし、ねこ、ねずみ、きじ、いたち、梟(もしくはみみずく)。
いずれも甲巻が作られたと考えられる平安時代に日本で目にすることができた動物です。

ちなみに、11種類の動物のうち、鹿、イノシシ、梟は擬人化されておらず、そのまま動物として描かれています。

乙巻:動物や霊獣が描かれる

「鳥獣戯画」:乙巻(出典:Wikipedia)

続く乙巻では、甲巻よりもさらに多い16種類の動物が描かれていますが、擬人化された動物は一切登場しません。

馬に始まり、牛、鷹、鶏、ワシ、ハヤブサと日本に生息する動物が描かれ、後半は犀(サイ)、キリン、ヒョウ、ヤギ、虎、獅子、象、ばくといった日本に生息しない、もしくは霊獣が描かれています。

ここから乙巻のテーマは動物図鑑と考えることもできますが、動物たちは複数で描かれていて、親子での描写が見られること、しかも背景まで丁寧に描かれていることなどがから、何らかの物語を描いているの可能性が高いと考えられています。

丙巻:人物と擬人化された動物の双方が描かれる

鳥獣戯画:丙巻(出典:Wikipedia)

3つ目の丙巻では、前半に初めて人物が描かれて、後半は擬人化された動物戯画という構成です。

描かれているのは人間による囲碁、双六、耳引き、闘鶏、闘犬といった、当時の遊びの数々。同じく擬人化された動物たちも、競馬、祭礼、蹴鞠、験競べ(げんくらべ)などに興じている姿が描かれています。そして最後は蛇の描写で幕引きとなる流れです。

最終巻:丁巻 人物のみが描かれる

「鳥獣戯画」:丁巻(出典:Wikipedia)

最終巻の丁巻では動物は登場せず、人間のみが描かれています。描かれているのは侏儒(しゅじゅ)、験競べ、法会、流鏑馬、田楽、牛車の牛の暴走などで、甲、丙巻に描かれていた動物たちの儀礼や遊戯を人間が興じており、まさに逆の展開と言えます。

上の画像を見ていただければお気づきになるかと思いますが、描写の手法もそれまでの三巻とは線のタッチが異なっていて、やや太めに、大胆に描かれている一方で墨がやや薄いのも丁巻の特徴です。

見えてきた「鳥獣戯画」の構造

未だに多くの謎が残されている国宝「鳥獣戯画」ですが、これまでの研究で解明されてきた点があるのも事実です。それを一部ご紹介します。

使用されている「高山寺」の印は全部で5種類

これまでの画像を見ていただくと、ところどころに「高山寺」の印がされていることに気づかれた方もいらっしゃると思います。

甲、乙、丙、丁巻の4巻から成り、何十枚もの紙を足されて作られた「鳥獣戯画」には、紙の継ぎ目に「高山寺」の印が押されています。
これまでの研究で、この「高山寺」の印は全部で5種類あることが判明しました。これは「鳥獣戯画」の各巻が異なる時に作られたことを示す証拠でもあり、また用いられている印が製作された時代を特定する手掛かりとなることが期待されています。

各巻は「ヘビ」で幕引き??

先ほど丙巻の説明で、最後は蛇による幕引きで終了するとお話ししましたが、実はこの手法は丙巻だけでなく他の巻でも同様だったのではないか、と考えられています。

確固たる証拠は無いものの、数多くの模本が残されている「鳥獣戯画」は、その模本が世界中の美術館に保管されており、模本では蛇による幕引きが描かれているのです。
模本の方が保存も良く、はっきりと全体像が確認でき、模本の構造などから「鳥獣戯画」の成り立ちを解読する方法も取られています。

甲巻の順番が一部間違っていたことが判明!?

最初に作られた甲巻は、その古さもあって保存状態が良いわけではありません。2009年から4年をかけて行われた「鳥獣戯画」の詳細な調査の結果、紙の裏側に付けられたハケの後を確認したところ、もともと1枚の紙だった組み合わせが判明したのです。

それが、23枚目と11枚目。

分かりやすく言えば、1枚目から物語が始まり、2枚目、3枚目、、と進んでいくわけですが、当初の10枚目、11枚目、、というつながりで考えられていた部分が、実は23枚目⇒11枚目という流れが正しかったことが判明したのです。

「鳥獣戯画」:甲巻で元の順番(10枚目⇒11枚目)(出典:Wikipedia)

こちらが当初の順番(10枚目⇒11枚目)です。ちなみに絵巻物は右から左へ進んでいくため、上記の中央やや右にある「高山寺」の印がおされた辺りから右が10枚目、左が11枚目です。

続いて、調査の結果判明した正しい順序を加工してみました。

「鳥獣戯画」:甲巻 正しいと思われる順序(23枚目⇒11枚目)(出典:Wikipedia)

いかがでしょうか。右から眺めた場合、当初の10枚目⇒11枚目ではいきなり仏僧の姿をしたサルとウサギの場面が登場するのに対し、正しいと考えられる順序ではその前にカエルの所作が描かれていて、確かにこちらの方が何だか自然な感じがしませんか。

4.【世界遺産】栂尾 高山寺の国宝「鳥獣戯画」は「日本最古の漫画」?

動物たちを擬人化した点から、国宝「鳥獣戯画」は「最古の漫画」と表現されることがよくあります。

この表現には賛否両論があるのですが、現代の漫画といくつか比較して見たいと思います。

コマ割り

今の漫画は、鳥獣戯画のように単に右から左へとストーリーが進むだけでなく、1ページが細かくコマ割りされていて、それぞれで場面や表情などが描かれています。

この点、「鳥獣戯画」はあくまでも当時一般的に作成されていた「絵巻物」というカテゴリーに収まることを考えると、ここから漫画との共通項を探すのは難しそうです。

詞書

先ほどご紹介したとおり、「鳥獣戯画」には詞書がありません。この点も、吹き出しでセリフが描かれる漫画とはちょっと異なるジャンルのように思います。

擬人化された動物たち

「鳥獣戯画」の一番の特徴である、擬人化された動物たちによって紡ぎだされるストーリーは、現在の漫画につながるものがあります。
今では当たり前のように現在、過去、未来の話や人間、動物、ロボットなど、時間軸や人間以外の主人公が描かれている漫画ですが、確かにこれを最初に生み出したのはこの「鳥獣戯画」と言えるかもしれません。

「動き」の程度を表す仕組み

皆さん、鳥獣戯画と今の漫画を見比べた時に何か違和感を感じませんか。

例えば、絵文字でも見かける「ダッシュ」を表す記号として「💨」のような絵が用いられますよね。これは走っている勢いを表現したものですが、「鳥獣戯画」では例えばウサギとカエルが相撲をするシーンでも、単にウサギがひっくり返っている姿しか描かれておらず、何だか臨場感や迫力に欠けてるような印象を受けます。
ですが、「鳥獣戯画」はまさにこの「動き」を表現した最初の製作物ではないか、という考えもあります。

鳥獣戯画:甲巻 お経を唱えるサル(出典:Wikipedia)

上のワンシーンを見ていただくと、お経を唱えているサルの口から何やら線が出ていますが、これは唱えているお経の「言霊」を表現したもの、と考えられます。

言葉を線で表現しているので、先ほどの「動き」を表す手法とは少し違いますが、「鳥獣戯画」の模本ではこの「動き」を表す線などの表現が使われている部分が確認されており、このことからも「鳥獣戯画」も当初はこのような表現があった可能性があります。

「動き」の表現から考えると、「鳥獣戯画」は今の漫画につながるものがあるとも言えると思います。

 

いかがでしたでしょうか。国宝に登録されている、世界遺産 栂尾 高山寺の至宝「鳥獣戯画」。その文化的、歴史的な価値は言うまでもありませんが、コミカルで愛らしく描かれた動物たちの姿は、歴史ファンだけでなく多くの人を魅了しています。

ぜひあなたも一度、「鳥獣戯画」の世界を楽しんでみてください!

 

(参考:「鳥獣戯画 京都 高山寺の至宝」 東京国立博物館、朝日新聞社 発行:朝日新聞社)

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