世界最大級の仏教寺院遺跡と言われるインドネシアの世界遺産、ボロブドゥール。その巨大な外観と膨大な石の浮彫、華やかな装飾だけでも他に類を見ない存在ですが、今回は知っておくと観光がもっと面白くなるマメ知識をご紹介します!
ボロブドゥールはどんな遺跡?

王家の霊廟か、仏教施設か?
世界遺産・ボロブドゥール遺跡はインドネシアの中部ジャワにあるジョグジャカルタという街から北西に車で約1時間の距離にあります。
仏教に関する遺跡であることは確かですが、実はこの遺跡がどのような目的で、何に利用されていたのかについてはっきりとした結論は出ていません。
建てられた目的として考えられるのは以下の2つです。
- 建築当時にこの地域を支配していた王朝の王を祀る霊廟
- 仏教施設(ストゥーパ)として仏教の教えを広めるための施設
この2つの目的のいずれであるか、明確な結論が出ていないのは、この遺跡から当時の王族たちが埋葬された形跡が見られず、かといって遺跡の最上部にあるストゥーパ(仏舎利)の中に仏像などが納められていたことも明確になっていないからです。
なお、ボロブドゥールには内部構造がなく、日本のお寺のように訪れた人を迎える内部施設がありません。
これがボロブドゥールの特徴の一つでもあるのですが、このため本記事ではボロブドゥールを「寺院」とは表記していません。
巨大な「曼荼羅(まんだら)」を表している?

左:曼荼羅
造られた目的が明確でないものの、ボロブドゥール遺跡の各階層にある回廊に描かれている浮彫には仏陀の一生や密教の金剛経の教えが描かれていること、また上まで参拝できるルートが設けられていることから、この寺院そのものが巨大な曼荼羅(まんだら)として、訪れる者たちに仏教の教えを示している、と考えられています。
後ほど詳しくご紹介しますが、ボロブドゥール遺跡は基壇を含めると方形(四角形)の階層が6段あり、その上に円形の階層が3段、そして最上位に巨大なストゥーパが置かれており、基壇を除く方形の5段と円形の3段は回廊になっていて周囲を歩くことができます。
方形の階層には壁一面に浮彫が描かれていますが、それだけではなくその上に仏像を安置する仏龕(ぶつがん)が彫り込まれ、各仏龕に仏座像が納められており、一方の円形の階層にはストゥーパが数多く並べられているという造りです。
これを図で簡略化してみると、四角形の中に円が描かれており、さらにそこに数多くの仏像が配置すると、まるで曼荼羅のように見えませんか。
曼荼羅は仏教の教えを視覚化したものに他なりませんので、壁に描かれた浮彫と曼荼羅のような作りが、ボロブドゥールを訪れる者を仏教の世界に誘っているのです。
ボロブドゥールはいつ、だれが建てた?

造られたのは8世紀後半から9世紀前半
ボロブドゥールは780年から832年頃の約50年間に、当時中部ジャワ地域を支配していたシャイレンドラ王朝によって創建されたと考えられています。
8世紀後半から9世紀前半という、1,000年以上も前の時期に建てられたものであり、当時の様子を今に伝える碑文がほとんど残されていないことから、何年にボロブドゥールが企画、建設開始され、何年に完成したのか具体的な年は明確になっていません。
さらに、1,000年以上も前の建築技術でこれだけの規模の石造建造物を築いたわけで、建築工事には困難も多く何度か停止を余儀なくされていたと考えられています。
インドネシアのジャワ島中部はモンスーン気候であるため、毎年大量の雨が降りますが、これが石の隙間から地面に浸透することで遺跡の基盤の盛り土の中に空洞ができ、これが陥没を招くことになったのです。
このような陥没が発生する都度、修復作業にも追われていたと考えられており、これもあってボロブドゥールの着工から完成には修復や中断を繰り返しながら数十年という時間を要したと考えられています。
シャイレンドラ王朝の謎
もともとジャワ島中部には仏教よりも先にヒンドゥー教が伝わっており、ヒンドゥー教の信仰が根付いていたと考えられているのですが、シャイレンドラ王朝は仏教徒の王朝です。
ヒンドゥー教が信仰されていた地域に突如として仏教徒の王朝が誕生したことになり、これがシャイレンドラ王朝の起源に関する謎を深めているのです。
ボロブドゥールという巨大な建造物を築き上げるには、莫大な財力と人員、そしてその人員を養うだけの食料が必要になるわけで、この点からシャイレンドラ王朝は最盛期には強大な王朝であったと考えられています。
シャイレンドラ王朝は海上交易で栄えたことでこれだけの財力を有していたと考えられていますが、ボロブドゥールの完成後、突如としてシャイレンドラ王朝の足取りは歴史から姿を消しました。
シャイレンドラ王朝はどこから来たのか、そしてなぜ短期間で歴史から姿を消したのか、実はこの「シャイレンドラ王朝の謎」はボロブドゥールを取り巻く最大のミステリーの一つなのです。
ボロブドゥール遺跡には忘れ去られた空白の1,000年がある?

シャイレンドラ王朝の滅亡とともにボロブドゥール遺跡も歴史の表舞台から姿を消すことになります。
なぜシャイレンドラ王朝は滅んでしまったのか、いくつかの説があるもののはっきりとしているわけではありませんが、王朝同士の対立や近くにあるメラピ火山の噴火など複合的な要因が重なり、10世紀前半以降にこの地を支配していた王朝がその都を東ジャワに遷都したと考えられています。
この地域が政治的な中心ではなくなったこと、そしてメラピ火山の噴火ででボロブドゥール遺跡も荒廃の一途を辿っていたと思われるものの、15世紀の中国銭や中国陶磁器がボロブドゥールから出土していることから、この時代にもボロブドゥールを訪れ続けていた巡礼者があった形跡があります。
時が流れて1814年、イギリスがジャワを統治していた時代にボロブドゥール遺跡の話を聞きつけたジャワ副総督のトーマス・スタンフォード・ラッフルズという人物が、オランダ人の技師ヘルマン・コルネリウスを調査に派遣することで、ボロブドゥール遺跡が再び日の目を見ることになりました。
ただ、彼らがボロブドゥール遺跡を確認したときには長年の雨で遺跡は陥没し、木々が生い茂って周りの森林に埋もれていたといいます。
頂上にあるあの巨大なストゥーパに至っては、地面に倒れていたということですから、いかに遺跡が荒れ果てていたかが分かりますよね。
彼らが再発見、発掘した後再びジャワがオランダの統治に戻ると、オランダが主導でボロブドゥール遺跡の研究及び修復が始まりますが、あれだけの巨大な遺跡の研究と修復には大掛かりな予算と時間を要します。
下手をすると崩壊の危機もある状態だったことから、解体の声が上がった時期もあったようですが、最終的には戦後に独立したインドネシアが国家プロジェクトとしてボロブドゥール遺跡の保護を決断、1970年から80年代にかけてユネスコによる修復プロジェクトを経て今の姿に至っています。
ボロブドゥール遺跡は仏教の教えを体感できる巨大な装置!?

ボロブドゥール遺跡の構造
先ほど、ボロブドゥール遺跡はそれ自体が巨大な曼荼羅(まんだら)を表している、とお話ししましたが、改めてこの遺跡の構造をご紹介します。
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階層 |
構造 |
回廊の浮彫 |
仏教世界 |
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第1層 |
基壇(隠されている) |
因果応報を説く「分別善悪応報経」 |
欲界(カマダトゥ) |
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第2層 |
方形壇(1層目) |
仏陀の生涯(方広大荘厳経) 前世物語(本生譚)(譬喩譚) |
色界(ルパダトゥ) |
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第3層 |
方形壇(2層目) |
善財童子の巡礼(華厳経-入法界品) |
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第4層 |
方形壇(3層目) |
善財童子の巡礼(華厳経-入法界品) |
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第5層 |
方形壇(4層目) |
善財童子の巡礼(華厳経-普賢行願讃) |
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第6層 |
方形壇(5層目) |
‐ |
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第7層 |
円形壇(1層目) |
‐ |
無色界(アルパダトゥ) |
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第8層 |
円形壇(2層目) |
‐ |
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第9層 |
円形壇(3層目) |
‐ |
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大ストゥーパ |
円形壇(3層目) |
‐ |
ボロブドゥール遺跡は小高い丘の地形を利用して造られており、その形状はピラミッドのように下(地上)から上に行くほど小さくなっています。
ピラミッド型なので階層になっているわけですが、各階層の造りをまとめたのが上の表になり、第1層が基盤に当たる地上、第9層が最上段ということになります。
表の一番右側の列にある「仏教世界」というのは、仏教においていわゆる悟りの境地である涅槃(ねはん・ニルヴァーナ)に至るまでの過程を示しており、
- 欲界:欲望にとらわれた人々の世界
- 色界:欲望は離れたがなお名と形に縛られた地上の世界
- 無色界:肉体を離れ、涅槃において神々と一体となる世界
を表しています。
つまり、ボロブドゥール遺跡は下(地上)から上にあがっていくことで現世の煩悩や欲から解放されて、究極的には肉体すらも超越した悟りの境地に至ることができる、ことを示しているのです。
ではどうやって?
その答えは、巡礼者がボロブドゥール遺跡に足を踏み入れてから頂上にたどり着くまでの順路にあります。
地上から頂上まで、ボロブドゥール遺跡が巡礼者を誘う仏教の世界

仏教における方角
ボロブドゥールはピラミッド状の構造をしていますが、その四方いずれにも階段が設置されて足を踏み入れることができるようになっています。
ですが、正式な順路としては東側から入り、それぞれの階層を時計回りに回って一段ずつ上に上がっていく、という流れと考えられています。
なぜ東側から入るのか?
「東」は太陽が昇る方角であることから「始まり」の方角とされています。
さらに、方形壇には仏龕(ぶつがん)に安置された仏座像が置かれていますが、よく見ると四方の方角でそれぞれの座像の印相(いんそう・手の組み方)が違っているのです。
この印相の違いは、密教、その中でも金剛界における四仏(しぶつ・中心の大日如来の周囲に配置される如来)を表しているとされていますが、東はその中でも始まりの印相とされていることも、東から入ることを意味していると言えます。
回廊の浮彫

先ほどお示しした表をご覧頂くと、方形壇の回廊には浮彫が描かれており、それぞれテーマを持っていることがお分かりいただけるかと思います。
それぞれを簡単にご紹介しましょう。
第1回廊:仏陀の生涯(方広大荘厳経)と前世の物語(本生譚)(譬喩譚)

お釈迦様が誕生してから最初の説法(初転法輪)を行うまでの前半生を描いた経典。
「四門出遊(しもんしゅゆう)」
シッダールタ王子(お釈迦様)が城の外に出かけたとき、東門では老人、南門では病人、西門では死者の葬送が、北門で沙門と出会い、生老病死の四苦から抜け出す道として出家を決意した。
本生譚(ほんじょうたん)はお釈迦様がまだ動物だった前世のお話、譬喩譚(ひゆたん)は仏教の教えや因果応報を、たとえ話で分かりやすく説いたお話です。
第2~4回廊:善財童子の巡礼(華厳経)

第2回廊から第4回廊までは華厳経(けごんきょう)の中の入法界品(にゅうほうかいほん)から、普賢行願讃(ふげんぎょうがんさん)までのお話を描いたものになります。
「入法界品」は、とある町の裕福な家庭の息子が文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の説法を聞いて信仰心に目覚め、本物の悟りを得るためにいろいろな人を訪ね歩いて知恵を求める(五十三参(ごじゅうさんまい))巡礼の旅物語です。
そしてその物語のクライマックスとして普賢菩薩(ふげんぼさつ)に導かれて菩薩行を完成させ、悟りの境地に至るのが「普賢行願讃」です。
この浮彫の流れを見て気づいたことはないでしょうか。
そうです、まず初めに仏教を開いたお釈迦様の話から始まり、やがて普通の人(善財童子)が悟りの境地に達するまでの物語を読むことで、自然と悟りを開く心得が身に付くようになっているのです。
回廊の浮彫を追いながらそのストーリーを理解し終えた段階で、仏教世界でいうところの色界からいよいよ無色界の領域に入る準備が出来ていることになります。
円形壇(無色界)の世界

方形壇の浮彫を”読み”終えて、さらに上に進むとそこから円形壇の領域になり、それまでとは違った光景が目の前に広がります。
そこには多くのストゥーパが整然と並べられ、その中には仏座像が置かれています。
方形壇にも仏座像はありますが、円形壇の仏座像が方形壇のそれと異なっている点は、方角に限らずすべての仏座像が同じ印相を組んでいること。この印相を説法印(せっぽういん)と言います。
説法印というのは、仏がこの世、ひいては宇宙の真理を説くときの印相であって、お釈迦様が最初に説法を行った初転法輪印(しょてんほうりんいん)もこの中に含まれます。
つまり、色界/方形壇から無色界/円形壇に到達し、いよいよ悟りの境地にたどり着く準備が出来ている者に対して、仏が真理を説いている姿というわけです。

ここまでくると、なぜそれまでの方形から円形に変わっているか、お分かりかもしれません。
円というのは特定の方角を示しません。つまり、方角による違いが無いということ。
これはまさに欲界や色界といった人間の世界から脱却し、肉体の区別も無くなる悟りの境地を表しているのです。
ちなみに、最上部のストゥーパまでの地上からの高さは35メートル。円形壇もそれなりの高さにあり、そこから一気に周りの視界が開けるのですが、これも悟りの境地に達した者の五感を解き放つ仕掛けになっているように思います。
円形壇の仏座像はほとんどがストゥーパの中に納められていますが、観光客がその全容を観られるように二体だけ、ストゥーパが取り外された状態のものがあります。
この二体もよく見ると仏様の表情が違っているので、訪れた際にはぜひチェックしてみてください。
ストゥーパに納められた仏座像も残念ながら、破損してお顔が無いものが多くあります。
ですが、お顔が残された状態のものもいくつか残されており、ストゥーパの透かしから仏座像のお写真を撮ったり触れたりすることもできます。
訪れたらぜひ観ておきたい!ボロブドゥール遺跡のこだわりポイント
ストゥーパの透かしにも注目!

出典:Arian Zwegers, CC BY 2.0 via Wikimedia Commons
これまでご紹介してきたように、ボロブドゥール遺跡には3段からなる円形壇に数多くのストゥーパが並べられており、透かしによってその隙間から内部を覗くことができます。
ぜひこの「透かし」に注目していただきたいのですが、円形壇の最下部のストゥーパの透かしはひし形に、その上段のストゥーパの透かしは四角形に、そして最上部のストゥーパでは透かしが全く見当たりません。
この透かしの変化も見落としがちではあるのですが、このような変化には当然に何らかの意図があったものと考えられています。

透かしの形の変化について、こちらもはっきりしたことは分かっていませんが、考えられている説は下記の2つです。
- ひし形は四角形に対して不安定さがあることから、下段のひし形→四角形→透かし無しという変化は、悟りの境地、つまり仏様への信仰心が不安定なものから確固たるものへ変化することを表している。
- ストゥーパの数は上段に行くほど減少(32基→24基→16基)し、透かしもひし形から四角形、最後には無くなることで、最終的に最上部の巨大ストゥーパに集約され、中の仏像も見えにくくなり最後には完全に見えなくなる。これは目に見える物質的な世界から形なき世界へ、最後には言葉や形を超えた悟りへ至る仏教思想を表している。
筆者は二つ目の説がしっくりきましたが、皆様はいかがでしょうか。
隠れていた基壇の発見

先ほどお示しした表の第1層で「基壇(隠されている)」を記載をしました。
実は一番下の基壇部分には浮彫は全くされていないものと思われていたのですが、発掘調査の過程で1885年、基壇の背後に別の基壇が存在することが判明し、そこには仏典を題材とする浮彫が確認されました。
なぜ浮彫がなされた基壇が隠されるようにしてあったのか?ここでも考えられる説を2つご紹介します。
- ボロブドゥールはその巨大な建造物を支える基壇がたびたび陥没に見舞われたことから、基盤を補強するためにやむなく新たな基盤を追加したため。
- 基壇には因果応報を説く「分別善悪応報経」(ふんべつぜんあくほうおうきょう)が描かれており、そこには拷問・斬首・強盗といった人間の卑しい行為が描かれているため、一般の人々の目に触れるには不適切と考えられたため。
二つの説をご紹介しましたが、一つ目の説(基盤補強の目的)が通説となっているようです。
この隠されていた基盤の浮彫の全容を直接観るることはできないのですが、一部分だけは今も直接観ることができます。
場所は南東部分にあるのですが、観光者用のルートが決まっており、東側から入って反対側からボロブドゥール遺跡の外側に出た後、ぐるっと遺跡を回って戻るルートの途中にありますので、ぜひチェックしてみてください。
ボロブドゥール遺跡の建築は規格外だらけ?
スケールと技術

さて、ボロブドゥール遺跡が巨大な建造物であるとお話ししてきましたが、訪れてみないとなかなかそのスケールを実感するのが難しいかと思います。
そこで、ご参考までにボロブドゥール遺跡のスケールがわかるデータをいくつかご紹介します。
- 浮彫の数:2,672
- 仏像の数:504
- 周囲の長さ(最下部):1辺118メートル
- 回廊の長さ:合計5,000メートル
- 高さ:35メートル
- 建造に用いられた石材:55,000㎥(用いられた安山岩:200万個以上)
いかがでしょうか。
周囲の長さは決して長くないものの、ピラミッド状に計9層にまで石材を積み上げるだけでもとんでもない労力がかかるでしょうし、さらに積みあげた後に総距離5,000メートルにも及ぶ回廊の浮彫を彫るわけですから、これを8世紀後半から9世紀の時代にやってのけたというのはやはり人類史における大偉業と言えると思います。
さらに驚きなのが、建設に際しては石を積み上げているだけでモルタルといった接着剤はいっさい使われていないこと。
石の組み合わせとバランスだけであの巨大な建造物が成り立っており、崩壊寸前だったとはいえ1,000年もの間崩壊を免れていたのですから、当時の建築技術がいかに高度なものだったのか、お分かり頂けるかと思います。
建造当時は豪華絢爛だった?
今でこそ我々が見ているボロブドゥール遺跡は、安山岩で造られているため黒に近い灰色の外観をしていますが、実は建造された当初は全く違った姿をしていた可能性があったと言われています。
ボロブドゥールが建造された当時は、寺院全体が「ヴァジュラレーパ(Vajralepa)」と呼ばれる「ダイヤモンドのように硬い漆喰」で覆われていたことが分かっており、この漆喰は彩色するための下地であった可能性があるとされています。
白い漆喰の上から彩色が施され、さらに金属装飾もされるなど、今の見た目よりはるかに鮮やかな外観をしていた可能性があるというわけです。
今後、研究や技術がますます進むと当時を再現した姿を楽しめる日がやってくるかもしれません。
唯一無二!ジャワ文化・仏教・ヒンドゥー教が融合するボロブドゥール遺跡
最後に、世界遺産・ボロブドゥール遺跡が持つ唯一無二の魅力についてご紹介したいと思います。
ボロブドゥール遺跡が持つ唯一無二の魅力、それはこの地ならではの文化や風習(ジャワ文化)、仏教、そしてヒンドゥー教の融合がみられることです。
どういうことか、順にご説明します。
遺跡の形状

ボロブドゥール遺跡の最大の特徴は何といってもあのピラミッド型の構造でしょう。
それではなぜこのような形状になったか。
これまでご紹介してきたように、ボロブドゥール遺跡が仏教の教えを具現化したものだとしても、ピラミッド型の仏教建造物というのはとても珍しいのです。
①巨大なストゥーパ
実はボロブドゥール遺跡は、それ自体が巨大なストゥーパを表しているのではないか、という説があります。この説を提唱するだけの興味深い事実もあるのですが、それは別記事で。
そもそもストゥーパというのは仏教寺院で重要な存在であり、ストゥーパの周りを回りながら参拝するのが一般的です。
そう考えると、ボロブドゥール遺跡自体を一つのストゥーパとみなして、各階層の回廊を巡ることでストゥーパの周りを回っている、と言えそうです。
ボロブドゥール遺跡の場合、遺跡全体を一つのストゥーパとみなしつつ、円形壇に並べられた多くのストゥーパが別にある点が非常にユニークであり、これはこの地(ジャワ文化)ならではの形態と言えるでしょう。
②須弥山(しゅみせん)
古代インドにおいて、仏教やヒンドゥー教世界の中心には神聖な山がそびえたっていると信じられており、この山を須弥山(しゅみせん)といいます。
ボロブドゥール遺跡のピラミッド計上は、この須弥山を表したものではないか、という考えもあります。
この建造物が仏教遺跡であることから、この考え方も十分に納得できる話ですし、後ほどご紹介するようにヒンドゥー教の影響を受けていたことを考えるとなおさらです。
③ジャワの山岳信仰
ボロブドゥールの周囲には北東にメラピ山、メルバブ山が、北西にスンビン山、シンドロ山があり、それに囲まれるようにボロブドゥール遺跡があるケドゥ盆地が広がっています。
もともと多くの山があるジャワ島では古くから山岳信仰が根付いており、数多くの噴火を繰り返しているメラピ山もいくつかの伝説が言い伝えられています。
さらに、ヒンドゥー教のリンガが小高い丘の上に祀られていたことなどを考えると、ボロブドゥール遺跡のピラミッド形状には山岳信仰の面影を見て取ることもできそうです。
④王朝の権威の象徴
これだけの巨大な建造物を造り上げたシャイレンドラ王朝は、最盛期においてかなりの力を有していたものと考えられています。
冒頭でご紹介したように、ボロブドゥール遺跡がシャイレンドラ王朝の王廟としての位置づけがあった場合、その威厳を後世に伝えるためにこのような巨大な建造物にしたことも十分に考えられます。
アンコール・ワットがそうであったように、この時代の王朝は死後に宗教上の神と融合して絶対的な存在になるという信仰もありました。
浮彫や装飾
ボロブドゥール遺跡の浮彫や装飾にも、ヒンドゥー教の影響やこの地ならでは(ジャワ文化)の姿を観ることができます。
①浮彫にみられるヒンドゥー教の神
もともと仏教もヒンドゥー教もバラモン教から派生した教えであることもあって、立ち位置が異なる共通の神が登場するのですが、ボロブドゥール遺跡の浮彫にもヒンドゥー教の神々がはっきりと描かれています。
例えば、善財童子の入法界品では悟りの教えを知るために巡礼する中に、ヒンドゥー教のシヴァ神が登場します。
②装飾に見られるヒンドゥー教の影響

ボロブドゥール遺跡をはじめ、インドネシアの仏教寺院には門やアーチの上にカーラ・マカラという魔除けの彫刻が彫られています。
カーラというのはもともとはヒンドゥー教の神で、破壊の神とされていましたがこれがインドネシアでは強力な力を持つ守護神として崇められてきました。

アーチの下部(左右の付け根)にはワニやゾウが合体したような伝説の怪魚「マカラ」の装飾が施されており、カーラとマカラをセットにした装飾は古代ジャワ建築の特徴の一つです。
さらに、中部ジャワはモンスーン気候で多くの雨に見舞われるとお伝えしましたが、雨による水はけをよくするため、ボロブドゥール遺跡には排水口が数多く設置されており、龍の装飾が施されています。
この排水口と装飾も、雨が多いジャワならではと言えるでしょう。
いかがでしたでしょうか。
巨大で精巧な建造物でありながら、詳細を伝える碑文などがほとんど残されていないため未だに多くの謎を抱える世界遺産・ボロブドゥール遺跡。
ボロブドゥールは単なる世界最大級の仏教遺跡ではありません。
ジャワという土地が育んだ文化と、仏教、ヒンドゥー教が交わることで生まれた唯一無二の建築です。
だからこそ、現地では巨大な石造建築として眺めるだけでなく、その一つひとつに込められた意味を想像しながら、今回ご紹介した謎も想像しながら歩くと、楽しさも広がることと思います。
ぜひ一度ボロブドゥール遺跡に足を運んでみてください!
ボロブドゥール遺跡は最下層の一辺が120メートルほどなので、長さだけ見るとそれほど大きさを感じませんが、実際に訪れて観るとその堂々たる存在感に圧倒されました。
実際に中を登り各回廊を回ってみると、外側には視界が開けていますがピラミッド型で各回廊から別の回廊が見えないため、それぞれの回廊の世界にどっぷり浸ることができ、まるで別世界に迷い込んだかのような感覚でした。
そしてこれこそが、仏教の教えを「体感する」ボロブドゥール遺跡の仕掛けなのだと。
(参考:「ボロブドゥール」ジャック・デュマルセ 学芸出版社、「東アジアの華 アンコール・ボロブドゥール」吉村作治 株式会社平凡社、「ボロブドゥール遺跡めぐり」 田枝幹宏 伊東照司 株式会社新潮社、「ボロブドゥール遺跡・ジャワ島 海のシルクロードで栄えたインドネシア王朝」邸 景一 日経BP企画、「アジアの仏教建築 仏陀の歩いた道には蓮の花が咲く」 中川 武 丸善出版、『Borobudur: Masterpiece in Stone: The History and Meaning Behind the World’s Largest Buddhist Monument (Revised Third Edition)』、「Celestial Mysteries of the Borobodur Temple」)
この記事を最後まで読んでくださったあなたへ
この記事をどんな理由で読まれましたか?今後の記事、企画の参考と励みになりますので、ぜひあなたの関心を教えてください。







ストゥーパというのは日本語では仏舎利と呼びますが、もともとはお釈迦様の遺骨を納めるための建造物であり、例えばスリランカのような上座部仏教(仏教の中でも特に厳格な教えを守っている宗派)の仏教寺院においてはストゥーパが中心的な位置づけになっています。
東南アジアでストゥーパというと半円形の形が一般的ですが、インドから中国を経て日本に仏教が伝来する過程でその形は変化し、日本では多重塔がストゥーパに該当します。