【世界遺産】インドネシア・プランバナンの寺院群-なぜヒンドゥー教と仏教が同じ世界遺産に?

インドネシア、プランバナン遺跡
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インドネシアの世界遺産の一つ、プランバナン寺院群はヒンドゥー教と仏教が混在している珍しい世界遺産です。なぜヒンドゥー教と仏教が混在しているのか、プランバナン遺跡の歴史や創建の伝説と合わせてプランバナン寺院群の魅力に迫ります!

【世界遺産】プランバナン寺院群ってどんな遺跡?-構成遺産の紹介

プランバナン寺院(ロロ・ジョングラン)(筆者撮影)

インドネシアの世界遺産、「プランバナンの寺院群」はジョグジャカルタの近郊にある巨大な寺院群です。

最も有名で、かつ規模が大きいのがロロ・ジョングランという別名を持つプランバナン寺院ですが、それ以外にもセウ寺院、ブブラ寺院及びルンブン寺院も構成遺産として登録されています。

計4つの寺院が世界遺産として登録されているわけですが、実はプランバナン寺院がヒンドゥー教の寺院であるのに対し、残りの3つの寺院は仏教寺院です。

日本で古くから根付いている神仏習合(しんぶつしゅうごう)の信仰で、仏教のお寺と神道の神社が同じ世界遺産に含まれる京都は日本人の我々からすると違和感はありませんが、仏教とヒンドゥー教が一つの世界遺産としてまとめられることに違和感を感じられる方がいらっしゃるかもしれません。

この点については後ほど詳しくご紹介します。

以降、本記事においてはロロ・ジョングランを「プランバナン寺院」と表記し、「プランバナン寺院」という表記はロロ・ジョングラン単体を示すものとお考え下さい。

ロロ・ジョングラン(プランバナン寺院)

三神を祀るプランバナン寺院の祠堂

プランバナン寺院は何といっても中央に堂々とそびえる3つの祠堂のスケールの大きさと、それを取り囲むように大小数多くの祠堂が周囲に巡らされている壮観な景観が魅力です。

最も大きな中央の祠堂にはヒンドゥー教のシヴァ神の像が納められており、その両側の祠堂に同じくヒンドゥー教の三神の残りの神、ヴィシュヌ神とブラフマー神の像が納められています。

この3つの祠堂は周囲より少し高くなるように基壇が設けられており、このエリアを内苑として、その周りに小さな祠堂が立ち並ぶ中苑、さらにその外側のエリアとして外苑からなる三重の造りがプランバナン寺院を構成していますが、実際に訪れると写真で見るよりもはるかに広大な敷地に驚かされます。

プランバナン寺院の中苑。多くの祠堂が崩壊している。
多くの祠堂が崩壊してしまっているプランバナン寺院の中苑

創建当時のプランバナン寺院の中苑と内苑には合計で240の祠堂が立ち並んでいましたが、内苑の祠堂は修復が進み当時の姿になったものの中苑の多くは、今も崩れたままの状態です。

ここプランバナン寺院も、同じく世界遺産の仏教遺跡であるボロブドゥール遺跡同様、1,000年近い間忘れ去られていましたが、その間に起こった地震で多くの祠堂が崩壊したと考えられています。

18世紀頃に再発見されその後現在に至るまで修復が続けられていますが、ある文献では再発見から修復の過程においてずさんな掘り起こしを行ったせいで、崩れ落ちた石片がもともとどの場所にあったのかが分からなくなり、これが復旧を極めて困難なものにしているとの記載がありました。

これだけの規模と数の祠堂を当時の姿に戻すことは、広大な砂漠の中から落とし物を見つけるぐらい途方もないこと。

ですが、そこは想像力で崩れた多くの石片がそこかしこに積まれている状態から当時の姿に思いめぐらしてみましょう。

ルンブン寺院(Candi Lumbung)

ルンブン寺院の外観
ルンブン寺院

プランバナン寺院から少し北東に歩いた場所にあるのがこちらのルンブン寺院。

壮大なプランバナン寺院を観た後にこちらのルンブン寺院を訪れると、まだ手の届きそうな大きさにどこかほっとします。

この寺院は9世紀頃の創建と考えられています。

ルンブン寺院は中央の祠堂を取り囲むように16の祠堂が周りに建てられていますが、中央の祠堂は残念ながら上部が崩壊してしまって今はありません。

崩壊した中央の祠堂

「ルンブン(Lumbung)」という名前は地元での呼び名から付けられたもので、インドネシア語で「穀倉」という意味を表すものだそうです。

このような名前が付いたのはこの寺院の構造がジャワの伝統的な食料庫に類似しているから、ということですが、実際にそのような目的の建物だったのかは定かではありません。

ブブラ寺院(Candi Bubrah)

ブブラ寺院

ルンブン寺院のすぐ北にあるのがこちらのブブラ寺院です。

この後ご紹介するセウ寺院、そして先ほどのルンブン寺院とこの寺院の創建時期は同時期であると考えられていることから、建てられたのは8~9世紀頃でしょうか。

こちらは先ほどのルンブン寺院のように周囲を巡らす祠堂がなく、ポツンと一基の祠堂が立っているのみですが、ルンブン寺院の中央祠堂に比べるとやや規模が大きくなっています。

特に注目すべきは祠堂の屋根。

頂上にストゥーパのような形状をしたものがあり、それを取り囲むように少し小さなストゥーパが周りにも並べられていますよね。

その形状はどこか世界遺産・ボロブドゥール遺跡をほうふつとさせます。

セウ寺院(Candi Sewu)

セウ寺院

ブブラ寺院をさらに北に進むと、また少し規模の大きな寺院が見えてきました。

こちらはセウ寺院と呼ばれており、「セウ」というのはインドネシア語で「千の」という意味です。

多くの祠堂が崩壊してしまっていますが、崩壊後からもこの寺院にいかに多くの祠堂が建てられていたかお分かり頂けるかと思います。

実際の祠堂の数は、中央の大きな祠堂を取り囲むようにして全部で249あるそうで、千には及ばないものの、すべて建てられていればおびただしく建てられた祠堂の数に圧倒され、まるで千あるような感覚になったのではないでしょうか。

ちなみに先ほどご紹介したように、こちらのセウ寺院は仏教寺院になりますが、構造といい見た目と言い、プランバナン寺院と同じように見えませんか?

セウ寺院の祠堂に残された仏座像
セウ寺院の祠堂に残された仏座像

セウ寺院の中央にある最も大きな祠堂の中には何も残されていません。

その構造と外観だけ見るとプランバナン寺院ととても似ているため、ヒンドゥー教寺院かと思ってしまいますが、かろうじて残されている周囲の祠堂の仏座像が、この寺院が仏教寺院であることを教えてくれています。

ロロ・ジョングラン(Loro Jonggrang)の伝説

先ほどプランバナン寺院は別名ロロ・ジョングラン(Loro Jonggrang)という名前があるとお話ししましたが、地元ではこちらの名前の方が広く親しまれています。

ロロ・ジョングランとは、インドネシアの言葉で「細身の処女」という意味があるのですが、この名前はジャワに古くから伝わる伝説の主人公の名前でもあるのです。

このロロ・ジョングラン伝説をご紹介しましょう。

ロロ・ジョングラン伝説

ジャワのメダン・カムラン王国の国王であったバカという王には、その美貌が遠方にまで広く知れ渡っているロロ・ジョングランという一人娘の王女がいました。

その美貌ゆえに多くの王子から求婚を受けていたロロ・ジョングランですが、ある時バンドゥン・ボンドソヴォという王子が彼女に結婚を申し込みました。

これに対して国王のバカは、「私に勝ったら娘をそなたに与えよう」と告げ、二人の戦いはバカ王が敗れて討ち取られてしまうことで決着がつきました。

約束は約束なのでバンドゥン・ボンドソヴォと結婚しなければならなくなったロロ・ジョングランですが、相手は父を殺した相手であり、そんな男と結婚するつもりは毛頭ありませんでした。

そこで彼女は結婚の条件として、「一夜のうちに千の寺院を建てることができればあなたと結婚しましょう。」と、到底不可能な無理難題を突き付けたのです。

ところが、バンドゥンは父親の助けを借り、精霊の軍勢を使って次々に寺院を建てていき、999の寺院が完成。残り1基で千の寺院が完成するところまで来ました。

このままでは結婚することになってしまう―。

焦ったロロ・ジョングランに一人の侍女がある知恵を持ち出します。

「臼で米をつく音を鳴らしましょう。」

王女がその通りにすると、その音を夜明けの農作業と勘違いした雄鶏たちが一斉に鳴きだし、精霊たちは夜明けが来たものと勘違いして、太陽の光を恐れて姿を消してしまいます。

こうしてすんでのところで千の寺院は完成しなかったものの、王女の策略を知ったバンドゥン王子は激怒。

怒ったバンドゥン王子はロロ・ジョングランを石に変えてしまいました。

石にされてしまったロロ・ジョングランですが、その後、シヴァ神によって神像になりました。

プランバナン寺院のシヴァの祠堂には北側にドゥルガー女神像という像が祀られていますが、この像こそが石化されたロロ・ジョングランだと信じられています。

プランバナン寺院の注目ポイント-ヒンドゥーの三神と浮彫

ヒンドゥーの三神が祀られている内苑

三神の祠堂

プランバナン寺院の案内板より

こちらはプランバナン寺院に設置されている中苑と内苑の案内板から抜粋したものになります。

間近で観るとあまりに大きすぎてその違いがなかなか分かりにくいのですが、内苑に建てられたシヴァ・ヴィシュヌ・ブラフマーの祠堂のうち、最も大きくて高いのが中央にあるシヴァ神の祠堂で(上図案内板の①)、その高さはなんと47メートル。

そしてシヴァ神の南側にブラフマーの祠堂、北側にヴィシュヌ神の祠堂があり、それぞれの神像も納められています。

シヴァ神の祠堂が他の二伸に比べてより強調されているのは、高さの他に、祠堂に納められている神像からも読み取ることができます。

シヴァ神の祠堂にはシヴァ神の神像だけでなく、南の側室にアガスティア像、西の側室にガネーシャ像、北の側室に女神ドゥルガー像が置かれており、ブラフマーとヴィシュヌの祠堂に比べてもその違いが明らかです。

ちなみにドゥルガー像とロロ・ジョングラン伝説のつながりについて先ほどご紹介しましたが、ドゥルガー女神はシヴァ神の妻、そしてガネーシャはシヴァ神の息子の神とされています。

ガネーシャは日本でもなじみのある神様ですよね。ちなみにガネーシャの顔が象である理由はご存じでしょうか。

ガネーシャの顔が象になったエピソード

神聖な水浴場の番を任されたガネーシャは、ある日父親のシヴァ神がそこで水浴びしているのを見て、父親と気づかずに水浴場から追い出してしまいます。

これに激怒した父のシヴァ神は、なんとガネーシャの頭を切断。

これを知って悲しんだ母親を見て、やりすぎたと思ったのかシヴァ神は息子を生き返らせ、通りがかった象の頭を切って頭の無い息子に身体にくっつけました。

ヒンドゥー教に限った話ではないですが、神話というのはなぜこうも極端なのでしょうか。。

アガスティアというのは南インドの聖仙たちの長であると言われており、インドの古典物語である「ラーマーヤナ」にも出てくる人物です。

ヴァーハナ堂

シヴァ、ビシュヌ、ブラフマーの三神の祠堂の東側には小さな祠堂がそれぞれの神様の祠堂と向かい合うようにして3つ並んでいます。

この祠堂はヴァーハナ堂と呼ばれているのですが、「ヴァーハナ(Vahana)」というのはヒンドゥーの神様たちが乗っていたとされる聖獣のこと。

シヴァ神はナンディ(Nandi)と呼ばれる牛に、ヴィシュヌ神はガルーダ(Garuda)と呼ばれる神鳥、そしてブラフマーはハムサ(Hansa)と呼ばれる白鳥のような神鳥に乗っているとされています。

この3つのお堂がヴァーハナ堂と呼ばれたのは、中央のお堂にナンディの像が祀られているからなのですが、残り2つの堂には現在は何も祀られていません。

このことと、プランバナン寺院がシヴァ神を最高神と位置付けていることから、残り2つのお堂はヴィシュヌ神とブラフマー神のヴァーハナではなく、シヴァ神に関連するお堂だったのでは、という説もあります。

三神の祠堂に描かれた浮彫

シヴァ神の祠堂に描かれたラーマーヤナの浮彫

プランバナンの祠堂の周りには豪華な浮彫の装飾がなされていますが、ひと際豪華なのがやはりシヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマーの三神の祠堂です。

シヴァ神の祠堂とブラフマー神の祠堂にはインドの古典物語である「ラーマーヤナ」の場面が描かれており、ヴィシュヌ神の祠堂には「クリシュナ」の物語が描かれています。

「ラーマーヤナ」と「クリシュナ」はどちらもヒンドゥー教にとって重要な教典になるものですが、内容については別記事でご紹介します。

【世界遺産】プランバナンの寺院群が伝える異宗教の共存

プランバナン寺院はなぜ創建されたのか?

これまでプランバナン寺院(ロロ・ジョングラン)にはヒンドゥー教の三神を祀る祠堂が中央に置かれており、そこには「ラーマーヤナ」の浮彫が描かれていることをご紹介しました。

これらから、プランバナン寺院がヒンドゥー教の世界を示していることは間違いないのですが、この寺院が創建された目的はどこにあったのでしょうか。

例えばカンボジアの世界遺産アンコール・ワットはヒンドゥー教のビシュヌ神を祀る寺院であるとともに、創建したSuryavarmanⅡ(スールヤバルマン二世)の王墓であること、浮彫にはスールヤバルマン二世も描かれていることから、スールヤバルマン二世がその死後にヴィシュヌ神と結びついて王権が神の正統な血筋であることを示す狙いがあったと考えられています。

プランバナン寺院でも、発掘調査の過程で埋葬品のようなものや遺骨が見つかったものの、創建した王が埋葬されたことを示す確定的な証拠は見つかっていません。

これだけのスケールの寺院を創建したことはヒンドゥー教の布教と拡大を狙ったものと考えられる一方、冒頭でご紹介した通りすぐそばには仏教寺院のルンブン寺院、ブブラ寺院、セウ寺院が建てられていたことが気になります。

プランバナン寺院やボロブドゥール遺跡がある中部ジャワ地域は、ヒンドゥー教が伝わったあとに仏教も入り込むなど、その時々の王朝で信仰する宗教が変遷していました。

また、これらの王朝についても明らかになっていない部分が多く、研究者の間でもプランバナン寺院の創建目的が次のいずれなのか、見方が分かれていました。

  • もともとこの地域を支配していた仏教国であるシャイレンドラ王朝から、支配が新たにヒンドゥー教の王朝に移り、王朝の権威と仏教遺跡に対抗を示すヒンドゥー教の寺院が必要だった
  • 仏教とヒンドゥー教という異なる信仰が存在していたものの、両者で対立があったというよりもそれぞれの存在を認め共存しており、その中でヒンドゥー教の王朝が台頭し、ヒンドゥー教寺院の創建に至った

プランバナン寺院は、誰が何のために建てたのか―。

その謎に迫るために少し歴史を紐解いてみましょう。

プランバナン寺院の歴史から紐解く異宗教の共存

これまでプランバナン寺院がいつ、誰によって創建されたのか、その目的についてもはっきりしたことは分かっておらず、研究者の間でも議論が分かれていました。

ですが、当時の碑文が発見されたことで徐々にその全貌が明らかになります。ここでは2つの碑文をご紹介します。

まず1つ目が、856年の記録とされるシワグルハ碑文です。

この碑文では「第6代のピカタン王の時世に、”シヴァの家”が造られた」という記録が残されており、記載された”シヴァの家”の特徴がプランバナン寺院と類似していることから、これがプランバナン寺院を示していると考えられました。

ここからプランバナン寺院が856年に碑文にあるピカタン王によって創建されたのでは、との見方が出ました。

そして碑文に記録されたピカタン王は、当時シャイレンドラ王朝とは別に存在していたヒンドゥー教王朝である旧マタラム王国の王ではないか、とする考えも。

ですが、まだこの碑文だけではシャイレンドラ王朝とマタラム王国が共存していたのか、シャイレンドラ王朝を旧マタラム王国が滅亡に追い込んだのかは分かりません。

その後、2つ目の碑文、ワヌア・テンガIII碑文という碑文が発見されました。

この碑文では先ほどのピカタン王を含む12人の王の名前とその即位と退位の時期も記録されていたのです。

これによるとピカタン王の時世は実は先ほどのシワグルハ碑文が記録された856年の一年前、855年までとなっていることが判明しました。

2つの碑文を合わせるとピカタン王の在位(855年)とシワグルハ碑文(856年)の関係をどう読むか、という問題は残りますが、プランバナン寺院は概ね9世紀中頃には落慶されていたと考えられそうです。

これほどの規模の寺院ですから、その造営には数十年を要すると仮定するならば、シャイレンドラ王朝を旧マタラム王国が滅ぼしてプランバナン寺院を創建したと考えるには時系列が合わなくなってしまう、という見方が出来ます。

さらに、他の記録から仏教王朝であるシャイレンドラ王朝のプラモダヴァルダーニ王女が旧マタラム王家に嫁いだことが明らかになっています。

もちろん政略的な結婚であった可能性はありますが、少なくとも仏教とヒンドゥー教が完全な対立関係にあったのならばこの婚姻関係が成立したというのも腑に落ちません。

これらのことから、8世紀から9世紀にかけては仏教とヒンドゥー教がこの地域で共存していたのではとの考えが生まれ、この考えに基づけばプランバナン寺院は仏教寺院であるセウ寺院と似た特徴がみられるのも納得です。

プランバナン寺院が創建された時代、仏教勢力とヒンドゥー教勢力が共存していたという見方はあるものの、完全な解明には至っていません。
ちなみに、世界遺産センターのホームページではこの世界遺産の概要に「過去の宗教的な平和共存の証が見られる」との記載がなされています。(https://whc.unesco.org/en/list/642

最後にプランバナン寺院とセウ寺院の共通点をご紹介しましょう。

ヒンドゥー教のプランバナン寺院と仏教のセウ寺院に見られる共通点

セウ寺院

寺院全体の構造に見られる共通点

プランバナン寺院とセウ寺院の共通点の一つ目が、寺院全体の構造が類似しているという点です。

プランバナン寺院は内苑に三神の祠堂がある一方、セウ寺院は中央に最大の祠堂が一つある点は違いますが、いずれもこれらのメインの祠堂を中心としてその周りを多くの小さな祠堂が幾何学的に取り囲んでいる構造は同じです。

なぜこのような構造になっているかというと、どちらの寺院でも中央の祠堂がヒンドゥー教、仏教のいずれにおいても聖山である須弥山(Meru山)を表していると考えられているからです。

中央に最も高くて大きな祠堂を配置し、その周りに小さな祠堂を配置することで遠くから観たときに全体が三角形のフォルムになり、まさに壮大な山のように見えませんか?

さらに、プランバナン寺院もセウ寺院も東西南北に通路が設けられており、十字型に平面が作られていることも同じです。

個々の祠堂に見られる共通点

続いて祠堂そのものについてもプランバナン寺院とセウ寺院を見てみましょう。

先ほど、寺院全体が中央を最も高い配置として山形になっているというお話をしましたが、個々の祠堂を見てもプランバナン寺院はやや急な傾斜になっていますが、どちらも三角形のシルエットになっています。

さらに、どちらも基壇と屋根、そしてその間にある身舎の3つのパーツから成っている構造も同じです。

さらに、下から上に向かうほど装飾などを小さく細かくすることで、遠近法の効果が出て実際の高さよりもさらに高さを感じることができる造りも両者に見られます。

いかがでしたでしょうか。

ヒンドゥー教の寺院としてもそのスケールや緻密に造られた構造は圧倒的で素晴らしいプランバナン寺院。

ですが、この地で栄えた仏教と共存関係にあった中で、それぞれに影響しあう関係であったことを踏まえるとこの寺院の見方が変わってくるかと思います。

ぜひ世界遺産・プランバナンの寺院群を訪れる際には、ヒンドゥー教と仏教の共存について思いを巡らせながら楽しんでみてください!

取材後記

プランバナンの寺院群は祠堂の中まで登って入ることができるので、間近で祠堂の装飾や内部の神像などを楽しむことができ、自由に散策できる楽しい世界遺産でした。

写真で見るよりも実物の方がはるかに大きく、敷地も広大でなかなか寺院の構造や全体像は把握しづらいですが、その分ナマで観る迫力は感動ものです。

観光客は思い思いに写真を撮ったり木陰で涼んだりするなど、のんびりとした時間が流れていました。

今回ご紹介したロロ・ジョングラン、ルンブン寺院、ブブラ寺院、セウ寺院は同じ敷地内にあるので、セウ寺院も合わせて観ることをおススメします。

(参考:「In praise of Prambanan」 Roy E. Jordaan、「Candi Prambanan dan Candi Sewu dalam Perspektif Arsitektur」 Rahadhian PH、「ボロブドゥール遺跡めぐり」 田枝幹宏 伊東照司 株式会社新潮社、「ボロブドゥール遺跡・ジャワ島 海のシルクロードで栄えたインドネシア王朝」邸 景一 日経BP企画)