奈良の世界遺産、法隆寺。
世界最古の建造物がある西院伽藍や、夢殿がある東院伽藍など、多くの国宝とともに見どころも満載です。
静かで神聖な境内を歩きながら、建物を観るだけでも十分に楽しめますが、今回は、西院伽藍の五重塔・金堂・中門・回廊及び経蔵・鐘楼と東院伽藍の夢殿にスポットを当てて、見どころをご紹介します!
これを読めば、さらに法隆寺の楽しみ方が広がります!
【世界遺産】法隆寺の見どころ①正院伽藍
五重塔、金堂がある西院伽藍は、間違いなく法隆寺で一番の見どころでしょう。
また、西院伽藍の五重塔、金堂、回廊及び中門は飛鳥時代に創建されたもので、これらが世界最古の木造建築として知られています。
それでは、1つずつじっくり見ていきましょう。
中門
西院伽藍の入口に位置するのが、こちらの中門です。両側には金剛力士像が立ち、ここから先の聖なる領域を護っています。
この中門で注目すべきなのが、入口の造りです。
お寺の建物を見る時、柱と柱の間を1間とし、その数で広さや造りを表します。法隆寺の中門でいうと、入口は4間、奥行きは3間となっているのですが、この造りは一般的なお寺の造りとは違っているのです。
通常、入口は3間や5間といった、奇数で造られることがほとんどです。
なぜかというと、奇数ということはその中央には必ず入口が設けられるからです。
一方で、法隆寺の中門のように4間の造りの場合、2つの入口の間、建物の中央には柱が建つことになります。
なぜ中門の入口が4間で造られたのか、その理由は定かではありません。
中門から先の五重塔や金堂を聖なる領域とした場合、その空間と外部の空間を隔てる意味で中門があるものと考えられ、そうすると中門は「入口」ではなく、それを挟んだ両側の域を分断する「区切り」としての役割を持つため、その中央に柱を建てたものと考えられそうです。
回廊
美しい景観のヒミツ
まず、西院伽藍を真正面から眺めると、金剛力士像が並んだ中門と、それを中心に、後ろにそびえ立つ五重塔と金堂の姿がバランスよく並んだ美しい姿を確認することが出来ます。
美しく見えるヒミツの1つとして、中門の中心点から、五重塔及び金堂の中心点までが等距離であることが挙げられます。
分かりやすいように、西院伽藍の図面を上に示してみました。
上図の通り、中門は、五重塔と金堂の中心地点を結んだちょうど真ん中の線上に、その中心が置かれています。
さらに、五重塔の中心と、金堂の中心も、同じ線上に配置されていて、両者からそれぞれの回廊の柱までも同じ7間の距離になるように造られているのです。
回廊は左右非対称
それぞれの建物の中心軸をバランスよく配置しているため、厳密には西院伽藍の回廊は左右対称になっていません。中門が回廊の中央に造られていないからです。
細かいですが、中門から東方向には10間、西方向には9間の長さとなっており、やや東の方が長く造られています。
基本的に回廊は左右対称に造られているものが多く、法隆寺の西院伽藍のように左右非対称の回廊は、珍しいです。
五重塔は縦に長く、金堂はどちらかというと横にどっしりと構えている建物であるため、中門も合わせたバランスを中心軸でとらえた結果、このような造りになったと考えられます。
回廊や金堂の柱
エンタシスの柱
西院伽藍には、回廊や金堂を含め、たくさんの柱が建物を支えています。
この柱、よく見ると上下に至るまで太さが均一に造られているわけではなく、中央からやや下、下の1/3ほどの部分が最も太くなっています。
これに類似する造りとして、パルテノン神殿の柱があります。
パルテノン神殿の柱も西院伽藍の柱と同様、太さは均一でなく、こちらは上に行くほど細くなっています。
ですので、厳密に言うと法隆寺とパルテノン神殿の柱は異なるデザインなのですが、その類似性から、法隆寺の柱も「エンタシスの柱」と呼ばれています。
それにしても、パルテノン神殿は石造りの建造物でこちらもギリシャの世界遺産の1つ。法隆寺とパルテノン神殿の間に、不思議なつながりを感じますね。
柱に見られる修復
西院伽藍の柱をご覧いただく際、その根元や1つ1つの柱を注意深く観てみると、継ぎ足しの跡や修復の跡が多くあるのに気づきます。
木造建築は時と共に傷むものなので、絶え間ない修復と維持管理が必要です。
ぜひ、柱の状態を観ながら、長い時をかけてこの場所に建っている法隆寺を感じてみてください。
五重塔
続いて五重塔の見どころをご紹介します。遠くからでも、間近で観ても、その美しさには目を奪われてしまう五重塔ですが、もちろん、「美しい!」と私たちが感じるのには、ちゃんとした理由があったのです。
美しさのヒミツ
五重塔は、その名の通り見た目は5階建ての建物となっていますが、一番下から「初重」、「二重」・・と数え、一番上を「五重」と呼びます。
ちなみに、上の写真を見ると、ご「五重塔」なのに屋根のようなものが6つあります。
実は一番下の屋根のようなものは、「裳階(もこし)」と呼ばれるもので、屋根の下に付けられた庇(ひさし)のこと。
これは1つの塔としては数えません。
初重から五重への変化
まず、間近で観ると気づのが、屋根の大きさが初重から五重へ行くほど小さくなっているということ。
一番上の五重は、初重(約6.41メートル)に比べて約半分の大きさになっています。
多重塔では、このように上に行くほど小さく造られることが通常ですが、法隆寺のように一番上が初重の約半分の小ささになっているのは、逓減率(小さくなる減り方)としてはやや大きくなっています。
上に行くにつれての減り方も、実は均等に造られています。
飛鳥時代から奈良時代にかけての建築物を測る長さの単位として、「支」という単位があります。
これは、建物の垂木の間隔で約26.8センチとされ、「間」はその整数倍の長さに設けられています。
この「支」という単位で測った場合、五重塔の初重から五重にかけて、3支ごとに幅が小さくなっていることが分かっています。
ちなみに、初重の幅は24支であり、五重の幅が12支なので、ちょうど半分ですよね。
五重にだけ見られる違い
もう1つ、五重塔の美しさを演出しているのが、一番上の五重にだけ見られる2つの特徴です。それは、
①初重から四重までは3間、五重だけ2間の造り
②五重だけ屋根の曲線が少し急な角度で造られている
こと。
五重塔の上の3つの塔の部分を拡大してみました。
先ほどお話しした2つの特徴の内、①については木の欄干を見ると違いが分かりやすいですね。下の2つの塔は欄干が3つに分かれていますが、一番上の五重だけは2つにしか分かれていません。
②の特徴も五重の屋根の曲線と、一番下の屋根の曲線を見比べてみるとその傾斜の違いがよく分かります。ちなみに、初重から四重までは同じ傾斜となっています。
飛鳥時代建築の特徴
続いて、世界最古の木造建築でもある五重塔。その醍醐味でもある、飛鳥時代の建築様式の特徴をご紹介します。
二重基壇
五重塔はついつい上を見上げてしまいがちですが、地面付近にも注目してみましょう。そこにある特徴が見られます。
それは、土台が2重の構造になっていること。塔内へ入る階段の横を見てみると、台が2重に建てられていることが分かると思います。
連子窓
五重塔の入口に設けられている窓は、連子窓(れんじまど)と呼ばれており、棒状の木の板が細かく横に並べられているのが特徴です。
初重の裳階
先ほどお話しした通り、五重塔は屋根が6つあるので、六重塔に見えてしまいますが、一番下の屋根は、裳階といって初重の塔を補充する庇の役割を持っています。
高欄
続いて、各塔に設けられた高欄に注目してください。下半分に、卍型を崩したような形の木が張り巡らされています。こちらも飛鳥時代の建築様式の特徴です。
雲斗(くもと)と雲肘木(くもひじき)
屋根を下から覗き込んでみてください。そこにも、飛鳥時代の建築様式の表れを観ることができます。
屋根を支えるために、屋根の下からいくつかの木の組物が外側に突き出ているのがお分かりでしょうか。この組物をよく見ると、屋根と平行に斜めに突き出た1本の木と、その下の壁から地面に水平に出ている木の板から構成されています。
この、地面から水平に出ている木の板の部分を雲肘木(くもひじき)と呼んでいます。その名の通り、雲のような形をしていますよね。
雲斗(くもと)というのは、壁に沿って「山」の形に取り付けられた木の枠組みの部分を指します。
設計のヒミツ
五重塔は、その名の通り5つの塔がそびえ立っているので、5階建ての建物と思われがちですが、実はそうではありません。
というのも、5つの塔にはフロアの区切りは無く、初重から塔のてっぺんまで突き抜けになっているからです。このため、正確には「1階建て」のいうことになります。
塔の中はどうなっているかというと、地面から塔を支える心柱が五重まで伸びています。
心柱は、もともとは地面に埋められて塔を支えていたそうですが、現在は地中に埋めず、地面に建てられた状態になっています。
五重塔はその長い歴史の中で、地震による崩壊が一度もありませんでした。それだけ耐震設計にも優れていたということです。
この五重塔の耐震設計が、スカイツリーにも応用されているというから驚きです。1,300年も前の建築技術が現在も通用するというのは、すごいという他ありません。
金堂
続いて、五重塔と並び建つ金堂について見ていきます。
金堂の建物の特徴は、五重塔とほぼ同様です。二重基壇、連子窓、裳階、卍崩しの高欄など、五重塔と同様に金堂でも観ることが出来ますので、ぜひこちらも確認してみてください。
なお、金堂では高欄の下に「人」の形と「山」のような形をした木の模様があるのがお判りでしょうか。これは「人形束」と呼ばれていて、こちらも飛鳥時代の建築様式の特徴の1つです。
経蔵と鐘楼
最後に、西院伽藍の大講堂の両隣にある経蔵と鐘楼についてもご紹介しておきます。
この2つの建物は、その名の通り全く違う役割を持っていますが、不思議とその大きさ、造りは類似しています。どちらも横3間、奥行き2間の造りです。
虹梁(こうりょう)と蟇股(かえるまた)
構造も大きさも類似している経蔵と鐘楼。
ですが、これらが建てられた時代は異なっていて、経蔵が天平時代、鐘楼が平安時代に入ってから建てられたものです。
この、建立された時代の違いがどこに現れているかというと、建物の側面の壁に装飾されている蟇股と虹梁です。
経蔵と鐘楼には虹梁が二重に飾られており、その間に2つの蟇股と、上の虹梁にも1つの蟇股が飾られています。
この虹梁と蟇股の形が、経蔵と鐘楼では少し異なっているのです。
よく観てみると、虹梁は経蔵の方が少し両端の弧が強調されているように見えます。一方の蟇股は、鐘楼には少し波のような入れ込みが造られていて、より装飾として強調されているように見えます。
五重塔と金堂だけでなく、経蔵や鐘楼の虹梁と蟇股もぜひ違いを確認してみてください。
【世界遺産】法隆寺の見どころ②東院伽藍
続いて、東院伽藍の夢殿について見どころをご紹介します。
夢殿
東院伽藍の一番の見どころは、何といっても中央に建てられている夢殿です。その美しい八角形の円堂は、一度目にすると忘れることが出来ないくらい、たちまち魅入られてしまいます。
【世界遺産】法隆寺を100倍楽しむためのマメ知識4選でご紹介した通り、東院伽藍は西院伽藍よりも後の時代に造られました。
この夢殿は、創建後に鎌倉、江戸、昭和時代に三度の大規模改修が行われており、今私たちが見ている夢殿は、創建当初の夢殿と少し形が変わっています。
どこが変わったかというと、屋根の勾配です。天平時代に創建された当初は、屋根は現在の夢殿よりも少し緩やかに造られていたと考えられています。
鬼瓦
夢殿には、8か所に2つずつ鬼瓦が装飾されています。
この鬼瓦、よく見ると、手前(屋根の下、先端)の鬼瓦の鬼の表情が、奥の鬼の表情に比べて穏やかな表情になっています。
この手前の柔和な表情の鬼瓦が、創建当初、奥の険しい表情の鬼瓦は鎌倉時代の改修で造られたと考えられています。
西円堂と夢殿
法隆寺には、夢殿のほかに、もう1つ円堂が設けられています。
それがこちらの、西円堂。東院伽藍からは反対側、西院伽藍のさらに西の少し高台にあります。
こちらの西円堂も、夢殿や西院伽藍と同様国宝に数えられている貴重な建物です。ですが、夢殿と比較するとその外観は少しシンプルに造られているのがお判りいただけると思います。
夢殿は木の組物も複雑に装飾されており、円堂の中央に飾られている宝珠も、西円堂はシンプルですが、夢殿のそれは立派な装飾が付けられています。
やはり太子信仰の聖地である法隆寺の中でも、夢殿は特別な場所なので、西円堂とこれだけの違いが出ているものと思います。
鐘楼
夢殿を取り囲む回廊の外側にひっそりと建っているのが、こちらの鐘楼。
この鐘楼も国宝の1つであり、その形にも大きな特徴があります。
鐘の下に設けられている台形の土台は、袴腰(はかまごし)と言われており、袴腰が付いた鐘楼としては、この鐘楼が日本最古のものになります。
以上、いかがでしたでしょうか。
挙げるときりがないぐらい見どころが多い法隆寺の中でも、一番の見どころである西院伽藍の中門、回廊、金堂と五重塔。そして東院伽藍の夢殿。
ぜひ今回ご紹介したお話を頭に入れて法隆寺をじっくり味わってみてください!