世界遺産の楽しみ方

【世界遺産】姫路城の特別公開エリア(東小天守、乾小天守、イ・ロ・ハの渡櫓、折廻り櫓)の詳細レポート!

1993年に法隆寺と共に日本で初めての世界遺産に登録された姫路城。30周年を記念して、2023年に普段は非公開のエリアが特別公開されました。

今回は、2023年夏の特別公開で公開された乾小天守、東小天守、イ・ロ・ハ渡櫓、折廻り櫓の全6エリアをご紹介します。この6つのエリアが同時に公開されるのは2009年以来、14年ぶりというとても貴重な機会なんです。

直接現地に赴けなかった方もこの記事で少しでも雰囲気を感じて頂ければ幸いです。

姫路城が世界遺産に登録された理由は?

西の丸からの姫路城

ある文化遺産(城や寺、神社、その他建築物等の不動産)が世界遺産として登録されるには、厳格な基準とプロセスを経て最終的に世界遺産委員会の場で登録が採択されなければなりません。

文化遺産が満たすべき価値基準というのは明確に定められており、6つある基準の内、少なくとも1つ以上を満たす必要があります。

1993年に姫路城が世界遺産に登録された際、6つの基準の内、姫路城は以下の2つの基準を満たすものと認められました。(頭の番号は基準の番号を表しています。)

(ⅰ)人間の創造的才能を表す傑作である。
(ⅳ)歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。

上記は定義のため少し堅苦しく難解かもしれませんが、姫路城の価値を上記に合わせて簡単に言い換えてみると、

・芸術的、美的にも卓越した建築物である
・日本の歴史において、重要な局面や性質を今に伝えるお城である

と言うことかと思います。

1つ目の芸術的、美的に素晴らしい建築物である、と言うのは「白鷺城(しらさぎじょう)」という別名が付いている通り、平成の大修理で当時の姿に生まれ変わった真っ白でスラっとした外観のフォルムを目にすれば、誰しも感じるのではないでしょうか。

2つ目の理由として、姫路城が今の外観に完成したのは江戸時代に入ってすぐ、池田輝政と本多忠政が城主を務めた時期なのですが、この時期というのは長い戦国時代がようやく終わり、江戸時代という天下泰平の世が見えてきた頃です。

お城というのは、機能を考えると基本的には戦を前提として造られる建築物のため、戦が無い世の中になれば城の重要性や存在価値というのは低くなります。

そう考えると、姫路城というのは長い戦国時代の中で発達してきた城郭建築がピークを迎えた時期、と言えるのです。

こちらの記事でもご紹介していますが、姫路城がある播磨エリアというのは日本の歴史上、重要な要衝でもありました。それはつまり、統治する側からすれば死守しなければならない防衛ラインであり、ここを突破されると統治の基盤が大きく揺らぐことになります。

そのため、重要な要衝に築かれた城として、姫路城はその時代の城主たちによって常に最先端の技術や技法をもって改築を繰り返し、その最終形態が今私たちの目の前にあるあの姿なのです。

池田氏や本多氏以降の時代に大きな改築が行われなかったのは、江戸時代に入り、戦のない世の中になったことの表れでもあります。

このように、姫路城というのは時代の転換点にあって城郭建築の最盛期を今に伝える、日本の歴史を知る上で非常に価値のある文化遺産なのです。

【世界遺産】姫路城の特別公開イベント、現地レポート

特別公開されたエリアはどんな場所?

特別公開パンフレットより抜粋

姫路城の天守閣の構造は「連立式天守」と呼ばれています。これはメインとなる大天守(だいてんしゅ)と、その他の三つの小天守(こてんしゅ)の計四つの天守が四角形の各頂点に配置され、それぞれを渡櫓(わたりやぐら)で結んで行き来できるようにした構造です。

上図は2023年の夏の特別公開時に配布されたパンフレットから抜粋したものですが、天守が渡櫓で連結されて四角形の形になっていることがお分かり頂けるかと思います。

姫路城の大天守は常に公開されており、今回の特別公開ではそれ以外の3つの小天守の内の乾小天守と東小天守、とイ・ロ・ハの3つの渡櫓の計5つと、折廻り櫓の計6つのエリアが公開されました。

イ・ロ・ハの渡櫓はそれぞれ大天守~東小天守、東小天守~乾小天守、乾小天守~西小天守を結ぶものです。

乾小天守から見た大天守と東小天守。四角形で繋がっていることが分かる。

なお、折廻り櫓(おれまわりやぐら)を除く五つの場所は全て国宝に指定された非常に貴重な文化遺産であり、折廻り櫓も重要文化財に指定されています。

イの渡櫓(いのわたりやぐら)

イの渡櫓内部の天井

大天守から東小天守へとつながる渡り廊下の部分がイの渡櫓になります。

東小天守の部分と区分するとイの渡櫓の大きさはそれほどなく、渡り廊下というよりかはちょっとした部屋のようと言った方がしっくりくる雰囲気です。

こちらの渡櫓は地下1階、地上2階の構造になっており、地上1階部分はかつて塩蔵として利用されていたそうです。

写真中央に窓が2層写っている部分がイの渡櫓の地上2階

こちらの写真をご覧頂くと、イの渡櫓が地上2階構造になっていることが良く分かるかと思います。

東小天守(ひがしこてんしゅ)

東小天守の三階部分の望楼

かつては「丑寅(うしとら)のすみやぐら」と呼ばれていたのが東小天守です。

高さ9メートルの石垣の上に建つ三重櫓の構造になるのですが、外から見ただけでは独立した三重櫓には見えず、大天守・小天守間をつないでいる渡り廊下の上にちょんと小屋(望楼)が取り付けられたようにしか見えません。(イの渡櫓の写真をご覧ください。)

外観上は二重の渡櫓+三階部分の望楼(望楼)、という構造のように見えますが、三階部分の望楼へはイの渡櫓の二階部分からしか行くことができず、東小天守内で一階から三階まで直接上がることはできません。なんとも複雑な造りになっています。

右側の奥まった部分が千鳥破風の部分。左側の西側には高窓しかない。

三階は東西5.8メートル×南北4.8メートルの1室で棹縁天井(さおぶちてんじょう)が張られています。

窓は漆喰を塗った格子付の土戸で、乾小天守の窓とは造りが異なっています。また、外観としても他の小天守には唐破風があるのですが、この東小天守は千鳥破風しかないなど、簡素な造りになっています。

千鳥破風は北側に付いており、内部から見ると千鳥破風の部分が少し出っ張っていて格子窓が付いていることが分るかと思います。これは千鳥破風を置きつつも北側の眺望を確保するための造りで、西側の壁には格子窓は無く高窓のみが備え付けられています。

ロの渡櫓(ろのわたりやぐら)

ロの渡櫓

東小天守と乾小天守を繋ぐ渡り廊下がロの渡櫓になります。

大天守と小天守を繋ぐ渡櫓としては、イ・ロ・ハ・二の四つの渡櫓がありますが、ロの渡櫓が東西が29メートル、南北が6メートルと最も長い造りになっています。

ロの渡櫓もイの渡櫓と同じく、地下1階地上2階の構造になっており、地上階はかつて塩蔵として使用されていたそうです。

ロの渡櫓の外側。地上1階部分には唐破風と石落しがある。

中からは分かりませんが、1階の北面部分には唐破風付きの出格子があり、石落しも備わっています。

ロの渡櫓はほの門から水の一門に向かう間に上の写真のように外側を観るチャンスがありますので、ぜひじっくり観てください。

釿(ちょうな)で削った跡が見えるロの渡櫓の床(光が反射してでこぼこが見えている部分)

ロの渡櫓でぜひ注目頂きたいのが床になります。

良く見ると東西に向かって3つの板で区切られているように見え、真ん中部分が最も古い印象を受けます。

この真ん中部分をさらに良く見てみると、床の表面が両サイドのエリアに比べると少しでこぼこしているのが分るのですが、これは当時に板を削るのにちょうなという道具を利用して削っていたからだそうです。

でこぼこしていると言っても、普通に歩く分には全く違和感が無いぐらいの誤差で、ここまで滑らかに仕上げるのはまさに職人芸と言える気がします。

乾小天守(いぬいこてんしゅ)

乾小天守は連立天守の内、北西(=戌亥(いぬい)の方角)に位置することから当時は「戌亥やぐら」と呼ばれていたそうです。

構造としては、外観は三重に見えるものの、実際は地下一階、地上四階になっています。

乾小天守はロの渡櫓とハの渡櫓を繋ぐ部分から少し西側に張り出したように築かれており、先ほどご紹介した東小天守はイの渡櫓とロの渡櫓と一体化したような造りになっているのとは対照的です。

外観上の造りとしても、乾小天守は軒唐破風(のきからはふ)、千鳥破風(ちどりはふ)や火灯窓(かとうまど)が設けられるなど、装飾のこだわりも簡素な東小天守とは対照的な点も注目です。

乾小天守からの眺望。西の丸まではっきり見える。

一番上の望楼部分に上がって見ると、東西南北に窓が設置されて見晴らしが良いだけでなく、東小天守のように格子が付いていないので風通しが抜群に良く、暑い夏の日でも涼を感じることができるぐらいです。

ハの渡櫓(はのわたりやぐら)

右側にある閉ざされた扉が西小天守への入口

乾小天守と西小天守を繋ぐ渡り廊下がハの渡櫓になります。

特別公開されたと言っても、西小天守が非公開のため残念ながら中に入るというよりは横目に見る程度しかできませんでした。

ですが、イの渡櫓と同程度の広さで、渡り廊下と言うよりは部屋のような印象を受けます。

上記の写真右奥にある扉が西小天守への入口となるのですが、こちらは冬の特別公開で公開される予定になっているため、その時にこの記事もアップデートできればと思います!

建築上の構造としては三階建ての櫓(地下一階、地上二階)のため、イ・ロの渡櫓と同じと言えます。

天守曲輪の建造物内に入ることができる唯一の入口が地下にあり、中2階を介して地上1階へと上がる仕組みになっており、中2階の下には厠(かわや:トイレのこと)が造られているそうです。

折廻り櫓(おれまわりやぐら)

折廻り櫓は天守台東側の石垣に接した2階建ての櫓で、1階が倉庫、2階には部屋が3室あります。

名前の由来にもなっている通り、元々は4間の造りになっていて西側が石垣に沿って折れ曲がった形をしていたそうですが、明治の修理(明治43年)の際に西端部分が取り除かれて今の形になりました。

窓の下に狭間が造られている

3部屋の内の1つは写真のように、部屋の中央付近に茶の湯用の炉が設けられたり障子があったりと、大天守やこれまで見てきた小天守のようなどこか殺伐とした造りに比べると落ち着ける居室を思わせる内装になっています。

ですが、防御の城である姫路城の一部屋として例外ではなく、窓下には鉄砲狭間(てっぽう・さま)が設置されています。

また、こちらの部屋の窓にもご注目頂きたいのですが、内側から見ると外の様子は分かるものの窓に細い縦の線が細かく入っているのが分るかと思います。

これは筬格子窓(おさごうしまど)と呼ばれる窓で、今でいうマジックミラーのような機能を持った窓になります。

内側からは外の様子がよく分かりますが、外側からは目隠しになるような造りになっているのです。

部屋の床に石落しの蓋が設けられている

別の部屋には壁際に蓋つきの石落しが設けられているのですが、中からはこのようにはっきりと石落しと分かるものの、意外と外からはこの石落しの存在には気付きにくい造りになっています。

折廻り櫓は、その北側にある「との一門」、「への門」、「ちの門」と南北を区切る防衛ラインであると同時に、東側に隣接する備前門との仕切り口にもなっており、外敵からの守りという面でも重要な役割を果たしているのです。

最後に:世界遺産・姫路城の楽しみ方

世界遺産・姫路城を訪れてみると、駅からや少し遠くから見るとそれほど大きな城には見えませんが、いざ桜門橋を渡って大手門から入ってみると大天守にたどり着くまでに高低差のある道を歩くこともあって、意外に時間がかかると実感されると思います。

さらに城内菱の門をくぐって城内に入っていくと案内板があるから道順が分るものの、それが無ければたちまち方向感覚を失ったり、大天守にたどり着くまでにどこをどう辿れば良いのか混乱してしまいそうです。

これはもちろん、外敵がたやすく城内に侵入できないようにする鉄壁の守りのための造りではあるのですが、姫路城を訪れた後でも前でも、姫路城の全体マップや造りを見ながら

「もし自分が姫路城に攻め入るとしたらどういうルートを辿るだろう」
「もし自分が外敵からの侵入を防ぐにはどのような仕掛けや造りを置くだろう」

などイメージすると、姫路城の魅力を感じることができるのではないかと思います。

例えば、今回ご紹介した6つのエリアでも、

・なぜ連立式の天守構造にしたのか
・なぜ東小天守の造りは簡素で乾小天守の造りは凝っているのか
・眺望を確保する窓があるのと無いのとで、守りの面でどんな影響があるか
・外敵から城を守る、外敵を撃退する上で城に張り巡らされた「仕掛け」は狭間や石落し以外にどんなものがあるだろう

など考えてみると面白いかもしれません。

 

いかがでしたでしょうか。

次はいつ公開されるか分からない、姫路城の貴重な6つのエリアをご紹介しました。普段は入ることはできませんが、この記事を読んで少しでもその雰囲気を味わって頂ければ幸いです。

「世界遺産 姫路城公式ガイドブック」姫路市教育委員会、「姫路城 夏の特別公開 パンフレット」

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