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【世界遺産】銀閣寺(慈照寺)の国宝「東求堂」特別拝観レポート

今回は京都の世界遺産、銀閣寺で年に2回行われている特別拝観のレポートをお届けします。見どころは何といっても国宝にも指定されており、造営当時の遺構として現存する東求堂の中を見学できること。
東求堂には、最古の書院造とされる「同仁斎」と呼ばれる部屋も残されており、この内部も見学することが可能です。残念ながら撮影禁止のため、写真はありませんが、少しでも雰囲気をお伝えできれば幸いです!

1.【世界遺産】銀閣寺(慈照寺)ってどんなお寺?

銀閣寺と足利義政

正式名称を慈照寺(じしょうじ)という世界遺産の銀閣寺は、室町幕府の八代将軍、足利義政(あしかが よしまさ)によって造営された山荘である東山殿(ひがしやまでん)が起源となるお寺です。

足利義政公が誕生したのは1436年、室町幕府が世を治めていた時代でした。将軍家に生まれた義政公も、その例に漏れずわずか9歳で足利将軍家の家督を継ぎ、14歳で征夷大将軍の座に就くことになります。

幼いころから権力を手中に収めるとともに「権力と力への欲」が絡む世界で生きてきたせいか、義政公は政治と権力の世界から退いて自らが没頭できる芸術と美の世界に身を置く決意をし、自分の後継者探しを始めました。

義政公の正室として迎え入れられた日野富子には男子がいなかったため、1464年、義政公は既に出家していた弟の義尋(ぎじん)を呼び寄せて還俗(僧侶から一般人の身分に戻ること)させ、義視(よしみ)と名乗らせて自分の跡継ぎとしたのです。

ところが、皮肉なことにその翌年、日野富子に男の子が誕生しました(後の足利義尚(あしかが よしひさ))。

そうなってくると必然的に後継者争いに発展することになり、これが京都の街を争いの渦に巻き込み荒廃の道へ進むことになった応仁の乱の始まりとなったのです。

10年にも及ぶ身内の争いの後、義政公は1482年に自らの隠居地として東山殿の着手に取り掛かります。

傍からみれば一方的に跡継ぎを決めて将軍の座を退いたことが応仁の乱を引き起こし、自分は隠居の地でせっせと優美な山荘造営に勤しむという、なんとも身勝手な振る舞いに思えますが、その報いでしょうか。義政公は東山殿の完成を見ることなく病に倒れて亡くなります。

義政公亡き後、東山山荘は臨在禅宗のお寺となり、義政公の法号である「慈照院」にちなんで慈照寺と名付けられ、さらに江戸時代になってから足利三代将軍だった足利義光公が造営した北山山荘との対比で「銀閣寺」と呼ばれるようになりました。

銀閣寺と金閣寺はなぜ対比されるのか?

金閣寺と比較されることから、銀閣寺と金閣寺はセットで覚えられることが多いのですが、なぜこの2つの寺はセットになるのでしょうか。

考えられる類似点をいくつかご紹介しましょう。

①どちらも室町時代に足利将軍家によって造営された

これは言わずもがなですが、金閣寺も銀閣寺も同じ室町時代に足利将軍家によって造営された「山荘」を起源に持つ、と言う意味では共通しています。

②どちらも夢窓疎石国師の庭園を参考にして造られた

金閣寺も銀閣寺も素晴らしい庭園を持つ寺院ですが、これには造営の際に参考にしたモデルがあるのです。それが、禅宗の僧であるとともに素晴らしい庭師でもあった夢窓疎石国師です。

夢窓疎石は同じ京都の世界遺産でもある、天龍寺の庭園を手掛けたことでも有名です。銀閣寺を造営した義政公は、もう一つの世界遺産にもなっている西芳寺(苔寺)の庭園を参考にしたと言われていますが、この西芳寺の庭園も夢窓疎石によって手掛けられたものです。

③どちらも楼閣を持つ回遊式庭園

金閣寺も銀閣寺も、夢窓疎石の庭園を参考にしたせいか、「回遊式庭園」と呼ばれる庭園であり池のほとりに楼閣を持つという点でも共通しています。

ただし、金閣寺の金閣は三層構造なのに対して銀閣寺の銀閣は二層構造である点は異なっています。

銀閣寺の見どころ

金閣寺と多くの共通点を持つ世界遺産の銀閣寺。ですが、造営に対する思いというのは金閣寺と銀閣寺では全く異なります。

先ほどもご紹介した通り、銀閣寺は将軍を引退した義政公が自らの趣味とも言える美を追求して生み出されたお寺となります。ですが、金閣寺というのは、形式的には将軍を引退したとはいえ、影の支配者として莫大な権力を引き続き手中に収め、最後まで政界への支配に影響力を持っているのが自分であることを誇示する側面も有しています。

お寺や神社に限らず、音楽や絵画にしても作者の思いや意図というのは作品や建造物に色濃く反映されているものです。

もし世界遺産の銀閣寺を訪れる際は、義政公の純粋な芸術や文化への探求心に思いを巡らせながら見学するとより一層銀閣寺の魅力を感じることができるのではないでしょうか。

2.【世界遺産】銀閣寺(慈照寺)で行われる特別拝観の概要

世界遺産の銀閣寺では毎年、春と秋の2回に特別拝観が行われています(決まったものではないため、詳細は銀閣寺のホームページでご確認ください。)

ちなみに、2023年春の特別拝観は3月21日~5月7日となっており、特別拝観料は入山料の500円とは別に2,000円となっていました。

特別拝観で見学できるのは以下になります。

本堂
・ご本尊の釈迦牟尼仏を安置
・与謝蕪村・池大雅の襖絵(複製)

東求堂(とうぐどう)
・持仏堂として阿弥陀如来像を安置
・足利義政公法体(像)を安置
・四畳半書院「同仁斎」(書院飾りの再現)

弄清亭(ろうせいてい)
・御香座敷(香座敷の本歌)
・奥田元宋の襖絵

申込手順

特別拝観への申込は直接現地で行う必要があり、事前に予約はできません。

特別拝観は1日に数回開催されており、各回ごとに銀閣寺の案内役の方が順に各部屋を案内してくださります。下記は2023年春の毎日の開催スケジュールですが、必ず最新の情報は公式ホームページでご確認ください。

各回は概ね1時間おきに開催されており、各回の開催直後から次の回の申込受付が可能になります。例えば11時の回に申し込みたい場合は10時過ぎに銀閣寺を訪れるようにしてください。

本堂の前に申込受付名簿が置かれていますので、そちらに名前を記載して後は開催時間まで境内で待っていればOKです。

開始時間 10:00/11:00/12:00/13:30/14:30/15:30
所要時間 約30分
定員 各回約20名(当日申込順)

開始時間に本堂前に行き、名簿に記載した名前を係の方に提示して中に進みます。靴は備え付けの下駄箱に入れて本堂に上がり、大きな手荷物等は持って入ることが出来ないため、手前の受付カウンターにて預けることになります。
肩からかけるショルダーバック程度のものであればそのまま入ることが可能です。

受付にて拝観料を支払い、後は本堂で案内係の方に従って拝観を楽しんでください。

拝観後に受付にて特別御朱印と銀閣寺の案内冊子をもらうことができます。

3.【世界遺産】銀閣寺(慈照寺)の特別拝観レポート

それでは筆者が参加した特別拝観の様子をご紹介します!残念ながら撮影禁止のため、様子が伝わる写真は無いのですが少しでも雰囲気が伝われば嬉しいです。

筆者が参加した回は合計10名くらい(平日)で、一度に集まると窮屈なので5人ずつ2つのグループに分かれて逆の順序で案内がスタートしました。筆者のグループは本堂→東求堂→弄清亭の順番で周りました。

方丈(本堂)

特別拝観、最初の見学は方丈(本堂)です。(写真は外から撮ったものですが、見学時は中に上がって室内に入ります。)
方丈というのは一辺が一丈(約3メートル)四方の四角い部屋のことで、鴨長明(かものちょうめい)の「方丈記」という言葉でも聞いたことがある方は多いのではないでしょうか。

お寺で方丈というと、住職の方の居住スペースのために造られた建物を指すのですが、銀閣寺の場合はここにご本尊の釈迦牟尼仏が祀られているので方丈という呼び名ながらも、部屋の前には「本堂」と掲げられた看板が置かれています。

本堂の見どころは中央奥に備えられている釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)と、襖絵になります。

釈迦牟尼仏

釈迦牟尼仏はお釈迦様、釈迦如来のことですね。

仏教ではよく「仏陀(ぶっだ)」、「菩薩(ぼさつ)」、「如来(にょらい)」という言葉が出てきますが、「仏陀」が悟りを開いた存在であるのに対し「菩薩」というのは修行中の身、つまりまだ悟りを開いていない存在を意味します。そして「如来」というのは仏教では悟りを開いた最高位である地位のようなものです。

お寺のご本尊に置かれている仏様というのは銀閣寺では釈迦如来ですが、こちらも宗派によって阿弥陀如来や大日如来など異なります。ですが、釈迦如来をご本尊としてお祀りするのは禅宗であり、この釈迦牟尼仏からも銀閣寺が禅宗のお寺ということが分かるのです。

なお、こちらのご本尊は方丈の中央の間(室中の間)に置かれていますが、天井が折上小組格天井(おりあげこぐみごうてんじょう)と呼ばれる造りになっていて中央の天井が周りより一段高く造られています。これは二条城などでも見られるように、格式の高い場所に造られる天井です。

この天井も外からではなかなか見えづらいと思いますので、特別拝観の際にはじっくりと観察してみてください。

額に掲げられた「東山水上行」とは?

正面の扉の上には「東山水上行(トウザンスイジョウコウ)」と掲げられた額が飾られています。

この言葉も禅宗のいわゆる「禅問答」に由来する言葉で、その昔ある僧が

「悟りの境地とはいったいどのようなものか」

という問いを師匠に尋ねた時に帰ってきた答えと言われています。

素直に訳すると、

「山が川の上を登っていく」

ということになるのですが、何を伝えようとしているのでしょうか。

 

山というのは本来不動のもので動くはずがありませんし、水も上から下に流れ落ちていくもので「上を行く」という表現もとても違和感があり、山が川を上っていくというのは一見するとあり得ないことです。

ですがこれは我々が生きているほんの小さな世界の枠組みに囚われて、自然、さらには宇宙といったこの世の全ての道理や節理を見失っているということでもあります。

「山」とか「川」とか言葉にすると単純ですが、「山」といっても草木や川、水、空気、そこに住む生き物などいろんな意味が込められていることを考えると、風が舞って木々の葉が上に昇っていったり、水が水蒸気となり雲になることも「山が上る」ことではないでしょうか。

なんというか、人間も宇宙や自然を構成する一つであり、そこには一定のリズムが存在するということ、一方でそのような宇宙や自然の中では人間の考える「常識」や「理屈」など意味がなく、ありのままを受け入れる感性を持つことが大事なんだということを教えてくれている気がします。

話がそれましたが、禅宗の寺というだけでなく銀閣寺が「東山山荘」に起源をもつことからも同じ「東山」を冠するこの言葉が掲げられているのでは、と筆者は感じました。

襖絵(ふすまえ)

特別拝観でしかじっくり観ることが出来ないのが、方丈(本堂)の各間に描かれた襖絵です。

特別拝観では本堂の中央(室中の間)、西の間、東の間、上官の間それぞれの中に上がることができるのですが、室中の間、西の間と上官の間の襖絵は歌人でもある与謝蕪村(よさぶそん)、東の間の襖絵は池大雅(いけのたいが)によって描かれたものになります。

与謝蕪村も池大雅も18世紀に生きた人物なので、描かれたのは江戸時代。この方丈自体が江戸中期に建造されたものなので、足利義政公の没後のものということです。

それぞれの部屋の襖絵は正面を除いた三方の襖をダイナミックに利用して描かれたもので、向かって右から奥、左に向けて流れているように見えてとても躍動感があります。

中央の部屋に描かれた襖絵は「飲中八仙図」(いんちゅうはっせんず)という名前で、唐の有名な詩人である杜甫(とほ)の「飲中八仙歌」にちなんで描かれたものと言われています。
その名の通り、お酒を飲んで酔っ払った仙人たちが童子(子ども)に介抱されている様子が描かれているのですが、その介抱のされようが後ろから背を押してもらったり、肩を借りたり、おんぶされていたりなど、どことなく平和でのんびり、そして滑稽な雰囲気が伝わってきます。

西の間に描かれた襖絵は「棕櫚に叭々鳥図」(しゅろにははちょうず)という名前で、叭々鳥が優雅に飛んでいる躍動感あふれる様子が三方の襖全体を使って描かれています。叭々鳥というのはムクドリの仲間で、全身黒い羽根と所々白い斑点模様になっているのが特徴の鳥です。

襖絵ではこの叭々鳥が何羽か飛空している様子が描かれていますが、こちらは昔の絵巻物でもおなじみの、一つの平面に場面の移り変わりを描いたものと言われています。
叭々鳥と一緒にヤシの木のような木も描かれており、雰囲気としては南国を連想させるようです。
襖三面を通してこの鳥が飛んでいる軌道が見えるのですが、それと木のバランスが幾何学的に調和しているような印象を受けました。

上官の間に描かれているのは「山水人物図」(さんすいじんぶつず)という名前で、こちらもその名の通り山間の川か湖のような場所を人が舟で渡っている様子が描かれています。
こちらの間には段違いの少し奥まったスペースがあるのですが、その凹んだ壁にも丁寧に絵が描かれており、部屋の間取りを上手く利用して奥行きのある印象を受けます。

なお、ご紹介した与謝蕪村の3つの襖絵は書道でいう「真書・行書・草書」という異なる書体を意識したと言われており、それぞれの絵の筆のタッチにも注目して見ると面白いかもしれません。

最後に東の間にある池大雅作の「琴棋書画図」(きんきしょがず)をご紹介します。

こちらも名前の通り、昔の人が趣味や遊びとしてたしなんでいた琴・棋・書・絵をして楽しんでいる文人たちの様子を描いたものです。
襖三面をじっくり見るととても面白く、囲碁のような「棋」を打っている老人とそれを見て楽しんでいる老人や、はたまた釣りをしている老人、絵が描かれた巻物などが描かれており、それぞれの趣味を思い思いに楽しんでいる文人たちのほんわかとした様子が伝わってきます。

手水鉢

袈裟のかたどった手水鉢

特別拝観は渡り廊下でつながっている国宝の東求堂へと続いていくのですが、その手前にも1つ見どころがあります。それが、写真中央に映っている手水鉢です。

この手水鉢、側面右側の模様を見てみるとお坊さんが着る袈裟の模様をかたどったものであることが分かるかと思いますが、注目すべきはそれだけではありません。
残念ながら一般公開では観ることが出来ないのですが、この裏側の側面の模様も写真の手前側の模様と実は異なっているのです。

その模様を見られるのは特別拝観でこの渡り廊下を渡った時のみ。ぜひ特別拝観でご自身の目で確認してみてください!

東求堂

さて、いよいよ筆者が一番心待ちにしていた国宝・東求堂の見学に進みます。

東求堂自体が四角い間取りになっているのですが、外からでは分かりませんが中も実は4つの間に分かれており、それぞれが襖で仕切られています。

何といっても一番の見どころは四畳半の四角い間取りに造られた同仁斎(どうじんさい)です。

四畳半の正方形の間取りというのもかなり珍しいので、その独特の間取りと何とも言えない広さの部屋に足を踏み入れた時の感覚は今でも忘れられません。広くもなく、かといって不思議と狭さも感じない。不思議と心が落ち着く空間でした。

この同仁斎が最古の書院造と言われているように、わずか四畳半の間取りではあるものの、付書院(つけしょいん)と違い棚が設けられており、付書院には襖から陽の光を感じることが出来そうです。
特別拝観の際にはこの付書院に、義政公が愛用していたといわれる硯(すずり)を中心に、筆や文鎮、巻物などが並べられていました。

同仁斎の襖の向こう側には四畳のスペースがあり、そこから仏間を見学することが可能です。仏間は正面奥に須弥壇(しゅみだん)が設けられ、阿弥陀如来立像(あみだにょらいりつぞう)が安置されています。西側には襖の奥に位牌棚を設け、南寄りに法体の足利義政像が安置されています。

もともとこの東求堂は義政公の持仏堂として建てられたということもあり、銀閣寺が禅寺になる前の姿を垣間見ることができます。

なお、この仏間も本堂の室中の間と同様、天井が折上小組格天井になっている点もぜひ見逃さないでください。

弄清亭(ろうせいてい)

特別拝観の最後を締めくくるのは、方丈の裏手にある弄清亭(ろうせいてい)です。

この弄清亭は香席、つまりお香を楽しむ空間として設けられたものですが、明治に入った1895年の再建ということで銀閣寺の中では最近の時代のものになります。

こちらの見どころも本堂と同じく襖絵なのですが、こちらの襖絵は奥田元宋(おくだげんそう)という明治から平成にかけての日本画家によって描かれたものであり、非常に色彩豊かな襖絵になっています。

襖絵として描かれているのはどれも自然の風景で、「流水無限」(りゅうすいむげん)では部屋の襖とそれ以外の壁一面をダイナミックに利用して、緑豊かな森林の中を上流から流れるせせらぎとその中でひと際美しく咲き誇っている桜?の木が描かれています。
新緑の緑、生命力溢れる桜のピンクにせせらぎの水の清い青。そのどれもが鮮やかで、観ているだけでも涼しく、また命の豊かさというか若々しさを感じることができます。

「湖畔秋耀」(こはんしゅうよう)も同じく山間の緑豊かな場所とその中をゆっくりと流れる川が描かれているのですが、こちらは作品名にもある「秋」の美しさが描かれており、木々は燃えるような紅葉。そして川の水面も青というよりは深い緑で描かれています。
さきほどのせせらぎは川の勢いのある流れが描かれているのに対し、こちらの絵では平坦で流れがほとんどなく、深い湖か川の静けさが描かれているように思います。
川面が緑がかっている理由がもう1つ。
それは紅葉とともに描かれている赤い太陽です。

「流水無限」が若々しい生命の営みを感じる一方、「湖畔秋耀」は燃え上がる成熟した命のエネルギーを描いているようです。

見事な庭園で常に自然を感じることができる銀閣寺の中において、部屋の中にもこのように壮大な自然を描いたことは何か挑戦的な取り組みを感じました。

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いかがでしたでしょうか。

普段は見ることができない貴重な建造物の中をじっくりと味わうことができる銀閣寺の特別拝観。

今回ご紹介した本堂や東求堂、同仁斎、弄清亭はそのどれもが素晴らしく見どころに溢れているのはもちろんなのですが、筆者が個人的に感じたのは、銀閣寺の「中」に入った空間での五感を研ぎ澄ませてみると外からでは感じることが出来ないものを感じることができるということ。

例えば渡り廊下や弄清亭を見学しているさなかでも、その奥にある庭園から流れ落ちる小滝の水の奥が心地よく耳に入ってきました。
また、本堂に上がって見た庭園(向月台や銀沙灘)の雰囲気、同仁斎の付書院の奥に感じる庭園の自然など。

銀閣寺を造り上げた足利義政の影響は、後の戦国時代の茶道の起こりにつながり、そして現代の和室の源流になるなど、今も脈々と日本人の心に根付いている文化のきっかけになったことを考えると途方もなく偉大なことだと感じます。
また、この東山文化から「わび・さび」という価値観も生まれたわけですが、一見何か足りていない「わび」や時の経過で古くなってしまった「さび」がいかに贅沢なものなのか、それを「風流」として楽しめる日本人に生まれた幸せを感じてみてください。

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