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【世界遺産】東寺の縁日「弘法市」と「正御影供」のご法要を現地レポートとともに徹底解説!

京都の世界遺産、東寺(教王護国寺)では毎月21日に「弘法市(こうぼういち)」と呼ばれる縁日が開かれ、御影堂で「御影供(みえく)」のご法要が行われます。これは真言密教の開祖である空海(弘法大師)が御入定(にゅうじょう)されたのが21日であったことによるものです。
今回はその中でも弘法大師が御入定された3月21日(新暦では4月21日)に行われる「正御影供」のご法要と「弘法市」の現地レポートをお届けします!

1.【世界遺産】東寺(教王護国寺)はどんなお寺?

本記事の本題に入る前に、まず東寺がどんなお寺なのかよく分かるいくつかの見どころをご紹介します!

世界遺産に登録されている真言密教の総本山

日本の古都である京都には今でもたくさんのお寺や神社が街中に残されており、主に平安時代から約1300年続く日本の歴史を今に伝えてくれています。

世界の世界遺産をみると、その国の「古都」であった都市が世界遺産に登録されていることが多く、京都もその例外に漏れず「古都京都の文化財」として1994年に世界遺産に登録されました。

東寺(正式名称は「教王護国寺」)はこの京都の世界遺産の1つに登録されています。京都にある数多くの寺院の中でも東寺が世界遺産に選ばれた理由は、重要な文化財や建築様式を今に伝えているという点はもちろんですが、日本の歴史や仏教の観点からも東寺はとても重要なお寺なんです。

東寺は皆さんもよくご存じの弘法大師、空海が当時の唐から持ち帰った真言密教の総本山として位置づけられています。

真言密教に関連する世界遺産としては、和歌山県にある高野山も世界遺産に登録されていますが、高野山が修法を身につける修行の場である一方、東寺はどちらかというと教義を習得する根本道場として機能していました。

日本の仏教は天台宗、真言宗、浄土真宗などの教えがありさらにそれぞれも多くの宗派に分かれています。

鎌倉時代以降に民衆の間に急速に広がった浄土宗、浄土真宗や禅宗が誕生するまで、真言宗はそれまでの奈良時代に主流であった南都仏教に代わって天台宗と並び、日本の仏教に大きな影響を与えました。

東寺はそんな真言宗の総本山として、真言宗の中で最も重要な存在の1つなのです。

平安京において2つしかない「官寺」の1つとして、今に残る

東寺の成立は京都のその他のお寺とは大きく異なっているのですが、皆さんはご存じでしょうか。

それは、東寺はもともと平安京における「官寺(かんじ)」として創建されたこと。「官寺」というのは、簡単に言えば国によって造られたお寺で、国がその目的のために監督する一方、国から経済的なサポートを受けられるお寺を言います。

平安時代の前の奈良時代、今の奈良県に平城京が国の中心だった時代は官寺は数多く造られました。奈良のお寺も「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録されていますが、東大寺や薬師寺なども官寺と考えられます。

奈良時代に官寺が数多く建立されたのは、奈良時代において仏教は「護国仏教」として日本を守る存在と考えられ、天皇が積極的にこの政策を推し進めたことによるものです。

ですが、多くのお寺が建立された反面、お寺や僧が堕落してしまい、腐敗が進み国全体に暗い影を落とすことになります。新たに京都に都を遷都した桓武天皇は、この腐敗を教訓に、平安京においては既存の寺院と2つの官寺以外のお寺の建立を認めませんでした。

平安京遷都の際に創建された2つの官寺は東寺と西寺(さいじ)と呼ばれ、南の入口である羅生門を挟んで東西に建てられました。ですが、西寺はその後の歴史の中で残念ながら衰退してしまい、その跡地が残されているのみです。

先ほど、東寺は真言密教の総本山とお話ししましたが、このように最初は官寺としてそれまでの奈良仏教を引き継ぐ様式で伽藍の建設計画が進んでいました。
その後、桓武天皇の皇子である嵯峨天皇の時代に、空海が嵯峨天皇から東寺を下賜(かし:天皇から与えられること)され、東寺は真言密教の道場として新たに生まれ変わったのです。

その誕生は794年の平安京直後、796年頃と考えられていることから、東寺が京都の多くのお寺の中でも特に古いお寺であることも覚えておいてください。

京都のランドマーク、東寺の五重塔

京都が近づいてくると新幹線の車窓や、ビル・ホテルの高い場所からもひと際目立つ塔が見えてきます。東寺の五重塔です。

東寺の五重塔はもともとは空海による創建と考えられていますが、残念ながら長い歴史の中で焼失してしまい、今私たちが見ている五重塔は1644年、時の将軍であった徳川家光によって再建されたものです。

再建されたものではありますが、当初の姿と違いは無いものと考えられています。そしてその高さはなんと55メートル。木造の塔としては日本で一番高い塔なんです。

夜に東寺の近くを歩いていると、ライトアップされた五重塔を観ることができますが、ライトアップされた五重塔はとても美しく、黄金色に輝いています。

この黄金色が、木造であることの現れであるとともに、長い時の流れを今に伝えるような荘厳さを演出してくれているように感じます。

 

その他、東寺についてご興味のある方はこちらも合わせてお読みください。

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「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている京都の東寺(教王護国寺)。 教王護国寺とも呼ばれ、JR京都駅からも徒歩圏内にあること、また京都市街からぽっかりと顔を出す五重塔は京都のシンボルでもあり、京都の人々にも親しまれています。 今回は弘法大師、空海のお寺としても有名な東寺の知られざる魅力をたっぷりご紹介します!

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2.【世界遺産】東寺の正御影供、現地レポート

御影供・正御影供の概要と日程

御影供(みえく)というのは、真言宗の開祖である弘法大師、空海が御入定(にゅうじょう)された日である21日にちなんで毎月開催されるご法要です。

空海は835年、旧暦の3月21日に高野山にて御入定されました。

入定というのは真言密教にとってはとても重要な意味合いを持っており、弘法大師信仰にもつながる信仰で、今も空海が高野山の奥之院にて広く民衆のために瞑想に入られていることを意味しています。

このような弘法大師信仰が広く日本に広まった経緯は定かではありませんが、空海が御入定されたその後において奥之院の参拝において空海の姿を目撃した、という記録もあり、その偉業と偉大な存在も相まって信仰につながったものと思われます。

御影供は、空海が御入定された後に盛大な法要が行われたことが始まりとされており、東寺においては空海のお住まいであった御影堂にて法要が行われます。

毎月21日に行われる御影供のうち、空海が御入定された旧暦3月21日、今の暦で4月21日は正御影供として特に厳かに儀式がなされます。
正御影供のスケジュールを下記に記載しておきます。

【正御影供のスケジュール】
・御影堂のご法要
午前6時~7時:朝参り
午前10時~11時:御影供ご法要
午後0時~3時:ご祈願
・大日堂のご法要
午後1時から:回向法要
・鎮守八幡宮
午前10時と午後1時:八幡宮護摩供

正御影供の様子

ご法要が終わった後は自由にご参拝可能

4月21日、御影堂でご法要が行われる午前10時の15分ほど前に御影堂に到着。

御影供の日は、普段閉ざされている外陣が開放されており、中に上がって法要に参加することができるのですが、すでに定員の40名に達したため、残念ながら中に上がることはできず、外から法要に参加させて頂きました。

時間になると向かって左側から、僧の方たちが中に入ってこられ、まず向かって右側にお座りになられた僧の方がお経を唱え始めるとその後一斉に唱和が始まりました。

10分ほどすると僧のお一人が中央に歩まれ、お経を読まれます。

その後も法要は続き、ちょうど時間通りに1時間後、午前11時ちょうどに終了、入ってこられたのと同じく向かって左側の入口から僧の方々が退出されていきました。

法要が終わった後は次の法要が始まるまで、誰でも外陣に上がることができます。

御影堂の中には中央の奥に空海の像が安置されており、御影供の日はこの像を拝むことが可能ですので、ぜひ中に上がってその御姿を一目拝んでください。
空海の像は奥に安置されておりその手前には幕がかかっているため、中に入っても立ったままその御姿を観ることはできません。中央に参拝する台が設けられていますので、そこに座って空海の像を拝んで頂ければと思います。

 

空海の像も安置されており、空海のお住まいとされていた御影堂。御影堂のご法要も含めて、この場所が弘法大使信仰の始まりであり拠点であることがとてもよく実感できました。

その他の見どころ

正御影供のご法要が行われた御影堂と背中合わせになっている裏手の御堂には、国宝の秘仏とされる不動明王が祀られていますが、正御影供の日は午前9時と午後2時の2回、護摩供が執り行われ、護摩木を購入することができます。

お堂の前に設置されたブースで護摩木を購入して、願い事を記入して護摩供の御祈願に出してみましょう。

秘仏の不動明王像は空海の自作と伝えられ、空海が東寺を離れて高野山に向かう際に不動明王が西の大門まで見送ったという伝説が残っています。

御影堂の北側にある大日堂では、東寺の僧の方による説法が行われています。もし時間があれば、説法を聞いてみるのも新しい気付きにつながるかもしれません。

3.【世界遺産】東寺の弘法市、現地レポート

御影供の日は「弘法市(こうぼういち)」と呼ばれる縁日が開かれ、いつもは広々としている東寺の境内には所狭しと多くの出店が立ち並び、一転賑やかで活気のある場所に様変わりします。出店は境内の北門側までの道沿いの両端にも出ており、お店を一通り見て回るだけでもそれなりに時間がかかりそうです。

その盛大な縁日には京都だけでなく日本の各地から、そして今では海外からもたくさんの観光客が訪れ、出店は1200店、弘法市を訪れる人は20万人にも及びます。

関西人であればよく分かりますが、地元の人は「弘法さん」と親しみを込めてこのイベントを呼んでいるそうで、同じ京都市内にある北野天満宮で開かれる「天神さん」の縁日と並んで、京都の二大縁日とされています。

弘法大師、空海の御入定の際に行われた法要に広く民衆の方も参加したことがもともとの始まりとされており、その呼び名も含めていかに空海が民衆にとって身近な存在であるとともに、拠り所となる存在であったかが分かるかと思います。

出店は数だけでなく、売られている物も本当に多岐に渡り、出店を見て回るだけでも楽しいです。食べ物では果物や干物、明太子などの海産物や漬物などの他、飲み物、雑貨では身に着ける装飾品やアクセサリ、小物や絵画、個人のクリエイターさんが作成されたはがき、その他着物やフィギュア、衣類なんかもたくさんあります。

お腹がすいたら普通のお祭りの屋台のように、焼きそばやなども売っていますし、フリーマーケットのように中古の掘り出し物もたくさん売られていますので、お目当ての物が見つかるかもしれません。

4.こちらも見逃せない!灌頂院閼伽井の公開

正御影供の日は灌頂院が開かれる

正御影供の日に、ご法要と弘法市と合わせてぜひとも観て頂きたいのが、年に一度、この日にだけ公開される灌頂院(かんじょういん)の閼伽井(あかい)と呼ばれる井戸の跡に掲げられる3つの絵馬です。

東寺の西側にあるのが灌頂院です。「灌頂(かんじょう)」というのは、人が大日如来になって真理を悟るために行われる儀式のことです。

皆さんがよくご存じの浄土真宗というのは、死んだ後に極楽浄土に行くことを説く教えで「来世志向」であると言えます。ですが、真言宗というのは生きながらにしてこの世の真理を悟る大日如来の存在になることができるという「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」という考えを説くものであり、この点で「現世志向」と言えます。

「灌頂」の儀式で人が大日如来たる存在になる、というのはまさに「即身成仏」の考えに基づくもので、真言宗特有の儀式の一つです。

灌頂院は普段は非公開のため、その中に入ることは出来ないのですが、正御影供の日と正月に行われる後七御修法(ごしちにちのみしほ)の日だけは開かれています。

その西側に「閼伽井(あかい)」と呼ばれる井戸跡に建てられた屋形があるのですが、正御影供の日だけ、そこに3つの絵馬が掲げられます。

これがその絵馬ですが、一説には弘法大師の筆とも言われており、龍神の描いたものが井戸の底から出てきたものとも言い伝えられています。

正御影供の日当日には、近郊の農家の人々がこの絵馬の前に集まって、3枚の絵馬の内、中央を今年、右を昨年、左を一昨年分として三枚の絵を見比べ、絵の出来栄えによってその年の農作物の豊凶を占っているそうです。

絵の出来栄えは、例えば馬の顔が長いと前期に雨が長いとか、胴が太いと中頃に日照りが少ないとか、馬の状態によって占い方が決まっているのだとか。

朱色の筆で描かれた3枚の馬、年に一度しか観るチャンスが無いですが皆さんもぜひその目で確かめてみてください!

 

いかがでしたでしょうか。

年に一度の正御影供は難しいかもしれませんが、毎月21日には御影供のご法要と弘法市が行われているため、その日に合わせて東寺を訪れると、より真言宗や弘法大師、空海の存在を身近に感じることができることと思います!

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