ヒンドゥー教寺院の世界遺産・プランバナン寺院の内苑は、「聖水」を溜めるティールタだった!?「水」に注目すると見えてくる、内苑に張り巡らされた壮大なヒンドゥー教の世界をご紹介します!
続きを読む: 【世界遺産】インドネシア・プランバナン寺院と「水」にまつわる内苑の壮大な設計思想とは!?プランバナン寺院ってどんな世界遺産?
プランバナン寺院はインドネシアのジョグジャカルタ近郊にある世界遺産で、「プランバナンの寺院群」として登録されています。
最も大きなプランバナン寺院(別名:ロロ・ジョングラン)はヒンドゥー教の寺院ですが、合わせて登録されたルンブン寺院、ブブラ寺院、セウ寺院は仏教の寺院となっています。
これらの寺院は8世紀から10世紀頃にかけて創建されたと考えられており、当時の仏教王国とヒンドゥー教国の関係や両者の融合など、ジャワ特有の歴史や文化、価値観を物語る世界遺産です。
詳しくは「【世界遺産】インドネシア・プランバナンの寺院群-なぜヒンドゥー教と仏教が同じ世界遺産に?」でご紹介していますので、こちらも合わせてご覧ください。
プランバナン寺院には貯水施設があった!?

当時の人々にとっての水の役割
今回は世界遺産・プランバナン寺院を「水」から探っていくことがテーマです。
まだはっきりと断定はされていませんが、このプランバナン寺院を造った王朝の王都は遺跡からそう離れてはいない近場にあったのでは、と考えられています。
人々が生活するうえで水は重要なライフラインとして欠かせません。
そもそもこれだけの規模の寺院を造営するにも多くの人手が必要なわけで、それだけの人を養うのにも水を安定的に確保する必要があるのです。
もちろん生活をするうえで水は必要不可欠なわけですが、それだけではありません。
ヒンドゥー教の寺院ですので、祭司(さいし:聖職者)が沐浴(もくよく)をしたり祭祀具(さいしぐ:祭事の時に使う道具)を清めるための「聖なる水」を求める意味もあったと考えられています。
プランバナン寺院に貯水施設があったとする根拠

出典:043 Artifical Lake, Ratu Boko, Prambanan, photograph by Anandajoti Bhikkhu(https://photodharma.net/)
プランバナン寺院に水を貯めておく施設があったのではないかと考える1つの理由は、ジャワ地域においてすでに水に関する建造物があったためです。
例えば上の写真は、プランバナン寺院から数キロの場所にあるラトゥ・ボコ遺跡に残された人工池の跡。
ラトゥ・ボコ遺跡は王宮や宗教施設が含まれる都市遺跡で、プランバナン寺院よりも前の8世紀に造られたと考えられています。
まだ見つかっていないにしても、プランバナン寺院が王都の近くにあったとするならば、ラトゥ・ボコ遺跡と同じように人工の貯水池があっても不思議ではありません。
もう一つ、プランバナン寺院の創建に関する重要な歴史的記録として注目されている856年に記された「シワグルハ碑文(Prasasti Siwagrha)」にも、水に関する記録が残されている、と唱える学者がいます。
この学者(De Casparis)曰く、この碑文には下記のような記録が残されているのだとか。
ある種の渡り鳥、商人、村の役人たちが[その水で]沐浴するためにやって来たことが記されている。そしてその水は、魔術的な加護(siddhayatra)と、涼しさ、あるいは「祝福」(mahatisa)をもたらすとされていた
※英文を元に筆者意訳
この通りだとすると、プランバナン寺院には沐浴の場所があって、どちらかというと「聖なる水」を蓄えていた場所を有していたと考えることができますよね。
では、「聖なる水」を貯めておく場所があったとして、その水はどうやって確保していたのか。
地図を見ると、プランバナン寺院のすぐ西側にはオパック川が流れており、先ほどご紹介した学者のDe Casparis氏は、この川の水の一部を寺院エリアに引いて使用していたのではないか、と推測しています。
その後、「シワグルハ碑文」に記されている河川の流れの変更は水を寺院に引き込むのではなく、遠ざけるために行われたものであったとする説が出て、当該推測を否定する動きもあります。
プランバナン遺跡に水に関する施設があったかもしれない、というのも驚きですが、ではそれはどこにあったのか。
続いて、プランバナンの「聖なる水」(ヒンドゥー教では「ティールタ(tirtha)」と呼ぶことから、以降このように表記します。)に関するさらに驚くべき説をご紹介しましょう。
プランバナン寺院の内苑が「ティールタ」だった!?

プランバナン寺院に「聖なる水」を貯めておく「ティールタ」があったとするならば、それはどこにあったのか。
この謎に関して提唱されている一つの説が、実は内苑がティールタの場として用いられていたのではないか、という説です。順を追って説明しましょう。
内苑の水はけが悪いことの謎
1994年11月、当時アメリカのファーストレディだったヒラリー・クリントン氏がプランバナン寺院を訪れたそうですが、ちょうどその頃にこの地方は激しい豪雨に見舞われ、プランバナン寺院の内苑は冠水してしまったそうです。
何とか寺院内に夫人を案内するため、急遽地元の消防局が総がかりで寺院内に溜まった水をポンプで排水することで事なきを得たそうですが、水はけが悪いことはプランバナン寺院に観光客を呼び込む上での大きな課題でした。
(出典:「The Causeway Episode of the Prambanan Rāmāyaṇa Reexamined」 Roy E. Jordaan)
この前年、1993年には大雨による泥水の堆積などを改善するためにコンクリート製の排水路網が整備されたようですが、それでも大雨で冠水してしまったということです。
これはプランバナン寺院の創建当時も同じような状況だったと想像されるわけですが、これだけ大掛かりな寺院を建築し、しかも水の扱いにも慣れていたことを考えると、当時の人々がこの問題になす術が無かったとは少し考えにくい印象を受けませんか。
言い方を変えると、あえて当時の人々はこのように水が溜まるように設計していたのではないか、ということです。
意図的に水を溜めていたのではないか、と考えられる理由を2つご紹介します。
排水口の少なさ

プランバナン寺院の内苑は東西南北に写真のような出入口が設けられています。
そして、階段の両側には中央に小さな穴の開いた四角い突起物がありますが、これが排水口です。
内苑には4つの出入口の両側に計8個の排水口が設けられていますが、このサイズと個数を見るに大きな内苑の敷地に比べて物足りない印象を受けませんか。
また、形状や穴の大きさからしても外に排水するというより、ここを塞ぐことで内側に水を留めておくこともできそうです。
内苑周囲の壁面には浮彫が無い

二つ目の理由が、内苑の外側を取り囲む外壁に浮彫が見られないこと。
少し見えづらいですが、上の写真の木の向こう側に、内苑と中苑を区切る外壁がぐるっと設けられているのが見えるでしょうか。
この外壁には祠堂を豪華に装飾する浮彫がほとんどありません。
浮彫が無いということは、そこはそもそも人の目を引くことを想定していなかったということ。
もし内苑がティールタの役割を持っていたとすれば、水が一定の高さまで溜まるので浮彫が見えなくなるのでそこにあえて浮彫を描く必要が無くなり、つじつまとしては合います。
仮にこの内苑がティールタとして機能していた場合、なぜそのような設計をしたのでしょうか。
そこには内苑の3つの祠堂も含めた壮大な仕掛けがあったのでは、と考えられています。それをご紹介しましょう。
プランバナン寺院の内苑がティールタを生みだす仕掛けとは?
ティールタ(聖なる水)を作る水はどこから来たのか?
先ほども少し触れましたが、プランバナン寺院に水があったとすると、その水はどこからやって来たのか。
大きく考えられるのは次の3つです。
- 近くを流れるオパック川の水を利用した(先ほど注意書きの通り、否定する説あり)
- 雨水を利用した
- 人力で川などから水を運ぶ
もしプランバナン寺院の内苑がティールタとして水を溜める場所だった場合、内苑は中苑や外苑より高い場所に造られているので、川の水をそのまま引くのは難しそうです。
それでは人力で水を運んできたのか、雨水を利用したのか-。
一つの可能性ですが、その手掛かりになるものが内苑の祠堂にあります。
祠堂の装飾に見る「聖別」の仕掛け


プランバナン寺院の祠堂をみると、上右の写真のように仏教でいうストゥーパに似た形をした装飾がたくさん並べられています。
これはこのジャワ地域特有の装飾で「ラトナ(Ratna)」と呼ばれるもの。
実はこのラトナがヒンドゥー教におけるシヴァ神の象徴である「リンガ」の役割を持っているのではないか、と考える説があるのです。
インドのカルナータカ州には、川床や岩にたくさんのリンガが刻まれた「サハスラリンガ(Sahasralinga)」と呼ばれる場所があります。
なぜ川床や岩にリンガが刻まれているのかというと、リンガによって流れる川の水を「聖別」(聖なる水として浄化する)するためだからです。
ヒンドゥー教ではリンガに聖水を注いで礼拝する「アビシェーカ(Abhiṣeka)」という重要な儀式があるのですが、川にリンガを敷き詰めることで絶えずこの儀式を行えるようにしたと考えられています。
サハスラリンガは川でしたが、プランバナンのラトナはサハスラリンガと同じ位置づけで造られたのではないか、というのがこの説の面白いところ。
つまり、雨が降ることでその雨は祠堂のてっぺんからラトナ(リンガ)を流れていくことで「聖別」されて聖なる水となり、内苑に溜まっていく-。
ラトナをよく見て頂くと、先端はリンガのような形をしていて、その下にある丸みを帯びた球体部分には縦に筋が入っていますよね。
この筋が雨水を「聖別」するためのものではないか、ということです。
ちなみに、祠堂の頂部にあるラトナは写真による検証の結果995基確認された、とする報告があります(Sundberg)。
サハスラリンガはサンスクリット語で「1,000のリンガ」という意味だそうで、その数からもラトナ=リンガ説が補強されています。
さらにロロ・ジョングラン伝説でも1,000という数字が出てくることも、偶然なのか意図したものなのか、面白いです。
プランバナン寺院ならではの「アビシェーカ(Abhiṣeka)」

シヴァ祠堂の周囲には上写真の赤枠で囲った部分にある装飾がいくつか見られますが、この装飾の先端部分には丸い穴が開いているのが分かるかと思います。
この装飾も排水口として排水機能を有し、祠堂内に染み込んで溜まった水を外に流す役割を持っているのです。
先ほど、リンガに聖水を注いで礼拝する「アビシェーカ(Abhiṣeka)」のお話をしましたが、プランバナン寺院の内苑にはシヴァ神、ヴィシュヌ神、ブラフマー神の神像が置かれていることから、当時の人たちはこの神像に水を流すことで儀式を行い、その水は排水口を伝って外に流れ出ていたのではないかと考えられます。
通常はリンガで行うところ、プランバナン寺院は三神を祀っていることからリンガではなく神像を置いているのでしょうか。いずれにしても神像であることはプランバナン寺院の一つの特徴でもあります。
ティールタと祠堂に描かれたラーマーヤナの浮彫(レリーフ)との関連
シヴァ祠堂浮彫(レリーフ)の最初に描かれた乳海に座すヴィシュヌ

出典:01a Appearing before Lord Visnu, Ramayana Reliefs, Prambanan, Central Java
(https://photodharma.net/)
シヴァ祠堂とブラフマー祠堂には、インドの古代叙事詩でありヒンドゥー教の聖典でもある「ラーマーヤナ」の物語が描かれているのですが、出だしの浮彫(レリーフ)を見てみましょう。
浮彫の中央には、ナーガ(蛇)の上に座っているヴィシュヌ神の姿が、その左側にはヴィシュヌ神のヴァーハナ(乗り物)であるガルーダ、そして右側には何やらお願いをする神々の姿がありますね。
ここで注目したいのは、ヴィシュヌ神とナーガの下にはカニや魚が描かれており、ここが海の上であること。
海(乳海)の上でナーガに座っているヴィシュヌ神の姿は、宇宙創成のエピソードである乳海攪拌(にゅうかいかくはん)の始まりを想起させます。
乳海攪拌(にゅうかいかくはん)のエピソードについては「【世界遺産】アンコール・ワットを100倍楽しむために知っておきたいヒンドゥー教マメ知識4選」をご覧ください。
乳海攪拌(にゅうかいかくはん)をこの世に表す
これまでお話ししてきた内苑とティールタの関係、そして先ほどの宇宙創成の話を合わせてみると、プランバナン寺院の内苑にヒンドゥー教の世界が浮かび上がってきます。
プランバナン寺院の内苑にそびえたつ3つの祠堂は、ヒンドゥー教における聖山(須弥山/メルー山)を模したものと言われていますが、乳海攪拌のエピソードに合わせるなら、海を攪拌(かくはん)するために利用されたマンダラ山を模したものだったのでは、という説があるのです。
そして内苑に溜められた聖水はまさに乳海攪拌の広大な海を表している-。
そう考えると、プランバナン寺院の内苑に仕掛けられたスケールの大きな建築思想には驚きの他ありません。
シヴァ祠堂に描かれた半神半蛇の浮彫(レリーフ)の謎

(https://photodharma.net/)
シヴァ祠堂の内陣の上には、ジャワに伝わる魔除け(マカラ)の浮彫が描かれているのですが、その上(上写真の赤枠)をよく見ると、坐した神様が描かれており、さらに目を凝らしてみるとその足部分が蛇のようにとぐろを巻いているのが見えます。
「蛇」(ナーガ)と言えば乳海攪拌のエピソードでも登場しますし、仮に半神半蛇だとするとこの浮彫は「パタンジャリ」というヒンドゥー教の神ではないか、という説もあるそうです。
パタンジャリはシヴァの教えを地上に降り立って広めたり、シヴァの踊り(ナタラージャ)を見届けるなど、シヴァ神とも関わりの深い神様と言われています。
乳海攪拌による世界の誕生、シヴァ、そしてパタンジャリ(仮)-。
この3つのキーワードから、皆さんはプランバナン寺院のヒンドゥー教世界をどのように解釈しますでしょうか?いろいろと想像してみると楽しいと思います。
シヴァ祠堂とブラフマー祠堂に渡って描くことの意味

(https://photodharma.net/)
最後に、内苑がティールタであったとした場合に見えてくる驚きの仕掛けをもう一つご紹介します。
先ほど、「ラーマーヤナ」の浮彫(レリーフ)はシヴァ祠堂とブラフマー祠堂の2つに渡って描かれている、とお話ししました。
「ラーマーヤナ」は長編のお話ですし、浮彫を描く壁面スペースも限られていることから、1つの祠堂では収まりきらなかったと考えることも出来るかと思います。
ですが、やはりこれだけの建造物を造った人たちですから、2つの祠堂にあえて描いた理由というのもありそうです。
そこで注目したいのが、シヴァ祠堂からブラフマー祠堂に移るシーンの切れ目。
シヴァ祠堂の浮彫は、「ラーマーヤナ」でいよいよ主人公のラーマが、妻であるシータをさらった魔王ラーヴァナがいるランカー島に乗り込む場面で終わり、ブラフマー祠堂の浮彫へと続きます。
ランカー島は海で隔たれた場所ですので、そこに渡るには道を作る必要があり、上の写真はその道を作っている場面が描かれています。
ここから、この区切りにピンときた方はいらっしゃるでしょうか。
実際に祠堂を巡礼するとき、シヴァ祠堂を回った後に祠堂を下りてブラフマー祠堂に上がり、内陣の周りを巡る。
もし内苑がティールタの「海」だったとしたら、巡礼者は「ラーマーヤナ」でラーマたちが海を渡ってランカー島に上陸したように、内苑のティールタを渡ってブラフマー祠堂に移るのです。
それはまさに、浮彫の世界を物理的に体験する仕掛け。
本当にここまでの設計が考えられていたのか、解明される日が来るのが楽しみですが、それにしてもすごい仕掛けですよね。
いかがでしたでしょうか。
今回ご紹介したお話はあくまでも一つの学説ではあるものの、このような可能性があったかもしれない、と思いながらプランバナン寺院を巡るとまた違った楽しみ方ができると思います。
解明されていないからこそ、あれこれ想像を巡らせる楽しみがある、それがこの世界遺産・プランバナン寺院の魅力の一つだと筆者は思います。
(参考:「In praise of Prambanan」 Roy E.Jordaan、「Hydro-architectonic Conceptualizations in Central Javanese, Khmer, and South Indian Religious Architecture: The Prambanan Temple as a Sahasralinga Mechanism for the Consecration of Water」 Jeffrey Sundberg、「The Causeway Episode of the Prambanan Rāmāyaṇa Reexamined」 Roy E. Jordaan)
この記事を最後まで読んでくださったあなたへ
この記事をどんな理由で読まれましたか?今後の記事、企画の参考と励みになりますので、ぜひあなたの関心を教えてください。







筆者がプランバナン寺院を訪れたのは6月の快晴の日でした。
太陽が照りつける中、観光客は施設が貸してくれる日傘を差しながら園内を回るのですが、浮彫は太陽光や影で色合いや立体感の見え方が変わってくるので写真を撮るのに苦労しました。
今回は「水」にまつわるお話をご紹介しましたが、雨の日のプランバナン寺院がどのような姿なのか、このお話を知っていると雨のプランバナン寺院の神聖さを感じられるのかなと、次回訪れるときは雨の日もいいなと感じています。