2015年、日本の世界遺産として19番目に登録された「明治日本の産業革命遺産」。その名前を聞いただけでは、何が、どんな理由で世界遺産に登録されたのかよく分からない、という方も多いのではないでしょうか。
・世界遺産の特徴
・世界遺産に登録されるまで
・世界遺産に登録された理由
・構成遺産の紹介
・世界遺産が意味するものとは
「明治日本の産業革命遺産」の重要性と魅力に迫ります!
1.【明治日本の産業革命遺産】世界遺産の内容(構成資産)と特徴
構成遺産から見る特徴
まずは「明治日本の産業革命遺産」に含まれる構成遺産として、世界遺産に登録された内容を一覧でご紹介します。
山口県萩エリア:5件
萩反射炉
美須ケ鼻造船所跡
大板山たたら製鉄遺跡
萩城下町
松下村塾
鹿児島エリア:3件
旧集成館(旧集成館反射炉跡、旧集成館機械工場、旧鹿児島紡績所技師館)
寺山炭窯跡
関吉の疎水溝*
静岡県韮山エリア:1件
韮山反射炉
岩手県釜石エリア:1件
橋野鉄鉱山
佐賀県:1件
三重津海軍所跡
長崎県:8件
小菅修船場跡
三菱長崎造船所第三船渠*(非公開)
三菱長崎造船所ジャイアント・カンチレバークレーン*(非公開)
三菱長崎造船所旧木型場*
三菱長崎造船所占勝閣*(非公開)
高島炭鉱
端島炭鉱
旧グラバー住宅
福岡県三池エリア:2件
三池炭鉱・三池港*(宮原坑・万田坑、専用鉄道敷跡、三池港)
三角西港
福岡県八幡エリア:2件
官営八幡製鉄所*(旧本事務所、修繕工場、旧鍛冶工場)(すべて非公開)
遠賀川水源地ポンプ室*(内観非公開)
特徴①:シリアルノミネーション
構成遺産の数は北は岩手県から南は鹿児島県まで、8県11市にまたがって23件もの遺産が登録されています。これは日本の世界遺産の中でも、この明治日本の産業革命遺産が初めての試みとして世界遺産への登録申請した、「シリアルノミネーション」という方法での登録が認められたことによります。
それまでの世界遺産は、選考基準として「場所」や「地域」が重要視されていました。しかし、世界の歴史を見ても、必ずしも何か重要な出来事、革命的な出来事が特定の場所だけで起こるとは限りません。それは現在に近づくにつれてより一層その傾向が出てくると思います。
そこで、場所や地域に限らず、「ストーリー」を軸として世界の重要な歴史や出来事、革新を追い、世界遺産として登録する方法が認められるようになったのです。
特徴②:地理的な偏り
ちなみに、登録されている場所を見ると、山口県と長崎県が多く、また九州に偏っていることが分かるかと思います。考えられる理由を挙げていきますと、
・江戸時代幕末期から明治維新にかけて重要な役割を担った長州藩、薩摩藩などから変革のうねりが生まれた
・長崎県は鎖国中も例外として海外への貿易港として開かれており、鎖国後の日米修好通商条約の後にも下田、箱館、横浜とともに早くから開港となった重要な拠点だった
・当時日本の政治的中心だった江戸から離れており、幕府の目が行き届きにくい中で革新派が行動を起こしやすかった
・上海、香港からも近く、当時の清(中国)に手が伸びていた西欧諸国が航海して日本に渡来する際に距離的に近い
などがあると思います。
特徴③:稼働資産を含んでいる
また、世界遺産と言えば「遺産」なのであくまでも歴史的な遺構で、現在は使われていないモノというイメージがあるかと思いますが、実は上記の構成遺産の中には、現在も稼働中のものが含まれています。
上記の一覧でアスタリスク(*)が付いた構成資産は、現在も現役で稼働しているものになります。
2.【明治日本の産業革命遺産】世界遺産に登録されるまで
先ほど挙げた構成遺産は最初から決まっていたわけではなく、世界遺産への登録に向けてプロジェクトが立ち上がってから正式に日本としてユネスコに世界遺産を推薦する中で、取捨選択がありました。
また、世界遺産として日本からユネスコに推薦できるのは毎年1つのみ。当然各地域からも文化庁に、世界遺産として推薦してもらうよう申請が上がっている中、「明治日本の産業革命遺産」は2006年に文化庁に世界遺産登録の申請を提出してから、2015年の登録まで実に10年近い年月を要したことになります。
登録までの中で、特に注目に値する出来事を2つご紹介します。
①稼働資産の取扱い
先ほどご紹介した構成資産の中で、隣にアスタリスク(*)がついているものは、現在も稼働中、つまり現役の資産になります。
通常、世界遺産に登録される条件として、その遺産が厳重に管理・保護されることが保証されている必要があります。そのため、日本で世界遺産に登録されている構成遺産の多くは、文化財保護法などの法律によって厳重に管理、保全がなされています。
ここで、稼働資産に関しては文化財保護法の対象とならないことから、稼働資産を世界遺産として推薦するために、どのようにその管理、保全の保証を行うかで問題が勃発しました。政府、文化庁や地方自治体が協力してこの問題は解決され、無事世界遺産として登録されたわけですが、「明治日本の産業革命遺産」で稼働資産となっている構成資産は、景観法などが適用されています。
②韓国からの反発
世界遺産の推薦にあたっては、世界的に貴重な財産と認定するわけですから、推薦に当たって反感を買うような事態は無いかと思いきや、「明治日本の産業革命遺産」に関しては韓国から登録に猛反発を受けたのです。
韓国が反発した理由は、構成資産のうち長崎造船所や端島炭坑、三池炭鉱などで朝鮮人の徴用による強制労働が行われ、多くの朝鮮人が犠牲になったためです。確かに、歴史的に自国民が犠牲になった場所が世界遺産として登録されるとなれば、その国の人々は複雑な感情を抱くのは当然です。
一方、日本は「明治日本の産業革命遺産」として登録する歴史的な事実は、1850年~1910年の半世紀余りの時期であり、韓国が主張する強制労働が行われた第二次世界大戦とは異なる時期である、として反論を行いました。
この衝突を避けるため、日本は韓国が推薦を行っていた「百済歴史地区」の世界遺産登録に向けて協力を行うとともに、「労働を強いられた人々」の存在を表明することでお互い妥協するに至りました。本来は平和の意義を広く世界に知ってもらうための世界遺産が、政治の道具や交渉に使われてしまったことは残念ですよね。
3.【明治日本の産業革命遺産】世界遺産に登録された理由
さて、これまで「明治日本の産業革命遺産」の内容と世界遺産登録までの出来事を簡単にご紹介しましたが、それでは一体世界遺産として登録された理由はどこにあるのでしょうか?結局何がすごいのでしょう?
先に答えからお話しすると、
「明治日本の産業革命遺産」は、日本がそれまで鎖国状態を続けていた200年以上の歴史から明治維新を変換点として、特に重工業を起点に西欧諸国にも引けを取らない先進国に、わずか半世紀ほどの期間で成り上がるまでの奇跡/軌跡を残すものとして世界遺産に登録されたのです。
何がすごいのか?
さらっと書いてしまってイマイチ何がすごいことなのか、分かりにくいと思いますので、ポイントを踏まえて見てみましょう。
①200年以上続いた鎖国状態にあった日本が、わずか60年ほどで世界の先進国に躍り出た
江戸時代、江戸幕府によって長らく続けられた鎖国政策により、200年以上の年月の間に日本は世界の国々から大きく後れを取ってしまいました。
ペリーの黒船来航と大砲により江戸幕府が震え上がり、すぐに開国を約束してしまったという話は皆さんも歴史で学んだことだと思います。
黒船と大きな大砲を見て、あっという間に日本は「アメリカには技術的に敵わない」ことを悟ったわけです。逆にこの圧倒的な差を見せつけられたことが良かったのかもしれません。そこからわずか60年の間に、日本は貪欲に最先端の技術や発明を西欧諸国から学び、取り入れ、自分たちのモノにしてしまったのです。
世界的に見ても、こんな実例はほかにありません。日本の底力のすごさに、世界は驚いたはずです。
②西欧諸国の先進国に初めて仲間入りした非西欧国
日本が鎖国政策を取っていたがゆえに、日米修好通商条約により長崎などが開港する前に、香港にはすでに西欧諸国の手が回っており、実質的には支配下に置かれていた状況でした。
当時の清や香港に比べ、日本は遅れていたわけですが、そのビハインドから西洋諸国との不利条約を経て、重工業を見事に発展させて強力な先進国の仲間入りを果たすまでにのしあがった日本。その逞しさには、同じ日本人として誇りを感じずにはいられません。
③重工業(製鉄・製鋼、造船、石炭産業)の発展は、現在の日本の根本
「明治日本の産業革命遺産」の特徴は、日本における重工業の誕生を物語っていることにもあります。重工業というのは、その名の通り重いモノ(機械や船、自動車、製鋼など)を製造する産業で、現在も日本が世界に誇る産業です。
「ものづくり大国、日本」や「メイドインジャパン」というスローガンをよく聞きますが、世界的にも日本の品質や技術が優れていることは認められています。そして、この「日本品質」、「日本のお家芸」と呼ばれているのが、造船や製鉄・製鋼、自動車、機械といった重工業になります。
「明治日本の産業革命遺産」は、いわば現在の日本のDNAを紐解く貴重な遺産なのです。
世界遺産として登録された理由のまとめ
これまでのお話をまとめると、「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産として登録された理由は大きく以下の2つです。
①鎖国時代から開国を経て、重工業の産業基盤を確立しただけではなく、当時の先進国であって西欧諸国に並ぶほどの産業技術まで、わずか60年ほどで発展させたこと
②①の過程を示す明確な証拠(=遺産)が残されていること
4.【明治日本の産業革命遺産】構成遺産の紹介
それでは、「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産について、構成遺産の見どころを簡単にご紹介します。
時系列でのご紹介
先ほどお話しした通り、この世界遺産の特徴として、日本が工業大国に短期間でのしあがった過程(=ストーリー)が、遺産を通して目の当たりにすることができるという点が魅力であり、面白い点かと思います。
最初にご紹介した構成遺産を時系列で分類すると、下記のとおりです。
上記の通り、「明治日本の産業革命遺産」は3つの時期に分けて考えることができます。
第1段階:鎖国が終わり、開国と同時に西欧の技術力の高さを目の当たりにし、日本が国として国防の意識に目覚めるとともに、各藩で西洋の技術を間接的に模倣して、試行錯誤した時期。
第2段階:西洋技術を本格的に導入するために、専門知識を吸収するとともに実践的に導入を行った時期。
第3段階:日本国内に専門知識が蓄積され、西洋技術を日本の状況、環境に合わせて独自に改良し、発展させた時期。
このような変革を経て日本は発展の礎を築いたわけですが、これを踏まえてそれぞれの構成遺産を見るとより楽しめるかと思います。
構成遺産の紹介
最後に、簡単ではありますがそれぞれの構成遺産の見どころをご紹介します。
山口県萩エリア:5件
構成遺産 | 見どころ | |||||||||
萩反射炉 | 現存する2基の反射炉のうちの1つ。実際に利用されることはなかったが、長州藩が独自に作り出したもの。 | |||||||||
美須ケ鼻造船所跡 | 幕府の要望を受けて、長州藩が和船の技術を用いて西洋式の軍艦2基を作った場所。 | |||||||||
大板山たたら製鉄遺跡 | 美須ケ鼻造船所跡に造船のために使う鉛釘を供給するために、砂鉄から木炭を燃やして製鉄を行う伝統的な「たたら製鉄」を行っていた遺構。 | |||||||||
萩城下町 | 長州藩の政治的、経済的な基盤となった城下町。反射炉や造船への試行錯誤を生み出した精神はここから生まれた。 | |||||||||
松下村塾 | 吉田松陰が教えをふるった私塾。ここから明治維新、開国の際に重要な役割を果たした多くの著名人が輩出された。 |
鹿児島エリア:3件
構成遺産 | 見どころ | |||||||||
旧集成館(旧集成館反射炉跡、旧集成館機械工場、旧鹿児島紡績所技師館) | 欧米列強に対抗するため、薩摩藩藩主の島津斉彬(しまづなりあきら)が建設した工場群。この中にある「機械工場」は、現存する西洋式の工場では国内最古になる。 | |||||||||
寺山炭窯跡 | 集成館で行っていた大砲製造や造船の際に必要な燃料の木炭を製造していた炭窯の跡。石積みの炭窯本体は、当時の姿のまま。 | |||||||||
関吉の疎水溝* | 集成館の施設の動力源になった水を供給していた水路。今でも一部が農業用の水路として利用されている。 |
静岡県韮山エリア:1件
構成遺産 | 見どころ | |||||||||
韮山反射炉 | 大砲を製造するための材料となる鉄を作るための施設。それまで学んだ西洋技術をもとに、日本の伝統的な施工技術を駆使して日本が独自に作り上げた。 当時の反射炉としては、現在最も完全な姿で保存されている。 |
岩手県釜石エリア:1件
構成遺産 | 見どころ | |||||||||
橋野鉄鉱山 | 国内に現存する西洋式の高炉としては最も古く、鉄を作る炉の跡が残されている。 |
佐賀県:1件
構成遺産 | 見どころ | |||||||||
三重津海軍所跡 | 幕末に佐賀藩によって作られた海軍施設の跡地。ここで日本で初めての実用的な西洋式の蒸気船が建造された。 |
長崎県:8件
構成遺産 | 見どころ | |||||||||
小菅修船場跡 | トーマス・グラバーの援助のもと、建設された船を修繕するためのドック。 | |||||||||
三菱長崎造船所第三船渠*(非公開) | 大型船用の修理ドック。現在も稼働中。 | |||||||||
三菱長崎造船所ジャイアント・カンチレバークレーン*(非公開) | 日本で初めて建設された電動式のクレーン。 | |||||||||
三菱長崎造船所旧木型場* | 鋳物の鋳型をつくるために必要な木型を製作していた工場の跡地。 | |||||||||
三菱長崎造船所占勝閣*(非公開) | 当初、長崎造船所所長の住居として建てられたが、実際に住むことはなく迎賓館として利用された。 | |||||||||
高島炭鉱 | 海洋炭坑で石炭を発掘していた。 | |||||||||
端島炭鉱 | 通称「軍艦島」。国内外の石炭の需要を賄うべく、炭鉱の島として開発された。 | |||||||||
旧グラバー住宅 | 石炭、造船など当時の日本の主要産業の近代化に貢献した商人、トーマス・グラバーの活動拠点となった邸宅。 |
福岡県三池エリア:2件
構成遺産 | 見どころ | |||||||||
三池炭鉱・三池港*(宮原坑・万田坑、専用鉄道敷跡、三池港) | 石炭を発掘する炭坑と、それを港から積みだすために輸送用に作られた鉄道。三池港は現在も港として利用されている。 | |||||||||
三角西港 | 三池港が開港するまでの間、石炭を港から国外に輸出するために使われていた港。 |
福岡県八幡エリア:2件
構成遺産 | 見どころ | |||||||||
官営八幡製鉄所*(旧本事務所、修繕工場、旧鍛冶工場)(すべて非公開) | 製鉄、製鋼を行うための工場群。旧本事務所は和洋折衷の建築様式が特徴。 | |||||||||
遠賀川水源地ポンプ室*(内観非公開) | 製鉄所の取水・送水のための施設。 |
5.【明治日本の産業革命遺産】世界遺産が意味するもの
いかがでしたでしょうか。京都や奈良といった歴史的な遺産に比べると、近代的な遺産になるため見た目のインパクトはそれほど無いかもしれませんが、この「明治日本の産業革命遺産」無くして今の日本はありません。
幕末から明治にかけて突如現れた米欧に驚きながらも、新しい時代の幕開けに向けて国内はもちろん、海外にも目を向けて日本を突き動かしてきた多くの人々がいたことを、この世界遺産は私たちに教えてくれているのです。
現在のようにスマホ片手に世界の情報が毎日どんどん入ってくるような時代ではありません。そんな時代に、海の向こうの見知らぬ国からやってきた人や技術に目を輝かせながら、熱い思いで人々を、日本の国を動かしてきた日本人や海外の人々の姿を想像しながら、ぜひこの世界遺産を訪れてみてください!
(参考:「明治日本の産業革命遺産」柳澤 伊佐男 ワニブックス)