カンボジアの世界遺産、アンコール遺跡。その中で最も壮大ともいえるアンコール・ワットは、「神の世界を地上に具現化した空間」とも言われ、何といっても第一回廊に描かれた壁画は圧巻の一言。ヒンドゥー教ってどんな宗教?ヒンドゥー教に出てくる神様って?有名な「乳海攪拌」てどんなお話?
今回はそんなアンコール・ワットを楽しむうえで欠かせない、ヒンドゥー教に関するマメ知識をご紹介!
【世界遺産】アンコール・ワットとヒンドゥー教①:ヒンドゥー教ってどんな宗教?
ヒンドゥー教はインドで興った多神教の宗教です。インドと言えば、日本で最も馴染みのある仏教やバラモン教の起源としても有名ですよね。
多神教というのはそのままの通り、神様が複数存在する教えのこと。我々日本人からすると、自然には八百万の神が住まわっている、と昔から信じられてきたのでこの思想はすんなりと受け入れることができるのですが、世界を見てみるとこれは必ずしも当たり前ではありません。
世界最大の信者を持つキリスト教は、イエス・キリストが唯一神の息子であるとする一神教です。ですので、キリスト教の信者が日本の八百万の神を理解するのは実はとても難しいことなんです。
話がそれましたが、同じインドで興った宗教として、実はヒンドゥー教と仏教(厳密には日本で受け入れられた神仏習合形式の仏教)には思想が似ている部分が多くあり、ヒンドゥー教で登場する神は、名前を変えて仏教にも登場します。
逆に、仏教の祖である仏陀(釈迦)はヒンドゥー教では主要三神の1人、ヴィシュヌ神のアバター(化身)と考えられており、あくまで仏教はヒンドゥー教の1つの流れとしか捉えられていません。
ヒンドゥー教の思想(輪廻と解脱)
ヒンドゥー教の思想の根本となっているのは、「輪廻」と「解脱」という信仰です。仏教でもこれらの言葉は良く耳にするのでなんとなくイメージがわくのではないでしょうか。
「輪廻」とは人や動物など、すべての生きとし生けるものの命は循環していて、今生きている世界の死後も別の命に生まれ変わってその世界を生きる定めにある、という思想です。
では死んだ後、どんな命に生まれ変わるのでしょう?それは生前の行いよる「因果応報」という考えに基づき、良い行いをした人はより良い身分に、悪行を繰り返した人は身分が下がる、簡単に言うとそんな仕組みです。
このような思想が、ヒンドゥー教で厳しく身分が定められているカースト制度に結び付いてきます。
「生まれ変わる」という思想は一見、希望に見えるかもしれませんが、それを永遠に繰り返さないといけないとなると、それは苦痛でしかありません。基本的にヒンドゥー教でも仏教でも、「人の人生とは苦行だ」という思想が根本にあり、そこから抜け出すことが唯一の救いである。それが「解脱」の意味するところになります。
「解脱」を達成するには、当然生きている間に善行を積み重ねる必要があり、このためヒンドゥー教も仏教も、一部の宗派はとてもストイックな教義を持っているのです。
ヒンドゥー教の聖典
ヒンドゥー教の教えの根本となっている聖典は、「ヴェーダ」と呼ばれています。これはヒンドゥー教やバラモン教が生まれる元となった、紀元前の古代インドで編纂された宗教的な教義を記した書物です。
仏教でも般若経や浄土教など、様々な経典がありますが、ヒンドゥー教にも「ヴェーダ」以外にいくつか重要とされている聖典があります。
その中で世界遺産のアンコール・ワットの壁画にも描かれているのが「ラーマーヤナ」と「マハーバーラタ」と呼ばれている聖典です。この2つはインドの二大叙事詩にも挙げられています。
【世界遺産】アンコール・ワットとヒンドゥー教②:ヒンドゥー教の神々
ヒンドゥー教の三大神
ヒンドゥー教で最も重要な神は何といっても、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三大神です。なぜ3体の神様でセットなのかと言えば、ブラフマーが創造の神、ヴィシュヌが維持の神、そしてシヴァが破壊と再生の神として、3体の神様で世界は誕生し、保たれつつも絶えず生まれ変わっているとされているためです。
これをヒンドゥー教の教えでは「三神一体論(Trimurti:トリムルティ)」と呼んでいます。
三大神とVahana(バーハナ)
さて、この三大神はそれぞれに面白い特徴やエピソードがあるのですが、共通点もあります。それが、Vahana(バーハナ)という乗り物にまたがって描かれることが多いということです。
乗り物、といってもこのVahanaとなるのは動物や空想上の生き物で、単に神様を乗せる役割だけでなく、神様が魔族(Demon)と戦う時に手助けや力を貸すとても重要な存在として神聖視されています。
三大神のVahanaについてはそれぞれの紹介項目でご紹介します。
アンコール王朝が信仰した神様は?
古代カンボジアでは、アンコール王朝が興る前からすでにヒンドゥー教はインドから伝わっており、現地のクメール人たちに受け入れられていました。
ですが、それぞれの時代で信仰の対象となっていた神は異なっており、アンコール王朝が興った9世紀から11世紀まではシヴァ神が、最盛期を迎える12世紀前半にはヴィシュヌ神が、そしてその後12世紀後期から13世紀初頭まではヒンドゥー教に変わって仏教がアンコール王朝の基盤となっていたのです。
この違いは当然、その時々のアンコール王朝を支配していた国王の影響によるものですが、アンコール・ワットを創建したSuryavarman Ⅱ(スールヤヴァルマン2世)はヴィシュヌ神を、アンコール・トムのバイヨン寺院を創建したJayavarman Ⅶ(ジャヤヴァルマン7世)は仏教を信仰していました。
それではこの三大神を順にご紹介しましょう。
創造の神ブラフマー
容姿の特徴
ヒンドゥー教の神々は、その容姿がとても特徴的でインパクトがあるので分かりやすいのですが、創造の神、ブラフマーは4つの顔面を持つ神様ということで、いきなりのインパクトです。
もちろんこの4つの顔面にも意味があり、これはヒンドゥー教の聖典である「ヴェーダ」の4つの教義を表したものと言われています。
また、ブラフマーのVahana(バーハナ:乗り物)はHamsa(ハンサ)と呼ばれる神鳥で、白いガチョウのような姿をしています。ヒンドゥー教に関連する遺跡や寺院で、鳥に乗った姿が描かれた神様を見つけたら、ブラフマーです。
存在感の薄いブラフマー
その名の通り、三神揃って初めて意味を成すわけでそれぞれ互いに絶対神という存在なのですが、面白いのがこの中でもブラフマーは断トツで存在が薄く(=信仰の対象にほとんどならない)、ヴィシュヌとシヴァの二大神が圧倒的にヒンドゥー教徒の信仰を争っていること。
現在でもヒンドゥー教は、どの神様を最高神として崇めるかで信派が分かれているのですが、主な宗派はヴィシュヌ派 、シヴァ派 、シャクティ派、スマールタ派があり、同じ三大神のヴィシュヌやシヴァはあるのに、ブラフマーだけその名前が挙がっていません。
「世界を創造した神様」というとすべての始まりであり、最も重要な神様というイメージを持ってしまいますが、なぜブラフマーは存在感が無いのでしょうか。
その理由は、ヒンドゥー教の思想にも関連しています。
先ほどご紹介した通り、ヒンドゥー教では「輪廻」思想が根本にあるため、常に世界や命は循環をしています。それは「維持=ヴィシュヌ」と「破壊・再生=シヴァ」という絶え間ない動きであり、「輪廻」という思想において「始まり」はあまり重要では無いのです。
そんなブラフマーの「雑な扱い」がよく分かるエピソードを2つご紹介しましょう。
元々は5つの顔を持っていた!?
ある時、ブラフマーとヴィシュヌがどちらがより強力な存在かを言い争っていました。
そこに突然、炎の巨大な柱に姿を変えたシヴァ神が現れます。その巨大な柱はあまりに大きすぎて、その端まで見ることができません。
そこでブラフマーはハムサに姿を変えて天空に舞い上がり、頂上がどこかを探しに行きました。一方のヴィシュヌ神はイノシシに姿を変えて水に潜り、その底がどこになるのかを探しに行きます。「どちらが先に限界を見つけられるか!?」という競争ですね。
結局のところ二人ともその最果てまでたどり着くことができなかったのですが、ブラフマーは「天の頂上を見つけた!」と嘘をつきます。これに怒ったシヴァ神はブラフマーの5つあった顔の1つを切り落としてしまい、さらに呪いをかけたのです。
このエピソードからブラフマーもヴィシュヌもシヴァ神のパワーを認め、その証としてリンガが祀られるようになったそうです。(シヴァ派)
ビシュヌの力添えが無いと何もできない!?
一方のヴィシュヌ派もブラフマーを大したことのない存在として扱っています。
ヴィシュヌ派によると、この世界が創造される前にヴィシュヌ神は存在しており、そこにあった古い存在をすべて飲み込んで巨大な蛇、Ananta(アナンタ:「永遠」「無限」の象徴)にもたれかかって長い眠りについていました。
そして世界が空っぽの広大な海になり、ヴィシュヌ神が眠りから覚めた時、そのおへそから蓮の花に座ったブラフマーが誕生し、現在の世界が創造されたのです。
このように、ブラフマーはヴィシュヌあって現在の世界を創造することができたとされており、その助けがなければ何もできない無能な神とみなされています。
また、完全な存在とは程遠く、世界の調和をもたらすためビシュヌ神に助けを求めようとしましたが、結局最後には魔族に欺かれてしまい、不老不死の薬を渡してしまいます。これにより悪魔が世界から消えることはなく、この世界に「混沌」が生まれたとされています。
破壊と再生の神シヴァ
破壊と再生の神であるシヴァは、アンコール王朝においても12世紀初頭まで歴代の国王により厚い信仰により崇められていました。
現在でもシヴァ派はヒンドゥー教の4大宗派の1つに数えられるなど、信仰の厚い人気の最高神です。
容姿の特徴
今でも信仰の厚いシヴァ神の姿を描いた絵画や彫刻は多くのヒンドゥー教寺院で見ることができます。主な特徴を挙げるとすれば以下の通りです。
・3つ目の目を持っている
・体が青い(※)
・首に蛇を巻いている
・もつれた長い髪
・三日月を装飾している
※マークがついたものに関しては、そのエピソードを後ほどご紹介します。
シヴァのVahana(バーハナ:乗り物)はNandi(ナンディ)と呼ばれる白い牡牛です。
踊りの王、ナタラジャ
シヴァは踊っている姿で描かれていることが多い神でもあります。この「踊りの王=Nataraja(ナタラジャ)」という別名を持っているシヴァが、踊りと結びつくことにももちろん意味はあります。
それは、シヴァが踊る時、それは世界を破壊して再生させる時という思想です。
踊りというと陽気なイメージを思いがちですが、シヴァ神の場合は破壊と再生を行うための儀式であり手段が踊りというわけです。
踊って世界を破壊できる、まさに神ですね。。
ちなみにこのナタラジャの姿で描かれているシヴァは、後ろに炎を背負っていることが多いです。
ガネーシャの父親
シヴァは日本でも有名なガネーシャの父親でもあります。ガネーシャは障害を取り除き、富を運んでくれる商売、財産の神で、象の顔をした神様として人気ですよね。
ちなみに、なぜガネーシャが象の顔を持っているかご存じでしょうか。
ガネーシャはシヴァの妻であるParvati(パールヴァティ)が、身体の汚れを集めて人形を作り、それに命を吹き込んで生まれた神様です。さすが神様、子どもの作り方もスゴイ。。
ある日、パールヴァティは浴室で身体を清めている間に、誰も入ってこないようにガネーシャに見張り番を頼みました。
そこにシヴァが帰ってきます。
シヴァはまだガネーシャが自分の子どもであることを知りません。家に帰ってくると見知らぬ若者がいて、浴室に入ろうとすると遮る。
これにブチ切れたシヴァはガネーシャの首を切り落としてしまいます。
後でそれが自分の子どもであると知ったシヴァは、慌てて代わりの首を探しに出かけ、最初に目にした象の首を狩ってそれをガネーシャの首に取り付けたのです。
いやあ、何ともぶっ飛んだ話ですよね。。しかも先ほどのブラフマーの話といい、カッとなるとすぐ手を出すシヴァ。まさに破壊の神という名がぴったりです。
シヴァ信仰とLinga(リンガ)・Yoni(ヨニ)
アンコール遺跡や他のヒンドゥー教寺院に行くと、よく見かけるのがリンガと呼ばれる石の置物です。
リンガは、長い棒のような形をした中央から出ている部分を言いますが、これは男根のシンボルとなっています。
このリンガは良く知られているものですが、実はあまり気にしないその周りにあるものにもちゃんとした意味があります。
リンガは、丸い棒の形をしてますが下の部分は八角形と、それを取り囲む四角形となっています。これはそれぞれヴィシュヌとブラフマーの象徴です。
さらに、リンガを取り囲む台座のようなもの、これをYoni(ヨニ)と言いますが、こちらは女性の子宮の象徴となっています。まさに命を創造する場所ですね。
ヨニはヒンドゥー教の女性神、Shakti(シャクティ)の象徴でもあり、三神一体に加えて女性神を表現したリンガとヨニは、まさに命の誕生がそのまま世界の誕生を示しているかのようです。
維持の神ヴィシュヌ
容姿の特徴
ヴィシュヌの容姿の特徴としては、4つの手を持ちそれぞれにこん棒・ほら貝・蓮華・輪宝を持っていること。
そして、ヴィシュヌのVahana(バーハナ:乗り物)はGaruda(ガルーダ)と呼ばれる神鳥です。ガルーダの特徴として、ワシの姿(クチバシ、翼、爪)と人間の腕をしています。
ヴィシュヌとAvatara(アヴァターラ、アバター)
ヴィシュヌの特徴は何といってもAvatara(アヴァターラ)と呼ばれる化身・権化ともいえる存在です。
映画で歴代1位となる大ヒットとなった「アバター」によって、「アバター」という言葉にはなじみのある方も多いかと思いますが、そのアバターをイメージして頂けると分かりやすいです。
このヴィシュヌはヒンドゥー教の中で、異なる姿や形でたくさんのエピソードに登場します(Avatara)。特に有名なヴィシュヌの10のAvataraを列挙しておきます。
Avatara | 容姿 | エピソード |
Matsya(マツヤ) | 半魚半人 | 海で「ヴェーダ」を盗んだ魔族と戦い、「ヴェーダ」を取り戻す |
Kurma(カーマ) | 亀 | 「乳海攪拌」 |
Vataha(ヴァラーハ) | イノシシ | 魔族が地上世界を広大な海に沈めようとした時、海に飛び込んで世界を地表にすくい上げた |
Narasimha(ナラシンハ) | 半獅子半人 | 魔族のHiranyakashipu(ヒラニヤカシプ)が自分の息子さえも殺そうとしたとき、ヴィシュヌは半獅子半人の姿に変え、この魔族を殺した。半獅子半人の姿になったのは、この魔族が特殊な力によって動物からも、人間からも殺されない能力を身につけていたため。 |
Vamana(ヴァーマナ) | ドワーフ(小人) | 魔族のBali(バリ)が強力な力で世界を支配した時、小人の姿になったヴィシュヌはバリに「3歩分の領地をくれ」と頼む。お安い御用とバリがそれを受け入れたとたん、ヴィシュヌは巨人に変身し、3歩で天空、地上、冥界の全てを跨いでバリを追い出した。 |
Parashurama(パラシュラーマ) | 斧を持ったRama(ラマ) | 強力な力を得たKshatriya(クシャトリヤ)と戦い、殲滅する。 |
Rama(ラーマ) | ラーマーヤナの主人公 | |
Krishna(クリシュナ) | マハーバーラタなどの主人公 | |
Buddha(ブッダ) | 仏教における主人公 | |
Kalki(カルキ) | 白い馬に乗ったヴィシュヌ | 43万年後、この世界の終焉の際に現れて新しい世界を創造するとされる。 |
これらがヴィシュヌの主要な10のAvataraとなっていますが、注目すべきは7つ目のラーマ以降でしょう。ラーマとクリシュナはそれぞれラーマーヤナとマハーバーラタという、ヒンドゥー教の聖典の1つに出てくる主人公ですし、9つ目に至ってはブッダという仏教の創設者が登場します。
ここから分かる通り、仏教はヒンドゥー教という大きな教義が形を変えたものの1つであって、ヒンドゥー教の最高神の1人がそれを司っているに過ぎない、というヒンドゥー教の仏教への見方が分かります。
【世界遺産】アンコール・ワットとヒンドゥー教③:「乳海攪拌」のお話
アンコール・ワットを含むアンコール遺跡を巡っていると、おそらく最も目にするのが「乳海攪拌」のエピソードを表した彫刻、壁画でしょう。
ここでは「乳海攪拌」のお話を簡単にご紹介します。
乳海攪拌
この世界が誕生する前、神々と魔族との間で絶え間ない戦いが続いていました。
魔族に何としても勝ちたい神々にとって、魔族に勝利するためには不死身の薬とされるAmrita(アムリタ)を探し出す必要がありますが、どこにあるのか分かりません。
困った神々はヴィシュヌに相談します。
するとヴィシュヌはこんなことを言い出しました。
「この広大な海をとにかくかき混ぜろ。そうしたらやがて海の中からアムリタが出てくるだろう。ただし、この広大な海をかき混ぜるにはとても我々の力だけでは無理な話だ。魔族と協力しないと。」と。
これまで争いを繰り広げていた魔族と一時休戦して力を合わせ、一緒にアムリタを見つけよう、というわけです。
これに渋々賛同した神様たちですが、1つだけ条件を付けました。それは、アムリタが見つかっても魔族には一滴も渡さない、というもの。
やがてこの話を魔族にも持ち掛け、神々と魔族が協力して広大な海をかき混ぜることになりました。
どうやってかき混ぜるか、それは中心にそびえる巨大なマンダラ山を、Vasuki(ヴァスキ)という大蛇を綱代わりにして引っ張り、回すという方法。
何ともスケールが大きいですよね。しかも大蛇と山を使って広大な海をかき回す。。綱代わりにされた大蛇もたまったもんじゃありません。
ここで1つ問題が起こります。それはマンダラ山の土台がしっかりしていないので思うようにかき回せないんです。
これを解決したのがヴィシュヌ。カーマという亀の形になって、マンダラ山をしっかり下から支えることで、安定してかき混ぜることができるようになりました。
やがて、海の中から突如、アムリタが入った薬壺を持ったDhanvantari(ダヌヴァンタリ神)が現れます。
さあ、ここからはアムリタの奪い合い!
まず薬壺を手にしたのは魔族側。魔族がアムリタを飲もうとすると、ここでもヴィシュヌが大活躍!絶世の美女であるMohini(モヒニ)という美女に変身して魔族を誘惑します。
魔族たちがモヒニに気を取られている隙に、別の神がアムリタを奪い返し、神々がアムリタを飲み干します。
が、ここでも最後まで勝負は分かりません。なんと神々の中に、神様に姿を変えた魔族が紛れ込んでいました。この魔族がアムリタを飲み干す直前、その正体に気づいたのが太陽と月の神、Surya(スールヤ)とChandra(チャンドラ)でした。これをすかさずヴィシュヌに報告すると、ヴィシュヌはすかさずこの魔族の首を切り落とします。
切り落とされた魔族はRahu(ラフ-)と言い、首から上がアムリタの効果で不死身になってしまいました。正体をばらされたラフ-は、その後スールヤとチャンドラに恨みを持ち続け、時には太陽と月を飲み込んでしまいます。
これが日食と月食の始まり、と言われているのです。
結局、アムリタを飲んだ神々がこの後優勢になり、今の世の創造と秩序が保たれるようになりました。めでたしめでたし。
これが「乳海攪拌」のお話です。
ちなみに、かき混ぜた海から出てきたものはアムリタだけではなく、ヴィシュヌの妻になるLaksmi(ラクシュミー)もここから誕生しました。ラクシュミーは美と豊穣の女神です。
【世界遺産】アンコール・ワットとヒンドゥー教④:まとめ
いかがでしたでしょうか。この記事をお読みいただき、少しはヒンドゥー教が身近なものに感じていただけたら幸いです。
世界遺産アンコール・ワットの回廊壁画では4つの題材が描かれています。先ほどご紹介した「乳海攪拌」に加えて、「ラーマーヤナ」と「マハーバーラタ」聖典、そして「天国と地獄」。
いずれもヒンドゥー教の思想を表すものですが、アンコール・ワットを創建したSuryavarman Ⅱ(スールヤヴァルマン2世)はヴィシュヌを信仰していたとされています。
アンコールワットの回廊壁画にこれらの題材が描かれたことと、Suryavarman Ⅱのヴィシュヌ信仰は無関係ではないでしょう。
また、ここまでお読みいただければアンコール王朝における信仰の変遷もこのように考えることができるかもしれません。
9世紀初めに王朝が誕生した後も、隣国との争いや国内も必ずしもまとまりがなく、言ってみればアンコール王朝は「未完成」の王朝だった。それが「完成」するためには、試行錯誤(破壊と再生=シヴァ)が必要であり、歴代の国王たちはシヴァを強く信仰した。
そして、アンコール・ワットを築いたSuryavarmanの時世に、アンコール王朝はある意味で頂点を迎えようとしています。そこで必要とされたのは、これ以上の破壊と再生ではなく、むしろこの栄華の維持(=ヴィシュヌ)ではなかったでしょうか。
これはあくまでも筆者一個人の勝手な想像ではありますが、ヒンドゥー教を少しでも知っていれば、アンコール・ワットやアンコール遺跡を見る目が間違いなく変わることでしょう。
ぜひこの記事を読んで、アンコール・ワットをより楽しんでください!
(参考「Focusing On The Angkor Temples」Michel Petrotchenko)