世界遺産の楽しみ方

世界遺産を楽しむために知っておきたい初期仏教のマメ知識5選

日本のみならず、アジアを旅する時には必ず一度は目にする仏教寺院。ひとくくりに「仏教」と言っても、時代や国によってその思想が大きく異なっていることはご存じでしょうか。
今回は世界遺産や仏教寺院を楽しむ上で知っておきたい「初期仏教」のマメ知識を5つご紹介します!

1.仏教の始まり

開祖

仏教の始まりは、紀元前6世紀~5世紀までさかのぼることになりますが、仏教の創始者はご存じでしょうか。
よく耳にするのは、「お釈迦様」や「ブッダ(仏陀)」という名前ですが、これはどちらも人の名前ではなく、通称のようなもの。

仏教の開祖はゴータマ・シッダッタ(Gotama Siddhattha)という名前の「実在する」人物です。この「実在する」というのは実は宗教を考える上ではとても重要なことで、ゴータマ・シッダッタは「カピラヴァットゥというヒマラヤ山脈のふもとにある国(現在のネパール、ルンビニ)の生まれで、父親はスッドーダナという王様、母親はマーヤー 夫人」という詳しい出生まで明らかになっています。

例えば、キリスト教のイエス・キリストは、処女であった母親であるマグダラのマリアが神より受胎を授かって生まれたことになっています(有名な「受胎告知」)が、自然に子どもを授かるなど実際にはあり得ないことでもあるので、イエス・キリストが歴史上実在した人物であるかどうかは未だに多くの謎を秘めています。

ちなみに、「お釈迦様」という呼び名は、ゴータマ・シッダッタが釈迦族の出生だったことから付いた呼び名であり、「釈迦牟尼(しゃかむに)」と呼ばれることもあります。「ブッダ(Buddha)」は「目覚めた人」、つまり悟りを開いた人、という意味でイコールこのゴータマ・シッダッタを指すことが多くなっています。

仏教はゴータマ・シッダッタという実在した人物が苦悩の末にたどり着いた悟りの境地であるため、実はとても論理的、現実的な教えとなっており、ある意味哲学にも通ずるところがあります。これは神々の世界が広がるヒンドゥー教とは大きな違いと言えますし、現代を生きる我々にとってもすっと腑に落ちる教えと言えるでしょう。これは後ほどご紹介していきます。

ゴータマ・シッダッタの出生

先ほどご紹介したように、仏教の開祖であるゴータマ・シッダッタは「王子」という身分であり、実は裕福どころか何の不自由もない恵まれた環境で生まれました。

出生時の有名なエピソードとをご紹介しましょう。

ゴータマ・シッダッタは、何と生まれ落ちたその瞬間にいきなり7歩も歩いて、天と地を指さしながらこう言ったそうです。

「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんがゆいがどくそん)

漢字から何となく意味がお分かりになるかもしれませんが、
「この世において私ただ一人だけが尊い存在なのです。」
という感じでしょうか。

つい先ほど生まれた赤ん坊なのに随分偉そうな事を言っていますよね。。仏教の開祖ですからこのくらいのエピソード(伝説)が無いとインパクトありませんが。

実は父親のスッドーダナ王、シッダッタが生まれる前に有名なバラモンにシッダッタの将来を聞いたところ、「この子は将来、俗世にとどまるなら世界を統一する権力者となり、家を出るようなことがあれば真の解脱を求め、その真理を解明し、その教えによって世界を照らす存在になるだろう。」と言われます。

いずれにしても偉人を予感させるものの、ようやくの思いで跡継ぎに恵まれた王にとっては、シッダッタを何としても国王にすべく、彼をあらゆる現実から遠ざけて育てました。

そしてシッダッタは何不自由なく王宮で育っていきました。ですが、その努力もむなしく運命が彼の人生を大きく変えることになります。シッダッタ29歳、出家の時が迫っていました。

ゴータマ・シッダッタの出家

父親の甘い教育もむなしく、ゴータマ・シッダッタは29歳で出家を決意し、家を飛び出しました。出家につながる有名なエピソードが、「四門出遊」(しもんしゅつゆう)です。

シッダッタが大きくなり、「さすがに大きくなったから、今さら家を出るなんてことは言わないだろう。今後のためにも少し外の世界を見せなくては。」ということで、父親のスッドーダナ王はシッダッタへ外遊の許可を出します。

シッダッタは東門、南門、西門の順に外遊するのですが、それぞれ「老人」、「病人」、「死者の葬儀」に出会います。
それまで何も知らなかったシッダッタは、初めて「老」、「病」、「死」という避けることもできず抗えない存在があることに意気消沈。どんなに財産を持っていようと、裕福な環境であろうと、人々は老い、病に侵され、いつか死んでしまう-。

これを目の当たりにして、シッダッタは深くショックを受け、思い悩むようになります。

そして最後に北門から外遊した際に出会ったのが「修行僧」でした。「老」「病」「死」という現実がありながら、この修行僧の目には生がみなぎっており、崇高な雰囲気さえ感じます。

この修行僧に感銘を受けたシッダッタは、ついに自分も同じ修行僧として自分が抱えている深い苦悩の答えを求めるべく、出家したのです。

悟りを開く

出家をしたゴータマ・シッダッタは最初、「苦行」に耐えていればいつか苦悩の答えを見つけることができるかもしれない、と考えてあらゆる苦行に没頭します。これは当時広く浸透していたバラモン教やヒンドゥー教において、熱心な修行者たちが森林など人里から離れて苦行に没頭することが一般的だったことがあります。

しかし最終的に「苦行」は何の解決にもならない、自分が行ってきたことは間違っていた、と苦行を放棄し、そこから瞑想を主体とする修行に転換したのです。

なぜ「瞑想」という手段に変えたのでしょうか。

それは、「諸行無常」(しょぎょうむじょう)、つまりこの世は絶えず変化していて、不変で確かなものは何もない。という結論に至ったから。
絶えず変化している世の中で、「確実で決まった答え」を探そうとしてもそれは無理な話で、であればそういった世の中を受け入れて、自分の心の在り方を変えることが苦悩から解放される方法なのではないか。

そんな考えから悟りの境地に達したシッダッタ。この時35歳でした。
仏教では悟りを「菩提(ぼだい)」と言い、その境地を「涅槃(ねはん)」と言います。

サンガ(僧団)の始まり

さて、悟りを開いたシッダッタですが、実は最初から「布教」という考えは持っていませんでした。
というのも、出家をした目的が「深い苦悩・迷いからの解放」という、シッダッタの心・考え方に対する答えを見つけることだったからです。

悟りの境地に達した時点で、この目的は達成されたので、シッダッタにしてみればこれでめでたしめでたし、と終わっています。

ただ、ここでまた伝説の1ページが刻まれることになります。

悟りの境地に至ったシッダッタは、自分が導き出した悟りを他の者が理解するのは到底困難だろうと考えて、自分で完結しようと決意しました。
そこに天から梵天(ヴェーダ神でいうとインドラ、ヒンドゥー教ではいブラフマー)が現れ、シッダッタに人々に教えを説くよう懇願します。

最終的にこれを受け入れ、シッダッタは民衆を救うために立ち上がったわけですが、最初に布教を行ったのが現在のインド、バラナシ近郊のサールナートです。

ここで教えを説いたシッダッタは、5人の弟子と出会うことになります。そしてシッダッタを含めた6人での共同生活が始まったのですが、これがのちにサンガと呼ばれる修行僧による集団組織の始まりと言われています。

このサンガ、日本人にはあまりなじみがありませんが、仏教が広がる上でとても重要な役割を担っています。これは改めて後ほど詳しくお話しします。

2.現在の仏教

口頭でその教えが引き継がれた仏教

さて、ざっとゴータマ・シッダッタが悟りを開き、仏教が始まるまでをお話ししましたが、ここで気を付けていただきたいのは、現在、特に日本で一般的に言われている「仏教」とゴータマ・シッダッタが開いた「仏教」はその考えや思想にかなり隔たりがあります。

考えてみるとお釈迦様(以下、この記事ではゴータマ・シッダッタを「お釈迦様」と表記します。)が入滅(亡くなる)されてから2,500年もの月日が流れているわけですが、この間にその教えが不変のまま受け継がれるということはあり得ません。これは他の宗教でも少なからず共有することかと思います。

仏教が時とともにいくつもの宗派に分かれた理由の1つが、お釈迦様がいらっしゃった時、一切その教えを記録することを許さなかったことにあります。
仏教は、これまでお話ししてきたように修行者が悟りを開き、涅槃に到達することが目的なわけですが、諸行無常という思想にもある通り、そこに至る画一的な方法というものはなく、日々その教えに基づいた実践を繰り返すことが重要とされています。このことからも、お釈迦様は画一的に記録としてその教えを残すことにあまり意義を感じられなかったのかもしれません。

この結果、お釈迦様の入滅後、その弟子たちが暗記していたお釈迦様の教えを口頭で広めることになるのですが、記録がなく口頭である以上、いくら暗記していたとはいえ、その伝わり方は微妙にずれてきます。さらに、お釈迦様がいなくなっては誰の主張や考えが正しいか、それを判断できる人も存在しなくなってしまいます。

最初に仏教の教えを経典にまとめたものは「ニカーヤ」と呼ばれいますが、これもお釈迦様の入滅後数百年という時が経ってから編纂されたものです。

仏教の大きな分類

時と共にその教えがだんだんと分裂してきた仏教ですが、大きく3つに区分することができます。

①初期仏教

まずはお釈迦様が生きておられた頃からその死後100年程度までの間、お釈迦様の教えの原型に近くその教えを実践してきた仏教を「初期仏教」と呼んでいます。

言ってみれば初期仏教こそが本来の仏教の教えを表したものということになります。

②部派仏教(上座部仏教)

初期仏教の後に勃興したのが部派仏教です。こちらは単独の宗派というよりは、初期仏教から枝分かれした最初の仏教であり、いくつかの部派が成立していましたが、その中でも現在までその教えが続いていると言われているのが、東南アジアの国、スリランカやタイ、カンボジアで一般的な上座部仏教です。

③大乗仏教

上座部仏教の後、1世紀前後に誕生したと考えられているのが大乗仏教です。これはインドからシルクロードを伝って中国、韓国とそして日本に伝えられた仏教で、今の日本で仏教と言えばこの大乗仏教を指します。

分類による思想の違い

それでは初期仏教、上座部仏教と大乗仏教では何が異なるのでしょうか。
おおざっぱに言えば、その順番でお釈迦様がもともと説いていた思想との乖離が大きくなっていくと思って頂けると分かりやすいかもしれません。
つまり、われわれ日本人が言うところの「仏教(大乗仏教)」は実はお釈迦様の教えからかなり違ったものになっており、上座部仏教はよりお釈迦様の教えを厳格に実践している部派ということです。

お釈迦様が悟りを開かれるまでのお話をしましたが、それと日本の大乗仏教を比較して見ると何となく違和感がありませんか?

日本の大乗仏教、たとえは浄土宗というのは簡単に言えば念仏を一生懸命唱えれば極楽浄土に行けますよ、というもの。極楽浄土は死後の世界ですが、現世(生きている世界)で煩悩から解放され、涅槃に到達するというお釈迦様の教えや目的とはちょっと違いますよね。

それでは改めて、お釈迦様の教えとはどのようなものだったのかを見ていきましょう

3.初期仏教の教え

四諦・八正道(したい・はっしょうどう)

お釈迦様の生い立ちでご紹介した通り、仏教では「一切皆苦(いっさいかいく)」という言葉が表す通り、人間の生とは基本的に苦しいものという思想観があります。
「老」「病」「死」を挙げたように、どんな人間もこれらから逃れることはできません。また、財産や富を持っていればそれだけこだわりや不安が生まれ、さらなる苦しみが生じることになります。

この苦しみから解放されることを目的とし、その境地に達する心の在り方を説くのが仏教です。これの真理と方法を「四諦・八正道」と言います。

四諦というのは苦諦(くたい)、集諦(じったい)、滅諦(めったい)、道諦(どうたい)の4つを指し、それぞれ、以下の通りです。
苦諦:この世の全ては基本的に苦しみである。(一切皆苦)
集諦:その苦しみの元となっているのは、何かに執着する心であり、煩悩である。
滅諦:この苦しみの連鎖を断ち切り、解放されること(=悟りを開く)が唯一この苦しみから逃れる方法である。
道諦:悟りを開くには八正道による実践を積むことが必要。

八正道とは、簡単に言ってしまえば悟りの境地に達するために「正しい行い」を実践すること。
①正見(しょうけん):物事を正しくみること
②正思惟(しょうしい):物事を正しく考えること
③正語(しょうご):正しい言葉で語ること
④正業(しょうごう):正しい行いをすること
⑤正命(しょうみょう):正しい生活を送ること
⑥正精進(しょうしようじん):正しく努力を続けること
⑦正念(しょうねん):正しく心に留めること
⑧正定(しょうじよう):正しく瞑想を行うこと

①と②が根本にある考え方と姿勢であり、先ほどの四諦を正しく理解すること。そして③④⑤がそれに基づく日々の実践と言えるでしょう。さらに、⑥⑦⑧がこれらをより強化し、安定させるための手法と言えます。

「自利」の精神

すでにお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、仏教というのは基本的に「自己救済」の宗教と言えます。まず自分の中にある迷いや煩悩から生じる苦しみから解放され、悟りの境地に達すること。これが仏教の何よりの目的で、そこに「他人を救済する」という考えはありません。

「他人を救済する」前に、まず自分がそれだけのことをできる人間になる、というのが仏教の考え方です。「利他」の精神は「自利」が成立して初めて実現するということですね。

これを最もよく表している言葉が、「自明灯、法明灯」という言葉。
これはお釈迦様が入滅される際、最後に弟子たちに残した言葉と言われています。
「他者に頼らず、自分と法を拠り所として生きよ。」という意味です。まさに自分自身と法と、愚直に向き合うことの重要さを教えている言葉です。

三宝とサンガ

仏教には「三宝」という言葉があります。日本でも聖徳太子が「十七条の憲法」で「篤く三宝を敬え」と記したことでも有名です。

この「三宝」とは「仏・法・僧」のことですが、厳密には仏=お釈迦様、法=お釈迦様の教え、僧=その教えを実践するサンガ、を意味しています。

先ほど少しご紹介した通り、サンガとは修行に励む仏教僧(仏教用語で「比丘」(びく)と言います。)が集団で生活を送る組織を言います。

サンガの成り立ちはご説明しましたが、なぜこのような集団が誕生したのかというと、その目的は比丘が修行に没頭できる環境を作ることと、互いに実践を通じて向上しあうことが挙げられます。

基本的に比丘は一切の生計を立てることは許されず、日々の食事は托鉢で賄わなければなりません。これを一人一人が別々に行うと、托鉢だけで時間を取られてしまいますが、集団で担当を回せば修行の時間を確保することができます。

このように、サンガは仏教において涅槃に到達するために欠かせない組織であるとともに、仏教が広がる上でも重要な役割を担っています。

というのも、サンガは一定規模以上の集団になることは認められていませんでした。それだけ大所帯になると、托鉢だけでもかなりの食糧が必要になり、街の人々に迷惑がかかるからです。
ですので、一定数に達したサンガは自然と解散し、比丘たちは違う街へと離れてそこで新たにサンガを形成したのです。

もともとお釈迦様とその教えは絶対であった以外、サンガにおいては上下関係はありません。ということはお釈迦様が入滅されてから後は、基本的に仏教には上下関係は一切なく、比丘たちは平等な立場にあります。
このフラットな関係性が、サンガの広がりにつながり、仏教が世界に広がることになったのです。

4.初期仏教と大乗仏教の違い

ここまでお読みいただければ、初期仏教と日本の大乗仏教がいかに異なるものかお分かりいただけるかと思います。
もう少し両者の違いを見てみましょう。

目的の違い

初期仏教はあくまでも「自己救済」をベースとして、悟りの境地(=涅槃)に到達することが目的です。
一方の大乗仏教は、「民衆救済」としてより多くの人々の救済が目的とされています。それゆえに、その内容は民衆にも分かりやすく、実践もしやすいものになっています。

さらに、先ほどお話ししたように、初期仏教はあくまで「現世」がその根本にあるのに対し、大乗仏教は「来世」が目的となっています。

お釈迦様の存在

初期仏教では、お釈迦様が唯一の仏陀(ブッダ)という存在であり、比丘がいくら修行して悟りの境地に達したとしてもお釈迦様と同等の立場になることは認められていません。
お釈迦様の弟子である比丘が悟りの境地に達した状態は「阿羅漢(あらかん)」と呼ばれ、仏陀であるお釈迦様とは別の存在とみなされています。

一方、大乗仏教においては仏様と名の付く存在は、大日如来や薬師如来など、複数存在しています。お釈迦様もこれらの「如来=仏様」の一人として数えられていますが、唯一の存在では無くなってしまっています。

サンガ

初期仏教ではサンガという集団組織が存在していますが、日本の大乗仏教ではこのような集団はほとんど見かけません。
また、サンガはもちろん仏教の前では一切が平等というお話をしましたが、日本の大乗仏教においては「総本山」など各宗派においてその役割上、上下関係が存在しているように見えます。

日本では托鉢があまりなじみが無いのも、このサンガという仕組みが浸透していないことが考えられます。

5.仏教とヒンドゥー教

最後に、仏教とヒンドゥー教の関係についてお話しておきます。

ヒンドゥー教も仏教も、その起源となっているのは「ヴェーダ」という、もともとインドにやってきたアーリア人たちの思想がおおもとにあります。

成り立ちとしてはヒンドゥー教の方が古いのですが、仏教はヒンドゥー教が無ければ生まれていなかったかもしれません。
というのも、仏教はある意味でヒンドゥー教を否定する存在として生まれたからです。

ヒンドゥー教と言えば、カースト制度による厳しい身分の差が決められており、これは人が努力をしてどうこうなるものではなく、生まれた家に基づいて決められています。
決められた身分の中で輪廻からの解脱を目指して努力を行うのがヒンドゥー教の教えでもあるのですが、仏教は「人は誰しもその存在は平等でしょう」というスタンスなのです。

最初にご紹介したゴータマ・シッダッタの四門出遊を思い出してください。シッダッタが出会った「苦しみや不条理」は、当時一般的だったヒンドゥー教のカースト制度による身分差の世界ではより強く感じたのではないでしょうか。
ヒンドゥー教が存在する世界をひっくるめて、その苦しみからの解放を目指した仏教。「四民平等」を前提とし、現世のあらゆる苦しみや煩悩からの解放を実践的に説いた仏教は、ヒンドゥー教の厳しい身分にあえぐ庶民にとっては希望の光になったことでしょう。

インドに興った仏教はその後、スリランカやタイなど東南アジアに広がりを見せる一方で、残念ながらインドではヒンドゥー教に飲み込まれて消滅してしまいます。

もしインドで仏教がヒンドゥー教に取って代わっていれば、今のインドはどんな姿になっていたのでしょうか。

6.まとめ

いかがでしたでしょうか。今回ご紹介したのは、仏教のほんの一部分にしかすぎません。
ですが、これから皆さんが日本だけでなく世界の仏教寺院や世界遺産など、仏教に関連する場所を訪れた際には、まずその仏教寺院の成り立ち(いつの時代に生まれたものか)と、どの分類に属する仏教を前提としているのか、それを見極めた上で観ていただくと、より深く楽しめることと思います!

(参考:「本当の仏教を学ぶ一日講座 ゴータマは、いかにしてブッダとなったのか」佐々木閑 NHK出版新書) 

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