日本の世界遺産、富士山と言えば日本だけでなく、世界からも日本のシンボルとして親しまれています。そんな富士山が日本一の高さを誇り、あのような美しい形をしている理由を皆さんはご存じでしょうか。
今回は地理・地質学の観点から世界遺産、富士山の魅力に迫ります!富士山がどのようにして生まれたのか、なぜ日本一の山になり、美しい形をしているのか、これを読めばその答えが分かります!
1.【世界遺産】地球の成り立ちと富士山
富士山は今、静岡県、山梨県にまたがってその雄姿を私たちに見せていますが、皆さんは
「なぜ富士山がこの場所にあるのか。」
ということを考えたことはあるでしょうか。
「なぜそこに山があるのか。」
なんてまるで哲学のような疑問、考えることもしないかもしれません。ですが、富士山が今この場所にあることにも、ちゃんとした地理上の理由があるのです。
それを知るためには、まず地球の成り立ちを知る必要があります。順を追ってご紹介します。
地球の成り立ちとプレートテクトニクス
皆さんは地球が宇宙に誕生した時、どのような状態だったかご存じでしょうか。どこかで聞いたことがあるかと思いますが、生まれたばかりの地球は燃えさかるマグマの球体でした。
これが長い時を経て、やがて表面が冷やされて固まっていきます。この時の状態は、言ってみればいくつかのヒビがはいった卵のようなもの。
ここから次第に海と陸が形成されていくわけですが、このヒビによって、地球の表面はいくつかの「殻」に分けられていました。この表面を覆う何枚かの「殻」のことを、「プレート」と言います。
このプレートの上に海と陸地ができ、今の地球の美しい姿があるわけなんですが、地球の成り立ちはもう少し複雑な事情を私たちに見せてくれています。
このプレートは、あくまでももともとマグマの塊のように燃える球体だった地球の表面が固まってできたものにすぎません。また、もし地球を半分に割ってその中を見ると実はいくつかの層に分かれており、中心に行くほどより高温になっていきます。
プレートの下には「マントル」と呼ばれる層があるのですが、この層の上層部は液体のように流動性があります。簡単に言うと、液体なので固体のように安定せず、「動く」ということ。
マントルの上層部が動けば、当然その上にあるプレートも動くことになります。
プレートが動く、と言っても1年に数センチというわずかな距離。ですが、これが何千万、億という途方もない年月となると、かなりの距離になってきます。
このため、太古の昔に地球にあった大陸は、今のユーラシア大陸、南米大陸、などとは違った姿をしていたと考えられています。
このようにプレートが動くことで、大陸が長い年月を経てその姿や場所を変えてきたと考える説を「プレートテクトニクス」と言います。
地理的に見た日本列島の特殊性
地球の成り立ちが分かったところで、次に日本を見てみましょう。皆さんは地理的に日本を見た時に思い浮かぶイメージはありますでしょうか。
地震が多い
温泉が多い
この2つをパッと思いついた人が多いのではないでしょうか。実は日本に地震や温泉が数多く存在することにも、地理的な理由があります。
日本に地震が多い理由
先ほど、プレートテクトニクス理論をご紹介しましたが、地球の表面を覆っている約12個のプレートは、それぞれがうまくぶつからないように動いているわけではなく、隣り合うプレートは互いにぶつかり合っています。
2つのプレートがぶつかった時、何が起こるのでしょうか。
プレートは大きく、「大陸プレート」と「海洋プレート」の2つに区分されます。それぞれのプレートは簡単に言うと、成分や厚みが異なるのですが、海洋プレートの方が大陸プレートよりも重くなります。
重さの違う2つのプレートがぶつかった時、その重さの違いで重たい方の海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込んでいく形で、どんどん下にもぐり込んでいきます。
大陸プレートからすると、自らの下にプレートがずるずると入り込んでくるので、その力に引っ張られることになり、それに耐えようとする力が反発して限界を超えると、バネのように反動で大陸プレートがもとに戻るのですが、これが地震を引き起こします。
実は日本に地震が多い理由の1つが、日本が4つのプレートが集まる特殊な場所にある、という地理的な理由によるものです。
上の図のように、日本は「ユーラシアプレート」「フィリピン海プレート」「北米プレート」「太平洋プレート」が集まる場所なのですが、その動く方向をみると、フィリピン海プレート・太平洋プレートがユーラシアプレート・北米プレートとぶつかるように動いているのが分かります。
フィリピン海プレートと太平洋プレートは海洋プレート、ユーラシアプレートと北米プレートは大陸プレートなので、フィリピン海プレートと太平洋プレートがユーラシアプレート・北米プレートの下に沈み込むように動いているわけです。
日本列島もプレート運動による近く変動で誕生した!?
もう一度先ほどの図をよく見てみると、「フォッサマグナ」と書かれたユーラシアプレートと北米プレートの境界線を除けば、他の境界線は日本列島に沿って伸びているように見えませんか?
実はこれは日本列島が誕生したことにもつながっているのです。というのも、プレートの境界線では先ほどの地震でもご紹介した通り、ぶつかり合うことで生じる力で地殻変動が起こりやすい場所でもあり、またプレート運動により大陸は引き裂かれたりくっついたりするからです。
日本列島が4つのプレートの境界線に沿って形作られていることは、私たちの住む日本がこれらのプレート運動によって誕生したことを示しているのです。
日本に火山が多い理由
先ほどの4枚のプレートのうち、フィリピン海プレートとユーラシア・北米プレートの境界線のうち、伊豆半島近辺を拡大してみると、上の図のように矢印の方向に向かって転々と火山島があることに気づきます。
実はこの火山も先ほどご紹介したプレート同士のぶつかり合いによって誕生したものなんです。先ほど海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込むお話をしましたが、その際に大量の水が地下深くにもぐり込むことになります。
この水がマントルの一部を融かす力となり、そこにマグマが誕生するのですが、このマグマは周りの岩石に比べると軽いので、泡のようにそのまま地表に向かって吹き出します。これが火山となるわけです。
八丈島から三宅島、そして富士山へと続く火山帯はこのプレート運動が起こった跡を示していることにもなるわけです。
このように、地震と同じように火山活動もプレート運動に関連する現象であることが分かれば、日本に火山が多い理由が分かりますね。
富士山が誕生した特殊な条件
さて、何度も申し訳ありませんが、再度先ほどの4つのプレートの図を見てください。よく見ると、3つの境界線が交わる部分が1か所あることに気づきませんか。そしてこの場所をよく見てください。
そうです、3つの境界線が交わるポイントは富士山がある場所に近い場所にありますね。
先ほど、伊豆半島への伸びる火山帯をご紹介しましたが、この終着点にあるのが富士山であり、3つのプレート(北米・ユーラシア・フィリピン海)境界線の交差点でもあるわけです。
さらにもう1つ、日本列島には火山帯と呼ばれる、火山が帯のように連なった場所があるのですが、1つが伊豆半島から本州に向かう火山帯、さらに東日本から東北に伸びる火山帯もあります。上の図でご覧いただくと良く分かるかと思います。
この火山帯の帯で見た時、富士山は2つの火山帯が交差する場所でもあるのです。
3つのプレートの境界線だけでなく、火山帯の境界線にもなっている-。そんな特殊な条件がそろっているのは地球上でも富士山だけ。
また、境界線が重なればそれだけプレート運動による力も大きくなり、火山帯の交差点であるということは、マグマが富士出しやすいということでもあります。
日本で富士山が最も大きく、高い山になったのは決して偶然ではなく、このような地理的にいくつもの奇跡的な条件がそろった結果だったのです。
2.【世界遺産】富士山形成と活動の歴史
ここまで、富士山がなぜ現在の場所に、そしてあのようにとても大きな山になったのかをご紹介しました。
ですが、近年の研究では現在私たちが見ている富士山の形が最初に富士山が誕生した時と同じ姿ではなく、長い年月の間に発生した富士山の噴火活動で幾度となく姿・形を変えていることが分かっています。それをご紹介しましょう。
富士山は4階建の山!?
富士山に限らず、地質学調査でその陸地を調べるときにボーリング調査という掘削調査が行われます。これは地下深くまでの土質や岩石等の成分や地層を調べることで、その場所がどのようにして形成されてきたのかを調べる方法です。
このボーリング調査をはじめとする調査で、富士山の前身としてこれまで少なくとも3つの山がこの場所にあったことが判明しています。
現在の富士山を「新富士火山」と呼び、それ以前の3つの「旧富士山」をそれぞれ「古富士火山」、「小御岳火山」、「先小御岳火山」と呼びます。それぞれの山が形成されていた時期は下記のとおりです。
先小御岳火山:数十年前
小御岳火山:~10万年前
古富士火山:10万年~1万年前
新富士火山(現在の富士山):1万年前~現在
どのようにしてこれらの山が誕生しては崩れていったのか、それは火山の噴火活動にあるわけですが、上記の4つの山はどれも同じような形や高さをしていたわけでは無く、先小御岳火山と小御岳火山は比較的小さな山で、これが今の富士山の土台をなしており、古富士火山と新富士火山が現在の形に近い大きく高い山だったと考えられています。
その昔、富士山はツインピークだった!?
火山はその火山活動で大量のマグマや土石流、火山灰を降らせることで周辺の地形や火山そのものの形を大きく変えてきました。時には噴火活動が山を大きくする一方で、大規模な噴火が「山体崩壊」という山を崩す現象も発生します。
先ほどご紹介した4つの「富士山」のうち、初期の先小御岳火山と小御岳火山の噴火活動は比較的小規模なものだったようですが、その後の古富士火山では大規模な噴火が発生しました。
皆さんは「関東ローム層」という言葉を聞いたことはないでしょうか。関東ローム層は「赤土」の大地であることが特徴ですが、これは火山灰が酸化されて変色した色なんです。そして、この火山灰には何と古富士山の噴火で関東一面までもたらされた火山灰も含まれているから驚きです。
その後、正確な時期は分かりませんが、古富士火山は山体崩壊を起こして無くなってしまうわけですが、もしかすると新富士火山と古富士火山が2つともそびえたっていた時期があったのではないか、とも考えられています。
日本一の富士山が2つある光景-。想像してみると壮大ではありますが、どこか恐ろしい感じもしますね。。
富士山の形がとても美しい理由
富士山は大きく雄大なだけではなく、その姿形も見ていて惚れ惚れするほどとてもきれいな山型の形をしていますよね。
先ほど火山の噴火活動についてお話ししましたが、山の形は噴火活動により変形することはご理解いただけたかと思います。
皆さん火山の噴火、と聞くと山頂から勢いよく煙や火砕流、土砂が噴き上がって流れるイメージをお持ちではないでしょうか。ですが、噴火といっても必ず山頂から起こるわけでは無く、山の中腹から噴火する場合も多いです。
今の富士山、新富士火山は「噴火のデパート」と呼ばれており、誕生してから実に多彩な噴火活動を続けてきた山なんです。これまでの噴火で、溶岩流・火砕流・スコリア(小粒の岩石のようなもの)・火山灰・山体崩壊・側火山などの現象が起こったことが分かっています。
これまでの噴火活動の中で、新富士火山は山頂からの噴火を起こしたこともありました。この山頂噴火が最後に確認されたのは2,200年ほど前。それ以降は山腹噴火しか記録されていないのですが、この山頂噴火により、山のてっぺんからマグマが噴出されました。このマグマはやがて山頂付近でカチコチに固まるのですが、これが山肌をコーティングする働きとなり、山の形を安定させてきたのです。
今でも富士山が山頂からきれいな円錐形の形をとどめているのは、この山頂噴火による影響が大きいでしょう。
3.【世界遺産」富士山と東京のくらし
東京に坂道が多い理由
皆さんは「全力坂」という番組をご存じでしょうか。東京の中にある坂道を美女が全速力で猛ダッシュして駆け上がるという数分間の番組なんですが、毎週違う坂が紹介されています。
それだけ東京には坂が多く、高低の起伏が大きい地形をしているということなんですが、これにも富士山が関わっていることはご存じでしょうか。
もともと大きく山手台地と下町低地に二分されている東京ですが、そこに先ほどご紹介した富士山や箱根山からの火山灰が関東平野一面に降り積もり、関東ローム層を形成、地形を数メートル盛り上げているのです。
これによってもともと高低差のあった地形がさらに広がり、その結果地形が複雑かつ坂道が多くなったというわけです。
関東ローム層の恵み
先ほど、古富士火山の噴火活動で出来た関東ローム層について少しご紹介しましたが、このローム層が私たちの生活を支えていることもご紹介しておきましょう。
関東ローム層の土はシャベルで掘ることができるほどの柔らかさがある一方で、木造建築や低層ビルぐらいなら支えられるほどの強度を持っています。さらに、土には比較的多くの隙間があり、水を通しやすい上に保水性にも優れているので、関東ローム層は貯水槽としての役割を担い、東京の人々の豊かな生活水の源にもなってきました。
富士山の噴火は大きな脅威ではあるものの、一方で温泉や生活水、そして大地に根差す緑など私たちにかけがえのない恩恵も与えてくれているのです。
JR山手線の由来
東京都都心に住む人にとって、生活の足として最も馴染みのある路線の1つがJR山手線ではないでしょうか。
JRと言えば「埼」玉と東「京」を結ぶ「埼京線」、東「京」と千「葉」を結ぶ「京葉線」など、路線のネーミングは比較的分かりやすく作られています。
それでは「山手線」の由来をご存じでしょうか。
先ほど、東京の地形として山手台地と下町低地の2つに分かれる、とお話ししましたが、「山手線」という名前はこの山手台地から来ています。実は京浜東北線が走っている品川から田町の線がこの山手台地と下町低地の境目で、そこから西が山手台地、東が下町低地です。
山手線はこの境界を東側の境目として円形に回っているので、「山手線」という名前になりました。
4.まとめ:世界遺産、富士山の将来
いかがでしたでしょうか。
日本一の山、富士山は地理的な側面から見ても世界に例をみない、とても特殊な条件で生まれ、活動をしてきた火山であることがお分かり頂けたかと思います。
今後も、この美しい形をずっと見ていたいですが、残念ながらこの先永遠にこの形のままでとどまる可能性は低いと考えられています。
それは、富士山は今も活動を続けている火山だからです。先ほど、今の富士山(新富士火山)が誕生したのは1万年ほど前、とご紹介しましたがこれは火山の中では比較的若い部類に入ります。
また、直近で起こった大噴火としては、江戸時代の1707年に起こった宝永の大噴火が最後です。実はそれ以前は、史料の信憑性によるところもあるのですが、800年から1,100年にかけては頻繁に噴火が発生していたことが分かっています。それを考えてみると、宝永の大噴火から300年あまり、際立って大きな噴火が見られないことで、富士山はいつ噴火活動が始まってもおかしくない、と考えられています。
噴火活動と地震は密接な繋がりがあるとも考えられており、これまでも地震によって引き起こされたと考えられている噴火も数多くあるため、地震の発生にも注意をしなければなりません。
いずれにしても、富士山が古来より日本人に崇拝される信仰の山であった背景の一つとして、度重なる噴火に神秘的かつ人智を超えた超越的なものを日本人が見てきたからであることは間違いありません。
富士山という奇跡的な存在と、それがもたらす脅威と恵みも含めて、やはり富士山は日本人や世界にとって、特別な存在だと思うのです。
(参考:「静岡県富士山世界遺産センター 公式ハンドブック」、「富士山噴火と南海トラフ」鎌田浩毅 講談社、「富士山の自然史」貝塚 爽平 講談社学術文庫)