世界遺産の楽しみ方

【世界遺産】法起寺、三重塔を100倍楽しむためのマメ知識3選

聖徳太子や世界最古の木造建築物としても有名な世界遺産、奈良の法隆寺。実は世界遺産の正確な名称は「法隆寺地域の仏教建造物」となっており、法隆寺だけでなく法隆寺から近い場所にある法起寺の三重塔も構成遺産に登録されていることはご存じでしょうか。
今回は法起寺と、国宝でもある三重塔を詳しくご紹介します!

1.【世界遺産】法起寺の歴史

法隆寺の入り口手前、大型バスなどの駐車スペースにある「法隆寺iセンター」でレンタサイクルを借り、法隆寺を北東に自転車で進むと、とてものどかな住宅と田んぼが広がる中、ひっそりと佇む法起寺にたどり着きます。

法隆寺に比べると広さはとても小ぢんまりとしており、法起寺の中はシンボルでもある三重塔が目立つ以外、お寺の構内というよりはちょっとした庭園にも感じられる法起寺は、広大な法隆寺を一通り参拝した後に訪れると、観光客もほとんどおらず、少しほっと落ち着ける身近な雰囲気を感じられるお寺です。

創建の由緒

法起寺の住所をみると、「奈良県生駒郡斑鳩町大字岡本」となっており最後に「岡本」という名前が入っています。 この名前にもある通り、法起寺は「岡本寺」や「池後寺(いけじりでら)」などと呼ばれていました。
この地は古くは「岡本池尻」とも呼ばれていたことから、「池後寺」という名前もこの地名から来ているものと考えられます。

「岡本寺」、という名前は「日本書紀」の中に出てくる「岡本宮」のこととされており、この岡本宮で推古14年(606年)に聖徳太子が推古天皇に法華経を講じた、との記載があります。

一方、法起寺の成り立ちについては、鎌倉時代の法隆寺僧であった顕真が著した「聖徳太子伝私記」の中で紹介されているのですが、この書物によると、706年に作成された「法起寺塔露盤銘文」なる記録があり、それによると聖徳太子がお亡くなりになる際に、息子である山背大兄王(やましろのおおえ)に遺言を残し、聖徳太子の山本宮の建物を寺とするように託したそうです。

この山本宮が日本書紀で記載されているところの岡本宮のことである、と考えられており、これが聖徳太子の遺言の通り寺として整備されたのが、法起寺だと考えられています。

「法起寺塔露盤銘文」によると、まず金堂と本尊が638年に造られ、その後706年に三重塔の露盤が造られたと記載されています。
露盤というのは、塔の上の部分に付けられた飾り部分とお考え下さい。

発掘調査による法起寺前身となる建物の存在

1960年以降に実施された発掘調査によると、法起寺が建てられる前に前身となる建物がこの場所にあったことを示す遺構が見つかっています。

これがまさに聖徳太子の遺言の通り、法起寺の前身であった岡本宮や山本宮だったのかははっきりしません。さらに、子の前身となる建物は現在の法起寺の伽藍が南北を軸とするのに対し、西に約20度傾いて造られていたことも判明しているのですが、これは法隆寺の前身であった若草伽藍と同じなんです。

記録は信じて大丈夫?残された謎

一通り法起寺の成り立ちをご紹介しましたが、法隆寺も含めて何といってもその歴史が古い法起寺。近年ではそもそも「聖徳太子」という人物が本当に実在したのか?という議論まで出ているので、先ほどご紹介した法起寺の成り立ちがそもそも史実なのかははっきりしません。

詳細をお話しすると長くなってしまうので、ここでは先ほどご紹介した法起寺の成り立ちで残る謎を簡単にご紹介しておきます。

「太子信仰」と聖徳太子の存在に残る謎

「【世界遺産】法隆寺を100倍楽しむためのマメ知識4選」の記事でもご紹介した通り、聖徳太子の死後、聖徳太子を神格化する太子信仰が広がり、それにより聖徳太子に関する「伝説」とも言うべきいろいろなエピソードが残されるようになりました。

そもそも「聖徳太子」が実在しなかったとすると、聖徳太子が山背大兄王に遺言として法起寺(岡本宮の寺への改編)の創建を託したことも事実では無かったことになり、法起寺が誰によって創建されたのかも謎になってしまいます。

「岡本宮」と「山本宮」は本当に同じ寺?

先ほどはさらりと岡本宮(聖徳太子が法華経を講じたとされる場所)=山本宮(聖徳太子の邸宅)とご説明しましたが、これもそもそも本当に同一の存在だったと考えて良いのか、疑問が残ります。

もし両者が実は違う別々の場所だったとすれば、それぞれが出てくる「日本書紀」と「法起寺塔露盤銘文」をもう少しじっくり吟味する必要がありそうです。

「法起寺塔露盤銘文」は本当に存在した?

「法起寺塔露盤銘文」という記録をご紹介しましたが、お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、この記録、そもそも「聖徳太子伝私記」の中に登場しただけで、この銘文自体の確認はされていないんです。
つまり、「法起寺塔露盤銘文」という記録が本当に存在したのかも、実ははっきりせず謎に包まれているということ。

これは先ほどの太子信仰とも関係してくるわけですが、「聖徳太子伝私記」を記した顕真が太子信仰に基づいて書いたとも考えられるわけです。そもそも聖徳太子が実在しなかったとすれば、「法起寺塔露盤銘文」に書かれた聖徳太子のエピソードも架空のものだったということになりますから。

「法起寺塔露盤銘文」はその名の通り、法起寺の塔、つまり三重塔の露盤に刻まれた銘文、ということになるわけですが、現存する最古の三重塔と言われている一方、実は塔のてっぺんの部分、相輪は創建当初のものでは無く、中世以降に製作されたものであることが分かっています。
つまり、今となっては創建当初にこの銘文があったのかどうかも確認することができない、というわけです。

いかがでしょうか。多くの謎が残る法起寺ですが、1つほぼ確かなことが言えるとすれば、法起寺は法隆寺に倣って造られたということ。そのカギを握るのが三重塔なんです。

2.【世界遺産&国宝】法起寺の三重塔

法起寺の三重塔は現存する最古の三重塔と言われており、とても貴重なもの。国宝にも指定されています。

法起寺の小ぢんまりした伽藍の中では、この三重塔はやや窮屈そうに佇んでいる印象を受けてしまいます。というのも、高さは24メートルあり、三重塔としては日本最大級の高さを誇っているからです。

そんな法起寺の三重塔を詳しく見て行きましょう。

法隆寺の五重塔との構造上の類似点

法起寺の三重塔は初層と二層目が3間、一番上が2間となっています。「間」というのは柱と柱の間の距離を1つの単位としたときの数え方で、3間=柱は4本、2間=柱は3本ということです。

また、3間も柱4本が同一感覚に建っているのではなく、中央の間が両端の間に比べてやや長くなっています。その長さは当時の単位である「支」という単位で測ると初層、二層目、三層目の長さは以下の通り。

初層:7支・10支・7支(幅24支)
二層目:5支・8支・5支(幅18支)
三層目:6支・6支(幅12支)

これをみると、初層から三層目まで同じ比率で小さくなっていることが分かります。実は法隆寺の五重塔も初層は3間24支となっており、そこから五層目に至るまで、層が上がるごとに3支少なくなっています。
つまり、法隆寺の五重塔の幅は初層が24支、二層目が21支、三層目が18支、四層目が15支、五層目が12支。

これをみると、法起寺の初層、二層目、三層目は法隆寺の初層、三層目、五層目と同じサイズであることが分かりますよね。
ということは、明らかに法起寺は法隆寺の五重塔を倣って建てられたということが言えるわけです。

五重塔は3支ずつ幅が小さくなっているので、とてもすらりとした美しい姿に見えるのですが、法起寺は三重塔で一気に6支ずつ小さくしていることもあり、上に伸びていくよりもその幅が目立ってしまい、五重塔のような軽さはなく、どちらかというとどっしりとした印象を受けます。

このような塔全体の構造だけでなく、屋根の下にある組物の構造も、基本的に法起寺は法隆寺と同じ構造になっています。

法隆寺の五重塔との構造上の相違点

柱の胴張り

基本的な構造は同じものの、法起寺と法隆寺では微妙な相違点もいくつかあります。
まず1つ目として、法起寺に使われている木の柱の胴張りは法隆寺に比べて細くなっています。つまり、法隆寺に比べてすっとした印象になっているというわけです。

組物のこだわり

 

左:法起寺、右:法隆寺

2つ目が、組物の作り込みです。一見、法起寺も法隆寺も瓜二つと言っていいほどその造りは似ているのですが、細かい部分をよく見てみると、法隆寺の方が細部にまで細かい彫り込みがされているなどの違いがあります。
法起寺は雲斗に半月状の彫り込みはありませんが、法隆寺には半月状の彫り込みが見られます。この点で、法起寺の組物は法隆寺に比べて簡素化されて造られていることが分かります。

頭貫と台輪

一方、法起寺には初層から第三層まで頭貫と台輪と呼ばれる、組物を下から補強する木が設置されていますが、法隆寺では頭貫と台輪は初層にしか見られません。

この点で法起寺は法隆寺に比べて補強の観点で優れており、このことからも法起寺が法隆寺より後になって造られたことが分かります。

心楚の位置

耐震面でも実はかなり優れた構造になっていることが分かった法隆寺ですが、耐震設計を支える1つが心柱です。
心柱とは、塔の真ん中に通されて塔を支える1本の木の軸のこと。

法隆寺では心柱の根本、心楚が地中に埋められているのに対し、法起寺では心礎は地中ではなく基壇の中に埋め込まれています。
このような心礎の造りは白鳳時代の後期に見られる特徴であり、この点においても法起寺は法隆寺より後に造られたことが分かります。

塔の伽藍配置

最後に、法起寺と法隆寺の伽藍配置も微妙に異なっていたことが分かっています。

共通点としては、どちらも金堂と多重塔があり、その北側に講堂を構えていること。一方の相違点は、金堂と多重塔の配置が東西逆になっていることです。

基本的に法隆寺に倣って造営された法起寺ですが、伽藍配置をこのように法隆寺と異なる様式にした理由は何であるかははっきりとは分かりませんが、このため、法起寺の伽藍配置は「法起寺様式」として法隆寺とは別に扱われています。

3.法起寺が世界遺産に登録されている理由

いかがでしたでしょうか。ここまでお読みいただければ、法起寺が世界遺産に登録されている理由がお分かりかと思います。

正確に言うと、世界遺産に登録されているのは法起寺ではなく、法起寺の三重塔のみ。記事の初めにご紹介した通り、そもそも法隆寺が世界遺産として登録されたのも、「法隆寺地域の仏教建造物」という登録名に現れている通り、その木造建築にフォーカスが当たっています。

そう考えると、現存する最古の三重塔である法起寺の三重塔は、これまでご紹介してきた通り、法隆寺と微妙にその創建時期が異なることで、法隆寺とは違った特徴を今に遺しており、その意味で日本のみならず世界にとってもとても貴重な存在であることは確実です。

世界遺産に登録されているのは三重塔のみですが、法隆寺との関連や、さらに聖徳太子ゆかりの場所であることからも、これらと合わせて法起寺を訪れるとより歴史のロマンや魅力を感じられるのではないでしょうか。

ぜひ皆さんも世界遺産、法起寺に足を運んでみてください!

 

(参考:「中宮寺・法輪寺・法起寺」山口 昭男 岩波書店、「聖徳太子の真実」大山 誠一 平凡社)

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