日本が世界に誇る世界遺産の一つ、「紀伊山地の霊場と参詣道」。
この名前だけを見てもピンと来ないかもしれませんが、「熊野古道」「高野山、金剛峯寺」「吉野」という名前を聞けばイメージが湧く方も多いのではないでしょうか。
「紀伊山地の霊場と参詣道」という言葉は、実は熊野古道や高野山を含む3つの霊場と参詣道の総称です。
この世界遺産についてなんとなく知っていても、その何がスゴいのか、意外とはっきりと知っている方は少ないと思います。
この記事を読めば、この世界遺産のすごさが3分足らずで分かります!
紀伊山地の霊場と参詣道が世界遺産に登録された理由とは?
世界遺産に登録されるためには、いくつかの要件や基準をクリアしなければなりません。
「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産として登録された理由を見てみましょう。
- (2) 紀伊山地の文化的景観を形成する記念碑と遺跡は、神道と仏教のたぐいまれな融合であり、東アジアにおける宗教文化の交流と発展を例証する。
- (3) 紀伊山地の神社と仏教寺院は、それらに関連する宗教儀式とともに、1000年以上にわたる日本の宗教文化の発展に関するひときわ優れた証拠性を有する。
- (4) 紀伊山地は神社・寺院建築のたぐいまれな形式の創造の素地となり、それらは日本の紀伊山地以外の寺院・神社建築に重要な影響を与えた。
- (6) と同時に、紀伊山地の遺跡と森林景観は、過去1200年以上にわたる聖山の持続的で並外れて記録に残されている伝統を反映している。
(出典:Wikipediaより)
上記の各項目の前に振ってある番号は、世界遺産に登録される要件番号のうち、この世界遺産が要件を満たした番号を表していて、その後に理由が書かれています。
パッと目に着くのが、青い文字で示した「神道と仏教」や「神社と仏教寺院」という文字です。実に4項目のうち3項目にこの記載がされています。
ここにこの世界遺産のスゴさが集約されています。
我々日本人にしてみれば、夏にはお盆があり、冬にはクリスマスを祝い、何かあれば神社に祈願に行くことは普通です。
何気なく従っているこの習わしですが、お盆は仏教、クリスマスはキリスト教、神社は神道と関係していて見事にばらばらです。
このように、異なる宗教や信仰をうまく融合させて成立させている国というのは、世界ではとても珍しいことなんです。
(出典:www.nps.ed.jp)
この世界遺産は3つの霊場・参詣道から構成されており、それぞれ一般的には高野山・熊野三山(熊野古道)・吉野山の名称で知られています。
先ほど神道と仏教の融合のお話をしましたが、高野山・熊野三山・吉野山も別の歴史を持つにも関わらず、それぞれで神道と仏教の融合が実現し、そしてこの3つの場所をもが日本の長い歴史の中で知らず知らずの間に融合することで一つの大きな信仰の聖地となっていったのです。
上に示した地図をみればよりはっきりとそれが分かります。
熊野参詣道、高野山町石道、大峯奥駈道は世界遺産を構成している3つの参詣道を示していますが、これら3つの参詣道は熊野本宮大社を中心として互いに繋がっています。それぞれが生まれた歴史上の年代が異なるにも関わらず、です。
ここにこの世界遺産のすごさがあるのです。
それではこの世界遺産を構成する3つの霊場・参詣道のすごさについても簡単にご紹介しましょう。
紀伊山地の霊場と参詣道の1つ目の世界遺産「吉野・大峯」
(出典:konoedas.at.webry.info)
紀伊山地の霊場と参詣道を構成する1つ目の世界遺産、吉野・大峯の霊場と大峯奥駈道。
吉野山と言われることがありますが、そのような山は存在しません。ここら一帯に連なっている峰の尾根状のエリアを総称してそのように呼んでいます。
大峯奥駈道というのは、修験道が起った道、つまり修験道の発祥の場所でもあります。
修験道は7世紀に、修験道の祖と呼ばれる役小角という歴史上実在する人物によって起こりました。この人物は、言い伝えでは空を飛ぶことが出来たりと、とても人間とは思えない能力を持った人物と言われています。
ちなみに、修験道というのはもともと日本に根付いていた山や木には精霊が宿っているという信仰から始まった山岳信仰が、その後神道や仏教と結びついて生まれた信仰です。
修験道を実践する修験者は山に入り修行を行うことで一定の境地に達すると考えられていました。このため、修験者は山伏とも言われます。山伏のほうが良く聞く名前かもしれません。
偉人のゆかりある場所
吉野、という地名は日本では古くから万葉集、古事記や日本書紀にも出てくるほど日本の中でも特別な場所でした。
その後も、例えば源義経とその妻静御前や家来であった弁慶が源頼朝の追手から逃れるために潜伏していた場所でもあり、南北朝時代に南の朝廷はここ吉野に置かれたことなど、吉野は日本史の中でたびたび登場する場所でもあります。
このように吉野が日本史の中でも特別な場所だったことは、修験道が日本歴史の中で、時代が変わってもいかに深く日本人の信仰の対象として崇められていたかがよく分かるかと思います。
紀伊山地の霊場と参詣道の2つ目の世界遺産「熊野三山・熊野参拝道」
(熊野大社 出典:www.bell.jp)
2つ目の世界遺産、熊野三山と熊野参詣道。
熊野三山とは、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社の総称のことです。
(熊野速玉大社 出典:www.bell.jp)
この3つの神社に祀られている神様は、それぞれ素戔嗚尊(スサノオノミコト)、伊邪那岐(イザナギ)、伊邪那美(イザナミ)の3つの神様です。
どれもどこかで一度は聞いたことがあるぐらい、日本の神様の中では有名な神様です。
詳しいお話は別の記事でご紹介しますが、イザナギとイザナミというのは日本で最初の夫婦神で、スサノオはこの二人の神様から生まれた神です。
イザナギとイザナミはスサノオのほかに、アマテラス(天照大神)とツクヨミノミコト(月読命)の生みの神でもあり、アマテラス・ツクヨミ・スサノオは三貴子と呼ばれています。
アマテラスは太陽を司り、ツクヨミノミコトは月や夜を、スサノオは諸説ありますが、海を司る神様と言われています。
(熊野那智大社 出典:rokaru.jp)
この話だけでも、イザナギ、イザナミとスサノオを祀っている熊野三山が日本の神道の中でもいかにすごい場所であるか分かって頂けるかと思います。
(出典:bitecho.me)
さらに、もう一つ大事なお話をご紹介しますね。
歴史の教科書にも出てくる、一遍上人。この人は時宗の開祖と言われており、法然が開いた浄土宗の一派と言われています。
時宗の開宗は、一遍上人が熊野本宮に参詣した時に熊野権現から夢告を受けたときと言われています。ここにも神道と仏教の融合があったのです。
熊野参拝道
(熊野古道 出典:higashikishu.org)
熊野参詣道は、古くは飛鳥・奈良時代から修験道の舞台として使われていました。
その熊野参詣が一気に広がるのが平安時代後期です。この時代、仏教の浄土信仰と修験道が合わさり、貴族や天皇が数多く熊野参詣を行うようになります。
特に、後白河・後鳥羽上皇はその信仰が深さから、30回以上も熊野参詣を行ったと言われています。
その後、室町時代から江戸時代まで広く庶民の間でも熊野参詣は広がることになります。
熊野古道は飛鳥時代から江戸時代に至るまで、日本の信仰の聖地であり続けた場所だったのです。
紀伊山地の霊場と参詣道の3つ目の世界遺産「高野山金剛峯寺」
さて、3つ目の世界遺産である高野山。
ここは真言宗の聖地でもあり、空海によって建立された金剛峯寺があることはとても有名です。「弘法大師」の名でも広く日本に知られている偉人、空海はここから真言宗を日本に普及させました。
(出典:4travel.jp)
吉野山と同様、高野山もその名の山があるわけではなく、いくつかの山を総称してそう呼ばれています。
金剛峯寺は、平安時代の816年に空海が天皇より高野山を賜り、真言密教の道場として創建されました。
高野山は空海が自ら探し求め、この地を真言密教の道場とすることを決めた場所です。
なぜ高野山を空海が選んだのかいろいろな理由がありますが、その一つとして上記の写真のように金剛峯寺が創建された場所の周りを8つの山々が取り囲み、それがまるで蓮の花を開いたように見えることから、縁起が良いとされたことが言い伝えられています。
金剛峯寺は標高800メートルほどの平地に創建されました。周りを山々で囲まれていることや高台にあることから、独特の気候が生み出され、それが荘厳な雰囲気を生み出しています。
金剛峯寺も実はその名前の寺院があるわけではなく、117ある寺院の総称として使われています。
空海は神道と仏教の融合を意図的に果たした立役者
実はこの金剛峯寺の中には御社が存在します。御社は神様を祀る場所なので、本来は寺院にはありません。
しかもこの御社は、空海がこの地に金剛峰寺を建てる際に、この地で崇められていた神様を神社(丹生都比売神社)から勧請して御社に祀ったと言われています。
(出典:fuwafuwa.way-nifty.com)
この御社は、金剛峯寺の中でも最も重要な場所の一つである壇上伽藍の中にあります。
歴史上の偉人たちが眠る奥之院
壇上伽藍と並んで金剛峯寺の中で最も重要な場所が奥之院です。
奥之院の大師廟は弘法大師様が御入定され、今も弘法大師様が「生きたまま」私たちを見守っているとされています。
(出典:inishiejapan.jp)
この大師廟から続く道には様々な歴史上の偉人たちの墓が集まっています。
一例をあげると、織田信長、明智光秀、上杉謙信などなど。。
歴史好きな方にはたまらないですね。
このように、故人の信仰や宗教に関係なくいろいろな偉人の墓を収容している金剛峯寺。その懐の深さが垣間見えるとともに、いかに日本の歴史の中で愛され、信仰の対象だったかも分かるかと思います。
いかがでしたでしょうか。
「紀伊山地の霊場と参詣道」がなぜ世界遺産に選ばれたか、そのスゴさが垣間見れたのではないでしょうか。
世界遺産になるだけあって、今回ご紹介した内容はまだまだ序の口です。
吉野・熊野・高野山のさらに奥が深いところを、個別にご紹介する予定ですのでご期待ください!