【世界遺産】金閣寺を100倍楽しむための8つのマメ知識

日本が世界に誇る世界遺産の1つ、金閣寺。

歴史の教科書にも必ず出てくるこの世界遺産、金色に輝くその外観は、一度見ると忘れることができないほどの華やかさです。

そんな金閣寺、華やかな外観だけでなく、それが建立された時の時代や建立者の想いなどを知ることができればもっと楽しむことができます。

今回は金閣寺を訪れる前に知っておきたいマメ知識をいくつかご紹介します。

これを読めば、金閣寺をもっと楽しむことができます!(※ここでご紹介する話はあくまでも一定の史実に基づく通説です。)

金閣寺を知る上での周辺マメ知識

1.金閣寺の建立は1397年。南北朝時代の終焉から5年後

金閣寺4

まずは金閣寺がどんな時代に造られたのかを知っておきましょう。

金閣寺は1397年、室町幕府の第3代将軍の足利義満により建立されました。1397年というのは、2人の天皇が北朝と南朝に分かれて争っていた南北朝時代が、義満によって南北朝が統一された1392年からわずか5年後のことです。

南北朝時代は二人の天皇がそれぞれの大義をもって争った時代。それぞれに大義があったとはいえ、戦国時代と同様、争いが絶えない時代でした。

それを終結させた義満は言ってみれば、その当時の日本の一番の権力者です。

争いの絶えないこの時代だからこそ、自分の権力や威光を示すのは大事なこと。

金閣寺にも義満のそんな思いがたくさん散りばめられています。

(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A4%E7%94%BA%E6%99%82%E4%BB%A3)

 

2.足利義満の”公武合体”という思想

一説によれば、義満は自分の子ども義嗣を天皇にしようとし、自分は上皇としての地位を確立しようと目論んでいたといわれています。

これは義満の急死により実現しませんでしたが、仮に実現していたとすると天皇の万世一系というテーマが大きく変わっていたかもしれません。

義満は武家としての頂点に立つだけでなく、公家としてもその頂点に立とうとしていたことが分かります。

南北朝時代は天皇が二つに分かれて争った時代。すでに武士の時代でしたから、天皇(公家)とそれに着く武家を合わせた争いだったわけです。そんな時代だからこそ、義満の公武合体という思想が生まれたのかもしれませんね。

3.足利家と禅宗

足利氏は、室町幕府を創設した足利尊氏から臨済禅のの信奉者でした。そのため、金閣寺も臨済宗派の寺院となります。

臨済宗の特徴で知っておくべきことは、浄土宗などののように特定の本尊を立てない、ということが挙げられます。例えば浄土真宗の本尊は阿弥陀如来立像ですが、臨済宗として、特定の本尊はありません。

以上が金閣寺を知るうえでの周辺マメ知識になります。それではいよいよ、金閣寺について見ていきましょう!

金閣寺のマメ知識

4.金閣寺が三層構造のワケ

金閣寺2(出典:http://matome.naver.jp/odai/2140869050901197701/2140956564185039903)

金閣寺は一階が寝殿造(法水院)、二階が書院造(潮音洞)、三階が禅宗様仏堂風の造り(究竟頂)となっています。

寝殿造は平安時代に主に造られていた高貴な貴族の住宅様式、書院造は武家の書斎も兼ねた住宅様式です。

これまでの話を踏まえると、なぜ三層構造で、住宅様式が一階と二階に造られているのか想像がつくかと思います。

つまり、義満が武家の頂点でありながら、公家の頂点でもあることを誇示するためにこのような造りにしたと想像できますよね。

5.一階に宝冠釈迦如来像と足利義満坐像の意味

金閣寺 (出典:http://www.uraken.net/rail/travel-urabe140.html)

一階の寝殿造には、宝冠釈迦如来像と足利義満坐像が並べて安置されています。

釈迦像というのは通常は何も装飾品をまとわないのが一般的だそうですが、この宝冠釈迦如来像は宝冠をまとっています。宝冠をまとうのは通常は大日如来像なので、このような名前がついているのかもしれません。

つまり、この宝冠釈迦如来像は仏の世界を支配することを意味しています。

それに並んで義満像が安置されているということは、義満が仏の世界と合わせて現実の世界(日本)も支配していることを示すと考えられます。

まさに義満の権力、威光を示すものですね。

6.三階には仏舎利のみが安置?

三階にはもともと阿弥陀如来像が安置されていたという説があります。これはもともと金閣寺を建立した土地が、西園寺氏の西園寺の領地を譲り受けたものだからです。

西園寺氏の本尊が阿弥陀如来像だったのですが、足利氏は禅宗で、特定の本尊を持たない臨済宗です。

したがって、不要な阿弥陀如来像は持ち出されてしまったのではないかといわれています。

7.鏡湖池は日本を表している!?

金閣寺3(出典:http://shop.plaza.rakuten.co.jp/e-sakedot/diary/list_daily/20130819/)

金閣寺といえば、その美しい姿が池の水面に移されている写真を見たことがある人は多いのではないでしょうか。金閣寺の池は鏡湖池と呼ばれています。

この池には大小さまざまな島があるのですが、最も大きい島は蓬莱島、別名「葦原島」と呼ばれています。この葦原とは日本の本州を意味します。この島が本州の形をしていたから命名されたといわれています。

そのほか、富士山や淡路島の形をした島まであるといわれています。

これらが意味するもの、それは義満が舎利殿から日本の形を模した池の島を見下ろすことで、日本を支配している実権を握っていることを示すためではないかと考えられています。

この島以外にも、各地の大名から、その土地の貴重な石を献上させて金閣寺の領地に敷き詰めたともいわれています。例えば細川石や赤松石などがあるといわれています。

これも義満の権力がいかに強かったかを物語っていますね。

8.金閣寺の焼失

今我々が観ている金閣寺は、実は建て直されたものです。

金閣寺は1950年にある青年僧による放火で焼失しています。

これだけ素晴らしい建築物が放火により焼失する、というのもすさまじい話ですが、放火した僧は放火の理由について

「美しさに嫉妬したから」

と答えています。

実は放火前の金閣寺は、今のように外観が金色に輝くものではありませんでした。金箔はすでに剥がれ落ち、どちらかというと老朽が目立つ姿だったといわれています。

それでもその美しさゆえに放火され焼失した-。

この放火事件に触発されて三島由紀夫は「金閣寺」という小説を書いています。

金閣寺に火をつけたこの寺に住む僧の目線に立って、その幼少期から放火に至るまでの僧の内面をとても生々しく描いています。

小説では、吃音がゆえに内面に人一倍強い世界観を持つ僧が描かれています。

この僧が初めて金閣寺を訪れたとき、想像していた美しさとかけ離れた姿に一度は落胆するものの、次第にその絶対的な美しさに魅了されていき、次第に彼の心はそれに支配されていきます。

この小説を読まれていない方も、そのように人の心まで虜にする「放火するほどまでに嫉妬するぐらいの美しさ」を持つ金閣寺の姿(外観だけでなく、内面やその思想、細かい作りに至るまで)をじっくりと味わってみてはいかがでしょう。

 

いかがでしたでしょうか。
金閣寺が出来た時代背景と建立者の思い、そしてそれにまつわるエピソードを知ることで金閣寺を見る目が変わるのではないでしょうか。
是非一度訪れたことがある方もそうでない方も、金閣寺のすばらしさを堪能してください!

 

参考:
「私の古寺巡礼 京都(上)」淡文社、梅原猛監修
http://www5.synapse.ne.jp/~todoroki/siryou/kaiso.htm
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E8%8B%91%E5%AF%BA#.E8.88.8E.E5.88.A9.E6.AE.BF.EF.BC.88.E9.87.91.E9.96.A3.EF.BC.89
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A4%E7%94%BA%E6%99%82%E4%BB%A3

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