【世界遺産】銀閣寺を100倍楽しむための7つのマメ知識

金閣寺とよくセットで紹介される京都の世界遺産の1つ、銀閣寺。

正式名称は慈照寺といいます。

華やかな外観の金閣寺に比べて銀閣寺はどこか地味な印象を受けてしまいますが、銀閣寺を建立した足利義政の生涯や金閣寺との違いを知ることで、銀閣寺のすばらしさが見えてきます。

今回は銀閣寺を訪れたときに100倍楽しめる、銀閣寺にまつわる豆知識を7つご紹介します!

銀閣寺を知る上での周辺マメ知識

1.銀閣寺の建立は1490年。足利義政は完成前に死去?

金閣寺4
銀閣寺が完成したのは1490年。室町時代の後期にあたります。

建立したのは足利8代将軍、足利義政です。

室町時代から時代が変わるきっかけになった大きな事件、応仁の乱。1467年に勃発したこの騒乱は、義政の跡継ぎを巡った対立が引き金となり起こりました。

この応仁の乱は、対立していたリーダー格、西軍の山名宗全、東軍の細川勝元の両名の氏をもって1473年ごろに収まります。

これと同時に、義政は将軍の実権を子の義尚に譲り隠居の身になります。そしてそこから、銀閣寺の建立に取り組み始めました。

義政が銀閣寺を創建し始めた時代、それは応仁の乱で京の都は荒れ果てて、その後に続く戦国時代、安土桃山時代につながっていったように、争いや死が日常と隣り合わせにある波乱の時代でした。

そんな争いの世にあって銀閣寺という寺と庭園を造り始めた義政。

その行為は一見のんきであり、はたまた俗世間とはかけ離れているようにも見えますよね。

義政の思いはどこにあったのでしょうか。少し義政の生い立ちを振り返ってみます。

2.足利義政は将軍よりも文化人!?

銀閣寺1(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E7%BE%A9%E6%94%BF)

足利義政は、金閣寺を建立した3代将軍足利義満の孫にあたります。父は6代将軍の義教、7代将軍の義勝は兄にあたります。

父の義政は対立する守護に暗殺され、兄の義勝も若いうちに亡くなってしまいます。そのため、その跡継ぎとして義政は8歳の若さで第8代将軍となりました。

義政を武士、将軍として厳しく育ててくれる者は周りにはおらず、世話役の者たちは義政に和歌を教えるなど、義政を骨抜きの将軍にしてしまいました。将軍としての足利家の力を弱めて、義政を使って権力を牛耳ろうと考えたわけです。

このような育ち方をした義政は、寺や庭園に強い興味を示すようになります。

3.銀閣寺のモデルは西芳寺(苔寺)

銀閣寺2(出典:http://japan-highlightstravel.com/jp/travel/kyoto/150019/)

特に義政が心酔していたのが、夢窓疎石が元々あった庭園に手を加えて造った西芳寺、現在では苔寺と呼ばれている、世界遺産です。

銀閣寺を造るにあたって、義政は西芳寺を理想のモデルとして造ったと言われています。

先ほどご紹介したように、義政は応仁の乱が落ち着いた後、実権を子どもに譲って自らは隠居の身となりました。

金閣寺の記事でもご紹介した通り、金閣寺を建てた義満は最後まで自分が権力を持とうとしていたのに対し、政義はそれをあっさりと子どもに譲ってしまった―。

この事実を見ても、義満と義政の人間性の違いが出ていますよね。

小さいころから文化的な教養を教え込まれた義政だからこそ、権力にしがみつくことなくあっさりと手放すことができたのかもしれません。

そんな義政がなぜ銀閣寺を建てたのか。

義満の金閣寺のような仏閣を造りたかった、西芳寺のような素晴らしい庭園を造りたかった。。

さまざまな想像は出来ますが、荒れ果てた京都の中で、義政がこれまでの人生で愛でてきた、四季折々の自然の美しさを持つ京都の姿を取り戻したかったのかもしれませんね。

銀閣寺vs金閣寺:共通点と違いは?

4.銀閣寺と金閣寺の共通点

銀閣寺3銀閣寺4

銀閣寺と金閣寺の共通点は、有名なこの2枚の写真からもなんとなくご理解できるかと思います。

左側の写真が銀閣寺の中でも、観音殿と呼ばれる通称銀閣(銀閣寺というのは、この観音殿を含めた寺全体を表します。)で、右側の写真が金閣寺の舎利殿、通称金閣です。

銀閣はこの金閣を模して造られたため、建物の形がとてもよく似ていますね。どちらも禅宗の寺ということも、建物の外観の類似につながっています。

もう一つの共通点が、どちらも楼閣建築であるということ。これも写真を見れば一目瞭然ですが、銀閣も金閣も、池に面して建てられています。どちらも、池の水面にその美しい建物の姿が映るように、池のほとりに建てられているのです。
(出典:http://snb11224.seesaa.net/article/100721376.html, http://blogs.yahoo.co.jp/sanjyou_kappa/13612742.html)

5.銀閣寺と金閣寺の相違点

書院造vs寝殿造

銀閣寺と金閣寺の相違点。その1つが銀閣と金閣の建築構造にあります。

銀閣は二層構造で、初層が心空殿と呼ばれる書院造、第二層が潮音閣とよばれる禅宗の造りとなっています。

一方で金閣は初層が寝殿造、第二層が書院造、第三層が禅宗の造りとなっていて、銀閣とは異なります。

銀閣に寝殿造が無い理由、それは義政が銀閣寺の建設に取り掛かった時には、すでに実権を息子譲っており自身は隠居の身となっていたことにあります。

寝殿造はもともと貴族の住居として造られたもので、すでに隠居の身となっていた義政には不要だったと考えられます。

銀閣寺、金閣寺を造った意図

これまでご紹介してきたように、義政が銀閣寺を建設した意図、それは権力の誇示というよりは、日本庭園への美的追求にあったように思います。

その根拠として、義政が銀閣寺の建設に取りかかった時、すでに義政は実権を手放して隠居の身だったことが挙げられます。

また、銀閣寺の東求堂は、義政が晩年和歌や生花を楽しんだ場所と言われています。それだけ、当時の文化を心から慕っていたのですね。

一方で金閣寺は、義満の権威を誇示するために造られた意図が垣間見ることができます。舎利殿や鏡湖池などの造りを見ても、それが表れていると考えられます。(詳しくは、「金閣寺を100倍楽しむための8つのマメ知識」をご参照ください。)

銀閣寺も金閣寺も、それを造った義政と義満の思いが分かると楽しみ方も変わりますよね。

銀閣寺の楽しみ方

6.西芳寺(苔寺)との対比を楽しむ

銀閣5銀閣2

出典:http://kyoto.gp1st.com/350/ent158.html, http://kyoto-albumwalking2.cocolog-nifty.com/blog/cat22628941/index.html)

銀閣寺は、夢窓疎石が再築した西芳寺(苔寺)を手本にして造られたと言われています。そのため、庭園の造りや名前などが西芳寺を意識したものとなっています。

例えば、銀閣寺も西芳寺も、寺全体が上下の二層構造になっています。銀閣寺の場合は展望所が上層、錦鏡池を含む寺が下層の造りとなっています。

また、銀閣寺は現存している建造物は銀閣と東求堂のみとなっていますが、当初はそのほか西指庵という禅室がありました。

一方、西芳寺には西来堂と呼ばれる本堂と指東庵と呼ばれている禅室があります。

東求堂と西来堂、西指庵と指東庵。お互いに呼応しているかのような名前ですよね。

銀閣寺と西芳寺を比較しながら観て回ると、さらに庭園の美しさが感じられるのではないでしょうか。

7.日本庭園の美を楽しむ

金閣寺はその華麗な外観だけでも楽しむことができます。それは、金閣寺を建立した義満の威厳の賜物でしょう。

一方で、銀閣寺を建立した義政の想いは、庭園の持つ美しさの追求だったと思われます。

義政は銀閣寺を建設する際に、河原者と呼ばれる人々と一緒に銀閣寺を造ったと言われています。

河原者とは、その当時鴨川や宇治川の中州に住んでいた土地無き民をいいます。

河原者は中州に掘っ立て小屋を造って住んでいましたが、水の侵食により石が削られることから石の組立法を自然に学んだと言われています。

西芳寺を再構した夢窓疎石は、この河原者たちが持つ、石を運び、組立て、削る技術を活かしたと言われており、銀閣寺の建築にも河原者たちの協力があったと言われています。

銀閣寺の錦鏡池を囲っている石など、銀閣寺を観られる時には石の並べ方にも注目してみてください。

 

いかがでしたでしょうか。銀閣寺は金閣寺と比べると一見、地味な印象を持たれてしまいます。

「銀閣寺」という名前も、銀閣に銀箔を塗る予定だったが応仁の乱後の騒乱の中でその資金が無かったために実現しなかったという説がありますが、定かではありません。

ですが、義政が銀閣寺を通して表現したかった日本庭園の美しさというものが感じて頂けると思います。

銀閣寺を訪れる際はぜひこれらのことを覚えておいていただくと、銀閣寺を100倍楽しめると思います!

 

(参照:「銀閣寺-不滅の建築(8)-」:毎日新聞社、 「古都世界遺産散策」:京都新聞社 松本章男)

 

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