【世界遺産】西芳寺(苔寺)を100倍楽しむためのマメ知識4選

日本が世界に誇る世界遺産「古都京都の文化財」の17個の構成遺産の中でも、ひと際独特な存在感を放っている西芳寺(通称:「苔寺」)。

今回は、世界遺産の西芳寺が京都の世界遺産の中でも特に「異質」、である所以をまとめてみました。

・多くの宗派により支えられてきた西芳寺
・庭園のヒミツ
・多くの著名人に愛された西芳寺
・特別な参拝ルール

これを読めば西芳寺へ参拝したくなること間違いなし!

1.西芳寺の歴史

広さ約10万平方メートル(約3万坪)、臨済宗の単立寺院として知られる西芳寺。

実はこのお寺の起源をは今から約1300年以上も前にさかのぼり、あの聖徳太子の別荘の地として開かれたのが始まりと言われています。

なんとも由緒のあるお寺であることが分かりますよね。

西芳寺はその後、多くの偉人達によって支えられてきました。

奈良時代に入ると、東大寺の大仏建立で大活躍をした行基が聖武天皇の詔によってこの場所を寺院に建替え、法相宗の「西方寺」として開山。この時の名前は西「方」寺であることも知っておくと良いでしょう。

そして、阿弥陀三尊を建立されて西方寺のご本尊としました。

さて、続いて平安時代に入るとあの弘法大師、空海がこの場所で放生会の儀式を修めたと言われています。

放生会とは、生き物の命を大切にするために、鳥や魚を野山や池に放す慈悲行のこと。西芳寺は放生会が初めて行われた発祥の地であると言われています。

 

鎌倉時代に入ると西方寺はその支援者が不在の中で荒廃することになります。

そんな中、1190年から99年にかけて、荒れたお寺を摂津守、中原師員が保護し、浄土宗念仏門の法然上人をこの寺に招き入れました。

そして、西方寺第五興の開山と仰いだのです。

その後鎌倉時代後期から室町時代初期にかけて、再び西方寺は支援者不在のまま荒廃の一途をたどることになりました。

そしてここから再興へと導いたのが、藤原親秀と夢窓疎石だったのです。この2人により再興した西方寺は、禅宗のお寺へと変わり名前も今の「西芳寺」となりました。

西芳寺と西方寺:名前の違いに見る仏教宗派

ちなみに、名前が「西方寺」から「西芳寺」へと変更になったことにも大きな意味があります。

「西方寺」の「西方」とは、まさに西の方角を表しているものと考えられ、なぜこの方角の名前が付いたかというと、西の方角に浄土があるという浄土信仰の思想からくるものです。

一方で「西芳寺」の「西芳」とは、「祖師西来」と「五葉聯」という禅宗の祖、達磨大師に由来する故事から来ています。

夢窓疎石が重んじた禅宗の考えによって、名前も西芳寺になったのですね。

 

このように、西芳寺の歴史は古く、行基の法相宗、空海の真言宗、法然の浄土宗、そして夢窓疎石の禅宗(臨済宗)と多くの宗派によって支えられてきたのです。

このようなお寺は他にも類を見ないのではないでしょうか。

 

2.西芳寺の庭園

浄土宗の思想と禅宗の思想の対比が見える

西芳寺の庭園の構成は、上段に枯山水の石組みを組み、下段に黄金池という池泉を敷く二段構えになっています。

鎌倉時代の代表的な庭園様式を表す一方で、このような構成は実は他に例がありません。

というのも、先ほど西芳寺の歴史で見たように、もともとこのお寺の前身は浄土宗でした。そして、庭園の中央にある黄金池は浄土を彼方に臨む海として造られたものです。

つまり、黄金池を中心とした浄土式の庭園であったと考えられていますが、それに手を加えて黄金池の周りを周遊することができる回遊式庭園の性格が加えられました。

さらに上段に造られた枯山水の石組み。こちら、西芳寺の枯山水が日本で最古のものと考えられています。

上段の枯山水

上段の枯山水と下段の浄土式庭園は、もともとは2つの異なる寺の庭園の一部でした。

先ほどご紹介した浄土宗の祖、法然が上段に厭離穢土寺として、下段を西方寺として再興した後、この2つに分かれていた庭園を、夢窓疎石は1つの寺の庭園として統合したのです。

厭離穢土とは穢れのある現世を示す言葉ですが、これは自己の中に浄土を見出そうとする、現世に重きをおいた禅宗の思想に基づくものと考えられます。

禅宗の思想を重んじた夢窓疎石は、2つの庭園を統一することで西芳寺の庭園に禅宗の様式を取り入れる一方で、現世と浄土を1つの庭園の中で対比させる構図を完成させたのです。

このように、西芳寺の庭園は書院造りでもなく枯山水でもない。この庭園をそのまま表す庭園様式は存在しません。

いろいろな宗派によって姿を変え、最終的に禅宗に落ち着いたからこそ生み出された庭園と言えるでしょう。

 

禅宗の故事から名づけられた庭園

潭北亭

西方寺の庭園には、中国の禅宗の教えから伝えられた故事に基づいて名づけられた場所が数多くあります。

名前の由来となったのは、「碧巌録第18則 『忠国師無縫塔』」というもの。

時は唐の時代、当時の皇帝だった粛宗はそれまで教えを乞いていた禅僧の慧忠に、何か恩返しがしたいがどうすれば良いかを聞きました。

すると、慧忠はただ一言「無縫塔(継ぎ目のない塔)が欲しい」とだけ言い残して没します。

無縫塔がどのようなものか分からなかった粛宗は、慧忠の弟子に慧忠の真意を尋ねたところ、このような答えが返ってきたといいます。

湘州の南、潭州の北あたりに、黄金が国中に満ち溢れた場所があります。

そこにある影のない大樹の下を合同船で進むと、豪華絢爛な瑠璃殿がありますが、そこに知識(=慧忠の教え)はありません。

この言葉は何を意味しているのでしょうか。

慧忠の欲しがった「無縫塔」というのは、豪華絢爛な墓石ではありません。そのような「目に見えるもの」を追い求めても決して見つからない。

そうではなく、影の無い大樹のような広大な仏心は一人一人の自己の中にあり、そこに目を向けることで目に見えるよりもさらに広大で穏やかな、そして完全無欠な世界が見えてくる。

そこは一点の影もない天下太平の世界であり、そこに無縫塔は存在する-。

禅宗の思想が良くわかるこの故事から、「湘南亭」「潭北亭」「黄金池」などの名前が付けられたと考えられています。

 

日本庭園の祖、夢窓疎石の凄さ
2つの世界遺産を手掛ける

夢窓疎石によって造られた天龍寺の庭園

さて、西芳寺の庭園を造った夢窓疎石。かなりスゴイ人なんです。

というのも、同じ京都の世界遺産である天龍寺のあの見事な庭園、こちらも夢窓疎石によって造られたもの。

どちらのお寺も訪れてみるとよく分かりますが、地形をうまく利用した庭園になっているのがその特徴の1つと言えるでしょう。

西芳寺の場合、上段と下段ではかなりの高低差があります。一方の天龍寺の庭園も、池の裏側のエリアはかなりアップダウンがあり、山の斜面付近に造られていることが実感できます。

自然の地形をそのまま利用し、まさに自然と一体を目指した庭園。禅宗の夢窓疎石の世界観が何となく見えてくるようです。

 

さらに2つの世界遺産の模範となった

京都の世界遺産の中でも、その見た目からトップレベルの人気を誇る金閣寺と、その対をなす銀閣寺。

実はこの2つの世界遺産のお寺の庭園は、この西芳寺を模したものだと言われています。

それがよく分かるのが、銀閣寺と西芳寺の庭園に付けられた名前です。詳しく知りたい方は、こちらのページも読んでみてください。

 

金閣寺と銀閣寺が似たような構成になっていることは、2つの写真を比較してみるとよく分かります。

ですが、この2つのお寺が西芳寺を模している、というのはピンと来ないかもしれません。というのも西芳寺には金閣寺や銀閣寺のような楼閣が無いからです。

ただ、実はもともと西芳寺にも楼閣があったと考えられています。

もともと西芳寺には「西来堂」というお堂があり、その西に下層を瑠璃殿、上層を無縫塔とする二層の楼閣があり、これが金閣寺と銀閣寺のモデルになったと言われています。

いかがでしょうか。京都の世界遺産の中でも3つの世界遺産と関係している西芳寺、このことからもその凄さがよく分かりますよね。

 

3.西芳寺を訪れた著名人たち

西芳寺で最も古い建物「湘南亭」

初めにご紹介した西芳寺の歴史でも、そうそうたる偉人たちがこのお寺とゆかりのあることを知っていただけたかと思います。

そのほかにも、平安時代には後嵯峨天皇や初代征夷大将軍となった坂上田村麻呂もこの地を訪れたと言われています。

そして先ほど金閣寺、銀閣寺と西芳寺のお話をしましたが、もちろん金閣寺と銀閣寺を建立した足利義満と足利義政もこのお寺を幾度となく訪れていたと言われています。

その後、戦国時代に入ると茶道の祖、千利休も豊臣秀吉から切腹を命じられた際、西芳寺の湘南亭で一時の間過ごしていたそうです。

さらには幕末時代、幕府からの難を逃れるため、岩倉具視もこの湘南亭に身を隠していたのだとか。

偉人たちがこの地を訪れた理由は様々ですが、それだけこの地には多くの人を魅了する特別なものがあったということなのでしょう。

近年では、iPhoneの生みの親、あのスティーブ・ジョブズもお忍びで家族と訪れていたそうです。スティーブ・ジョブズといえば、若い頃にインドを放浪し、禅に没頭したことは有名です。

同じ禅宗のお寺として、彼もまた西芳寺に特別な思い入れがあったのは想像に難くありません。

また、西方寺の一画には高浜虚子の句碑が建てられています。

禅寺の苔をついばむ小鳥かな

 

4.西芳寺参拝の特別なルール

実はこの西芳寺、自由参拝が認められておらず、予約制になっています。

予約は往復はがきでのみ受け付けており、参拝希望日の2か月前から受付を開始しています。

受付の方法については、西芳寺のホームページを参照してください。

西芳寺が一般公開されていない理由として、今では苔寺という別名が付くほど見事に苔に覆われた庭園に多くの観光客が殺到することで、観光公害を防ぐためとホームページには記載されています。

それだけではなく、もともと己と向き合う禅宗の考え方を大事に守り、限られた人数での参拝にすることで静かに落ち着いて西芳寺本来の雰囲気を体感してほしいという想いもあるようです。

 

いかがでしたでしょうか。

紅葉の季節も見事な景観になると言われている西芳寺ですが、やはりその魅力を存分に味わえるのは、苔が全面を多い、生命力の強さや源をはっきりと感じられる生き生きとした緑が映える梅雨の時期でしょう。

自由に参拝できないからこそ、ここでしか味わうことのできないことがたくさんあります。

ぜひ一度は西芳寺に訪れてみてください!

 

(参考」:「京の古寺から 6 西芳寺」藤田 秀岳/大通 浩一 淡交社、「古寺巡礼 36 西芳寺」藤田 秀岳 淡交社)

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