奈良県の世界遺産、「古都奈良の文化財」の1つに数えられている春日大社。
その見事な朱色の社殿と、周囲の神聖な山々、そしてかわいらしい鹿は、奈良で古くから大事に受け継がれてきた信仰の表れです。
・御蓋山はなぜ聖なる山なのか?
・春日大社はいつ、何のために創建されたのか?
・春日大社の社殿と灯籠のヒミツ
など、
伊勢神宮に次ぐ格式の高さを誇る、春日大社を100倍楽しむためのマメ知識をご紹介します!
【世界遺産】春日大社と春日信仰の歴史
神々の山、御蓋山(春日山)
春日大社は、昔から神がお住まいになっていると言われている、御蓋山の麓に建てられています。
御蓋山もまた、「春日原生林」として世界遺産に登録されている場所でもありますが、なぜこの山が古くから人々の信仰の対象となったのかというと、他にはない随一の自然の美しさです。
「貴婦人の傘を開いたような、優美な曲線を描いた山は、清浄な月光に照らされる時、最高の美しさを私たちに見せ、色とりどりの花が咲き誇り、その香りに包まれる春日野は、地上の楽園である。そこは、神様がお集まりになり、お遊びになる場所である。」
御笠山を紹介する、そのような記述が古い文献に見られます。
記録にも残されている、不思議な現象
神々がお住まいになる山として、御蓋山ではこれまで数々の不思議な現象が記録されています。
「山木枯槁」
御蓋山と春日山の草木が大量に枯れる現象で、神の怒りと考えられた。
「神鏡落御」
ご本殿と若宮の御簾の前にかかる御正体の6枚の神鏡を留める紐が切れ、神鏡が落ちる現象。
「春日山鳴動」
山全体が音を立てて、大きく揺れる現象。室町時代後期から江戸時代にかけ、十数回記録が残っているが、いずれも地震の記録と一致しない。
平城京と御蓋山
奈良に平城京が置かれたことで、御蓋山への信仰はさらに深くなりました。
もともと平城京は、「四神相応」の場所として都が置かれ、御蓋山は平城京からちょうど東に位置する場所にありました。
つまり、天皇を含め都の人々は、東の御蓋山から昇る太陽や月を毎日見ていたことになります。
「太陽や月が姿を現す御蓋山には、神が宿っている」
と考えるのは当然と言えます。
さらに、平城京に暮らす人々の生活を支えるための貴重な水は、御蓋山を水源としていました。
「自分たちに生命の水を与えてくださる御蓋山」
と、御蓋山への信仰はより深いものになったのです。
【世界遺産】春日大社と奈良の鹿
奈良と言えば、奈良公園の鹿はあまりにも有名ですよね!
広い奈良市内のいたるところで、何とも可愛らしい鹿に出会うことができます。
今や1,500頭と生息している鹿が、このように街の中で自由に暮らしているのは、世界中でもここだけでしょう。
では何故、鹿がこのように大切にされてきたのでしょうか。
「古社記」によると、その昔神様が常陸国から御蓋山にお越しになる際、神鹿をもって御乗物とされ、柿木を鞭とされたと言われています。
さらに、春日大社の第1殿から第3殿の神様は、束帯のお姿で3頭の白鹿にお乗りになり、それぞれ常陸、下総、河内の国からお越しになったとされ、鹿は神々の使いと考えられているのです。
また、鹿は角が毎年生え変わる動物ですが、人間の身近にいるほとんどの動物、例えば牛などは、生涯角が生え変わることがないため、鹿は神聖な力を持つ動物とされてきました。
御蓋山での狩猟伐採禁止令
841年、「太政官符」により、御蓋山での狩猟伐採禁止令が出されてから、この地に暮らす人々は、約1,200年もの間、御蓋山の自然をそのままの姿で残してきました。
春日大社の社家の人々に至っては、山から出る際に枯葉1枚、土1握りでさえも持ち出すことを禁止され、その中で鹿たちも大切に守られてきたのです。
いかに御蓋山が、神聖な山として奈良の人々から畏れ崇められていたか、よくお分かり頂けたことと思います。
それでは、いよいよ春日大社についてお話を進めましょう。
【世界遺産】春日大社の社殿
春日大社と阿倍仲麻呂
春日大社の本殿が創建されたのは、平城京が置かれた後、768年のことです。
ですが、これまでご紹介してきた通り、本殿が創建される前から、この場所では様々な祈願が行われてきました。
例えば、717年には遣唐使の航海祈願がこの場所で行われた、と「続日本紀」に記載されています。
その祈願に参加していたのが、あの阿倍仲麻呂です。
「天(あま)の原 ふりさけ見れば 春日なる 御蓋(みかさ)の山に いでし月かも」
唐に渡った後、二度と故郷の日本の地に足を着くことが叶わなかった阿倍仲麻呂が詠んだこの歌は、あまりにも有名です。
春日大社には阿倍仲麻呂が詠んだこの歌の歌碑が置かれています。
春日大社の社殿
春日大社が祀る神々
春日大社のご本殿には4柱の神様が祀られています。
本殿 | 神様 | 概要 |
第1殿 | 武甕槌命(たけみかづちのみこと)様 | 「国譲りの神話」で有名な神様であり、最強の武神と言われる。 |
第2殿 | 経津主命(ふつぬしのみこと)様 | 「神武東征」を成功に導いたとされる神様。 |
第3殿 | 天児屋根命(あめのこやねのみこと)様 | 天岩戸の前で、最初に祝詞を御奏上して、天照大神様のが岩戸を開くきっかけとなった、知恵の神様。 |
第4殿 | 比売神(ひめがみ)様 | 天児屋根命様のお世話をされる美しい女神とされ、天照大神様と同体の神様とも言われる。 |
最強の武神である武甕槌命(たけみかづちのみこと)様と、天照大神と同体とも言われる比売神(ひめがみ)様を祀っていることから、春日大社の格式の高さが伺えます。
春日大社のご本殿にこれらの神々が祀られた一番の理由は、平城京の守護であったと言われています。
奈良時代、中国には大国の唐があり、まだまだ国として小さな存在であった日本。
海外からの侵攻により国に危機が訪れる可能性も十分にあったこの時代、国を護ることが最重要事項でした。
社殿の造り
唐の思想を反映
春日大社の本殿の創建は、唐の思想を取り入れた平城京と同じように造られました。
例えば、ご本殿への入口は南門に置かれていますが、これは、北を背にして南を向いた天子南面の思想に基づくものです。
南門が入口のため、ご本殿へ入る時、一の鳥居から東へ続く道の先にある長い坂道の参道を上り、急に左に曲がることになります。
また、社殿を彩る鮮やかな朱色も、平城京の大極殿と同じように造られたものですが、朱色は生命の美しさや力強さを表す色として選ばれました。
ご本殿に関しては日本で唯一、水銀を含んだ鮮やかな「本朱」を用いて朱く塗られています。
神の御山を大切に創建
春日大社をご参拝するとよく分かりますが、参道から本殿までには長い坂道を上り、本殿の中も高低差があるため、坂道や階段が多く設けられています。
これは、神の御山である御蓋山の地形を人工の力で極力変えないよう、自然の中に社殿を建てたためです。
直接確認することはできませんが、本殿に置かれている第1殿から第4殿のお社も、地面の高さが少しずつ違った場所にあり、その微妙な高低差でさえも自然のまま残されています。
浮雲峰からの尾根線
春日大社の社殿の回廊の外側に、「御蓋山浮雲峰遥拝所」の鳥居があります。
浮雲峰というのは、御蓋山の頂上のことで、まさにその昔、神々がこの地へと降り立ちになられた場所です。
鳥居はその浮雲峰からの尾根線上に造られており、この尾根線は、春日大社の本殿を通って、平城宮の大極殿までつながっています。
【世界遺産】春日大社の灯籠
春日大社と言えば、参道や本殿内にある3,000基とも言われる灯籠が幻想的な景観を生み出しています。
この灯籠は、平安時代後期に若宮が創建された際、大宮と若宮を結ぶ御間道が重要な参道となり、そこに鎌倉時代後期から次々と石灯籠が奉納されたことが始まりです。
この灯籠は、武士や貴族から奉納されたものが特に有名ですが、そのほとんどは一般の庶民の信仰によるもので、実に80%以上が商人から奉納されたものと言われています。
さらに、室町時代に造られた銅の灯籠の70%ほどがこの春日大社にある、というのは驚きです。
バラエティ豊かな灯籠
有名な武将等の灯籠
有名な武将が奉納した灯籠の一部をご紹介すると、
徳川綱吉
宇喜多秀家
藤堂高虎
直江兼続
島左近
という、そうそうたる顔ぶれ。
灯籠のデザイン
さらに、灯籠のデザインも、
鹿
鶴亀
ミミズク
鳳凰
月
鶴に乗った福禄寿
虫
家紋
など、多岐にわたりますが、これは奉納者の願いにより異なるデザインが刻まれたためです。
灯籠にまつわる逸話
春日大社にある2,000とも3,000とも言われている灯籠には、こんな逸話が残っています。
この灯籠の中に、15基だけ、本来は「春日社」と刻むところを、「春日大明神」と刻まれているものがあるそうです。
夜に春日大社を参拝した時、「春日大明神」と刻まれた灯籠を3基見つけることが出来た者は、長者になると言われているのだとか。
また、昔はこれだけの灯籠が毎日灯されていたわけですが、それには莫大な油が必要になるため、この周辺には多くの油商人が住んでいたそうです。
今も奈良県にある、「油阪町」は、この油商人が住んでいた街ということから、この名前になったと言われています。
【世界遺産】春日大社と興福寺
春日大社と興福寺には、ある共通点があります。
それは、どちらも藤原氏に関係のある寺社であること。
春日大社は平城京の守護神社ですが、藤原氏の氏神でもあり、興福寺は藤原氏の氏寺です。
平城京への遷都に当たって、大きな役割を担ったのが、藤原不比等でした。
藤原不比等は、日本で国家が出来て初めての法令、「大宝律令」を作った人としても有名です。
春日大社の創建に当たっても、藤原不比等の尽力は大きく、祀られている4柱の神様は、藤原氏の氏神となったのです。
神仏習合の表れ
春日大社の年中行事の中に、今も1月2日に行われている「日供始式並興福寺貫首社参式」という行事があります。
この行事では、宮司が祝詞を奏上した後、興福寺の僧侶が御神前で読経を行うのです。
神社で僧侶が読経-。
これは、日本特有の神仏習合の信仰に基づくものです。
また、興福寺の僧侶となる修行の一環として、春日大社への参拝があるなど、春日大社と幸福寺は、まさに神仏習合を形にした寺社と言えるでしょう。
春日大社ご本殿、第1殿の本地仏は「不空羂索観音」とされ、これは興福寺南円堂のご本尊でもあります。
興福寺のご本尊は、釈迦如来ですが、不空羂索観音が第1殿の本地仏とされたのは、南円堂が興福寺の中でも、特に藤原氏にゆかりのある特別な場所だからです。
いかがでしたでしょうか。
神々が住まわれている御蓋山の麓に建てられた春日大社。
それは、古くからこの地に暮らす人々が大切にし、守り抜いてきた信仰世界の結晶でもあります。
ぜひ春日大社を訪れ、その神聖な雰囲気と、社殿の美しさ、灯籠のヒミツを楽しんでください!
(参考:「春日大社のすべて」 花山院弘匡 中央公論新社)