【世界遺産】宇治平等院鳳凰堂を100倍楽しむためのマメ知識4選

京都の世界遺産の1つ、宇治の平等院鳳凰堂。

藤原頼通が創建したこのお寺は、10円玉のデザインに用いられていることでも有名です。

今回は、そんな平等院鳳凰堂について、

・建立された理由
・平等院鳳凰堂が表しているものとは?
・阿弥陀堂に隠された藤原頼通の本当の願い
・平等院鳳凰堂は浄土信仰と密教のハイブリッド!?

の4つをご紹介!

これを読めば、誰よりも平等院鳳凰堂を深く楽しむことが出来ます!

1.建立された理由

 

平等院鳳凰堂は1052年に藤原頼通により創建され、翌1053年に阿弥陀堂が建立されました。

この1052年という年代にも意味があります。というのも、当時の人々はこの年から「末法の世」が始まる、と信じていたからです。

末法思想とは

「末法の世」というのは、仏様の教えの効力が無くなり、乱れた世の中が続くことを意味します。

釈迦入滅後、しばらくはその教えを継ぐ者たちが釈迦の教えを正しく世に広めることが出来ますが、時が経つにつれてその教えは次第に形ばかりになり、お釈迦様が教えを説かれた時からだんだんと意味が薄れていく、というわけです。

せっかくお釈迦様の教えで平和な世の中が続いていたものが、末法の世になるとその教えが効力を持たなくなるので、争いや乱れが巻き起こる世の中が到来する、と人々は信じていました。

東大寺と平等院鳳凰堂に見る末法思想

東大寺:盧舎那仏

奈良の大仏と言えば東大寺ですが、東大寺大仏開眼供養が行われたのは752年のことでした。

この752年は、日本に仏教が伝来して200年の節目に当たる年と考えられていたため、聖武天皇は開眼供養をこの年にこだわったと言われています。

そして、平等院鳳凰堂の創建が1052年ということは、東大寺の開眼供養から300年、日本に仏教が伝来してからちょうど500年。

この区切りの年から末法の世が始まる、と人々が信じていたことが何となく分かりますよね。

空前の阿弥陀堂建立ブーム

末法の世が1052年から始まる、と信じられていた平安時代末期。

現世は争いや乱れが起こり、穢(けが)れた場所になってしまうから、せめて来世で美しい極楽浄土に往生したい。

その願いを込めて、阿弥陀堂が数多く建立されました。
阿弥陀如来は西方極楽浄土の教主として、死後の極楽浄土への往生を約束してくれる仏様だからです。

この流れに時の権力者、藤原頼通も漏れず、父である藤原道長の別荘を寺院に改め、平等院鳳凰堂を創建、阿弥陀堂を建立しました。

ちなみに、鳳凰堂に関しては創建以来、一度も火災などによる損壊に会わず、奇跡的に当時の姿のまま現在に至っています。

2.平等院鳳凰堂が表しているものとは?

末法の世において、平等院鳳凰堂は「極楽浄土をこの世に具現化」するために創建されたと考えられています。

つまり、平等院鳳凰堂が極楽浄土そのものを表しているということです。具体的にご説明しましょう。

極楽浄土にふさわしい、宇治の地

今では建物が立ち並んで分かりませんが、平等院は宇治川のすぐそばに建てられており、近くには宇治山に囲まれた場所にあります。

平等院鳳凰堂が創建された当時は、この宇治川や宇治山を借景として利用したと考えられています。

このような自然豊かな地の中に建つ美しい宮殿と、それを取り囲む池。

平等院鳳凰堂が、極楽浄土そのものと言われる所以はここにあります。

平等院鳳凰堂に見る、極楽浄土
阿字池

鳳凰堂を囲むように造られた阿字池。

極楽浄土の宝池を表すと言われていますが、「阿」というのは密教では万物の不生不滅を表すと言われています。
まさに、永遠の極楽浄土にふさわしい名前ですね。

この阿字池によって鳳凰堂と庭が隔てられ、それはまさに現世と来世を隔てているもの、とも言えます。

現在は鳳凰堂の下には敷石が見えていますが、創建当時は阿字池の中に浮かぶように造られてたとも考えられています。

庭から見える阿弥陀如来

鳳凰堂を真正面から見た時、開かれた扉の後ろに格子窓が置かれていますが、阿弥陀如来のお顔の部分だけは円形に空いており、鳳凰堂の外側からも阿弥陀如来のお顔を拝むことが出来ます。

まるで、極楽浄土の宮殿に坐していらっしゃる阿弥陀如来を現世である外側から拝む、という演出のようですね。

1階と2階のバランス

鳳凰堂は写真の通り、南北の回廊が2階建てとなっています。

ですが、よく見ると1階に比べて2階の高さが極端に狭くなっていることにお気づきでしょうか。
この高さでは、人が立って通ることは不可能です。

これは、極楽浄土の宮殿にふさわしい、美しい形を追求したものと考えられており、このような意図で造られたということこそ、鳳凰堂は人が踏み入れる場所ではない、つまり、極楽浄土の宮殿であることを示しているのです。

鳳凰堂という名

「鳳凰堂」という名前は、後からつけられた名前です。その由来は2つ。

1つ目は、写真の通り鳳凰堂の後ろに続く廊下と南北の回廊が、まるで長い尾を持った鳳凰が羽を広げている姿に見えること。

2つ目は、中堂の屋根の両端に取り付けられた、2つの鳳凰像です。この1対の鳳凰像は国宝にも指定されています。

鳳凰堂の方角

最後に、鳳凰堂が建てられている方角についてもお話しします。

左右から出ている南北の回廊に対し、中堂は東側を向いて建てられています。これはどういうことか。

東に向いて建てられているということは、太陽は西に沈む時、鳳凰堂の裏側に沈むことになります。

さきほど、「西方極楽浄土」と書いた通り、極楽浄土は太陽の沈む西の方角にあると信じられていました。

その太陽が西に沈む際、まるで鳳凰堂に吸い込まれるように陽が落ちる。そして、そこには阿弥陀如来がいらっしゃる-。

まさに現世の極楽浄土、それが鳳凰堂だったことがこれでお分かり頂けたと思います。

 

ですが、創建者の藤原頼通の願いはそれだけではなかったのです。

3.阿弥陀堂に隠された藤原頼通の本当の願い

平等院鳳凰堂は、極楽浄土をこの世に創り出すために造られた。

これまでお話をしてきましたが、それだけでは平等院鳳凰堂に込めた藤原頼通の思いを十分に知ることはできません。

何故かというと、それだけでは説明の出来ない謎が残されているからです。それをお話ししましょう。

阿弥陀堂内に隠された謎
仏後壁に描かれた壁画の謎

出典:http://naranouchi.blog.jp/archives/57580921.html

阿弥陀如来の仏後壁には壁画が描かれています。上の写真はその壁画を再現したものですが、右上と左下に2つの伽藍が描かれており、右上の伽藍については極楽浄土を描いていると考えられています。

ですが、この壁画全体が何を表しているのか、については明確には分かっていません。

左下の伽藍は、現世を描いていると考えられていますが、鳳凰堂が極楽浄土を表すと考えると、その内部にこのような壁画が残されている説明がつかないのです。

九品来迎図の謎①

出典:平等院公式パンフレットより抜粋

九品来迎図とは、阿弥陀堂内の壁に描かれた壁画で、極楽浄土へ往生する者を阿弥陀様や観音様が迎えに来る、来迎が描かれたものです。

「九品」とは、現世での行いにより9つに分けられた、極楽往生へのランキングのようなもので、上・中・下の三品が、それぞれ上生・中生・下生の3つに分かれています。

これは、「観無量寿経」第14・15・16観で説かれた教えを絵にしたものですが、観無量寿経によると、それぞれの種別により、来迎される仏様などの数も種類も異なる、と説かれているのです。

例えば、一番下の下品下生に至っては、仏様は来迎されず、金蓮華(如日輪)のみが来迎するという、何とも寂しい往生になるそう。。

阿弥陀堂内の九品来迎図はそれぞれの種別の来迎を描いているのですが、どれも来迎される仏様などの数に差が無く、これが「観無量寿経」の教えと相違しています。

なぜあえて相違する壁画を描いたのでしょうか。

九品来迎図の謎②

上の図は、九品来迎図のそれぞれの種別が描かれた場所を示しています。

ですが、九品のうち八品までは描かれた場所がはっきりしているのですが、唯一、中品下生については描かれた場所がはっきりしていません。

壁画は長い時間の間に色も剥げ落ちが激しいため、中品下生の来迎図がそもそも描かれていたのかどうかもはっきりしていません。

これが2つ目の謎です。

謎から読み解く、頼通の願い

さて、御紹介した謎は、「極楽浄土そのものをこの世に創り出すため」に平等院鳳凰堂を創建した、と考えるだけでは解明することが出来ません。

創建者である藤原頼通の願いをもう少し深く考えてみます。

頼通は往生に不安だった!?

皆さんは、わざわざこんな立派な寺院を創建し、信仰深く仏教に帰依した藤原頼通なら、九品の内、当然最も高い上品上生で往生できると思われるかもしれません。

ですが、現世において殺生を行った者は下品での往生と言われており、貴族である頼通も、生涯において狩猟に興じ、その点で殺生を行っていたと考えられます。

事実、下品上生の来迎図の中には、漁猟の様子が描かれているのです。

さらに、九品のうち、世俗の者は中品下生から下と言われていたことを考えると、頼通は極楽浄土へ往生できるのか、不安を抱えていたのではないでしょうか。

下品での往生の場合、なんと阿弥陀如来は来迎には含まれないのです。

どうしても阿弥陀如来の来迎により、極楽浄土へ往生したい!

そんな頼通の気持ちになって、謎を解明してみましょう。

極楽浄土からの来迎を体現する場としての阿弥陀堂

出典:平等院公式パンフレットより抜粋

先ほどご紹介した、中品下生だけが抜け落ちた壁画の謎。抜け落ちた中品下生はどこへ?

「中品下生の来迎は、今まさに阿弥陀堂で行われている。」

このように考えてみたらどうでしょうか。

阿弥陀堂の壁には、雲に乗った52体の菩薩像、「雲中供養菩薩」が配置されています。

これも、極楽浄土で楽しまれている菩薩像を描かれていると考えられていますが、今まさに阿弥陀如来と来迎されている場面にも見えてきます。

阿弥陀堂は来迎図から抜け出た中品下生の来迎の場だったのです。

阿弥陀堂を来迎の場所と考えると、現世と極楽浄土の伽藍が描かれた仏後壁の謎も解けます。つまり、阿弥陀堂が2つの伽藍の間を結ぶ架け橋となっているわけです。

 

頼通は、せめて俗世の中で最も位の高い中品下生での往生を願っていたのです。だから、中品下生だけは壁画でなく、実際にそのものを空間の中に造った。

最後に、描かれた八品の来迎図の来迎に差が無いこと。これも、万が一下品での往生となってしまった場合でも、せめて阿弥陀如来の来迎を願う、頼通の思いがそうさせたのではないでしょうか。

4・平等院鳳凰堂は浄土信仰と密教のハイブリッド!?

平等院と密教の関わり

最後に、平等院の特徴を1つご紹介しましょう。

平等院には不動堂がありますが、不動堂は不動明王をお祀りする場所。不動明王とは、密教特有の明王です。

実は平等院のもともとの本尊は、阿弥陀如来ではなく、大日如来でした。大日如来も不動明王と同じ、密教の頂点をなす存在です。

もう少し、平等院に隠された密教との関わりをご紹介します。

雲中供養菩薩と密教

出典:http://www.geocities.jp/saitohmoto/hobby/gakki/Byodoin/Byodoin.html

52体ある雲中供養菩薩像の中には、「金剛光」や「愛」と書かれた墨書が見つかっていますが、これらは密教の金剛光菩薩、金剛愛菩薩を表していると考えられています。

52体の意味

雲中供養菩薩像は52体ありますが、この数にも意味があると考えられています。

一説によれば、

来迎二十五菩薩
四摂菩薩(密教)
八供養菩薩(密教)
十六大菩薩(密教)

で計53体となりますが、これは雲中供養菩薩52体と、阿弥陀如来を合わせた数と一致します。

このように、雲中供養菩薩は浄土信仰のみならず、密教の曼陀羅に表されている菩薩をも加味したものとも考えられています。

密教を取り入れた頼通の思い

このように、密教の特徴も持つ平等院ですが、末法思想による浄土信仰と密教は相容れない思想でした。

それを、敢えてこのように2つの思想を取り込んだところに、時の権力者である藤原頼通のパワーを感じます。

頼通がなぜ密教思想を取り入れようとしたのか。

1つ考えられるのは、密教が浄土信仰とは違って、現世利益を求める教えてあること。

末法思想が広がる世の中にあっても、敢えてそんな世の中に立ち向かうべくご利益を求め、密教の教えを取り入れた。そう考えられないでしょうか。

そう考えると、頼通はあながち来世の極楽浄土にだけ思いを馳せていたのでは無いかもしれませんね。

 

いかがでしたでしょうか。

知れば知るほど、深い思いを持って造られたことが分かる平等院鳳凰堂。

皆さんもぜひ、今回ご紹介したお話を思い出しながら平等院を訪れてみてください。きっと、見える景色が違ってくるはずです!

 

(参照:「平等院鳳凰堂 現世と浄土のあいだ」冨島義幸 吉川弘文館、「平等院雲中供養菩薩」、公式パンフレット)

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