今年は第二次世界大戦の終戦から70年の節目となる年です。国会、国民の大きな関心となっている安保法案も合わせて、改めて戦争や争いについて考えることが多いのではないでしょうか。
世界には世界遺産も含めて、人間の争いや差別など、将来同じ過ちを起こすことが無いように過去の事実を将来に引き継ぐ目的で保存、管理されている場所が多く残されています。
今回はその中でも、とくに有名な場所を3つご紹介したいと思います。実際にその地を訪れてそこで起こった出来事をじっくり考えることは、今後人間が、社会がどのようにあるべきかを考えるうえでとても大事なことです。
原爆ドーム(日本:広島)
日本人であればおそらく誰でも一度は聞いたことのある原爆ドーム。実際に訪れたことは無くても、写真はあまりにも有名で一度は目にしたことがある建造物です。1996年に世界文化遺産に登録されました。日本では「負の世界遺産」と呼ばれることも多い世界遺産です。
(出典:http://www.jalan.net/theme/isan/hiroshima/)
歴史上一番最初の核兵器の使用だった
広島に原爆が投下されたのは1945年8月6日の午前8時15分でした。現在まで世界中で核実験が数千回という規模で行われていますが、核兵器が最初に用いられたのは広島でした。
また、日本は世界で唯一の被爆国でもあります。そんな日本だからこそ、世界に核兵器の悲惨さを発信して同じことを二度と起こしてはならない、という思いから原爆ドームの世界遺産入りが実現したのです。
原爆ドームは建物の正式名称ではない
今では「原爆ドーム」という名前が一般的に広まっていますが、それは写真にもあるように、この建物の天井が一部ドーム型をしていたことから名づけられました。
もともとこの建物は広島県物産陳列館として使われており、当時の名称も「広島県産業奨励館」と呼ばれていました。
原爆の投下場所からはわずか200mの距離
原爆の爆心地は原爆ドームからわずか200mの距離でした。現在は島外科内科医院という病院が建てられていますが、その一角に爆心地を示す記念碑が建てられています。
原爆の威力
Wikipediaや広島市のホームページには、原爆の威力の凄まじさが記載されています。一部を引用、ご紹介します。
爆心地を通過していた路面電車は炎上したまま遺骸を乗せて、慣性力で暫く走り続けた。吊革を手で持った形のままの人や、運転台でマスター・コントローラーを握ったまま死んだ女性運転士もいた。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%B8%82%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B)原子爆弾は、投下から43秒後、地上約600メートルの上空で目もくらむ閃光を放って炸裂し、小型の太陽ともいえる灼熱の火球を作りました。火球の中心温度は摂氏100万度を超え、1秒後には最大直径280メートルの大きさとなり、爆心地周辺の地表面の温度は3,000~4,000度にも達しました。
(出典:http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1111637106129/)
原爆の威力は大きく、爆風・熱線・放射能に分かれます。爆風は爆発の瞬間、台風の1,000倍程度、音速よりも早い爆風が吹き荒れ、熱線により地表の温度は数千度まで上がりました。これにより、走っていた列車も自然発火したと考えられており、爆心地から半径500m以内にいた人たちは即死したと言われています。
原爆ドームは当時の形をそのまま残している
原爆ドームは当時の形をそのまま残しています。つまり、原爆が投下された直後からこの姿となってしまいました。
原爆の威力のすさまじさにも関わらず、奇跡的に原爆ドームが全壊しなかったことにはいくつかの理由が考えられています。もっとも有力は理由は、原爆ドームは爆心地近く、そこで発生する原爆の爆風は垂直方向に流れるため、横からの圧力が弱く、原爆ドームの建物がその圧力に耐えることができたというものです。
なぜ広島なのか
広島が原爆投下の目標地とされたことにはいくつかの理由があると考えられています。
・アメリカが原爆の威力を正確に測定するため、周りを海と山で囲まれ、適度に大きな都市である広島が最も都合が良いと考えた
・連合軍の捕虜施設が無いため、他の国からの反対も起こりにくい
・広島には軍隊、軍事施設や軍需工場が多数ありそれらがまだ被害を受けずに残っていた
とくに最初の理由、原爆の威力測定に至ってはわざわざ広島への空爆を禁止しているほどです。
核兵器の悲惨さ
原爆ドームは核兵器の悲惨さを今でも生々しく訴えています。これだけのすさまじい威力に言葉を失うばかりですが、現在アメリカをはじめとする核保有国が持っている核の威力はこの数千倍、数万倍にも及ぶと言われています。
原爆ドームを訪れ、人間が作り出した核を持つことの恐ろしさや悲惨さを考えてみてはいかがでしょうか。
アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所(ポーランド:オシフィエンチム)
第二次世界大戦は、広島・長崎の原爆以外にも人間が生み出した不幸が存在しました。その一つがナチスドイツによるホロコースト(ユダヤ人迫害)です。
アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所はナチス政権から迫害された人たちが強制的に収容される収容所でした。1979年に世界文化遺産に登録されていますが、広島の原爆ドーム同様、日本では「負の世界遺産」と呼ぶこともあります。通常アウシュビッツというと第一収容所、ビルケナウは第二収容所を指します。
「民族洗浄」という思想が生み出した処刑場
アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所は「民族洗浄」というナチスのアーリア人至上主義に基づいて、それ以外の人種の数を減らさなければならない、という考えから生まれました。
戦争というと、捕虜は奴隷や労働力のために使われたと思われがちですが、アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所については、当初は単に民族洗浄のためにドイツ人以外(ジプシー、ポーランド人、ユダヤ人など)を強制的に処分するための場所として作られました。つまり、殺すために造られた施設でした。
ビルケナウの、線路が門に続いていく写真はあまりにも有名です。写真に見る赤レンガの門は「死の門」と呼ばれました。一度入ると二度と出てくることはなく、ビルケナウが線路の終着点からそう呼ばれました。
アウシュビッツという場所
なぜこの地に強制収容所が造られたかについてはいろいろな理由が考えられています。
・当初東はポーランド、西はフランスまで勢力を拡大していたナチスドイツの領地の中央に位置しており、各地から人を収容のために運ぶのが効率的だった
・アウシュビッツ近くに戦争に必要な炭鉱があったため
「死」の場所
(出典:http://yuuma7.com/%E6%AD%BB%E3%81%AE%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%
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http://togetogeteacher.blog70.fc2.com/blog-entry-251.html
アウシュビッツの第一収容所では、収容された人たちは日常的に「死」と隣り合わせの生活を強いられました。左の写真は絞首台、右の写真は銃による処刑場です。どちらも見せしめのために使われていました。処刑所の壁には今でも銃痕が残されています。
このほかにも、ペナルティとして重い処罰が与えられました。食べ物を与えなず牢に閉じ込めたり、立ったまま狭い牢で何日も放置される立牢などがありました。
このように、日常的におこなわれる処刑、重労働、栄養不足、ペナルティによる罰などさまざまな方法で、収容された人たちは死に追いやられました。
「死」を隠すカモフラージュ
強制収容所ではまず生きて帰れることはありませんでした。そんな「死」の場所と感づかれないためにさまざまなカモフラージュが行われていました。
(出典:http://yuuma7.com/%E6%AD%BB%E3%81%AE%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%
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よく写真で見るアウシュビッツ強制収容所の入り口。ここに飾られている「ARBEIT MACHT FREI」という言葉は「働けば自由になる」という意味だそうです。労働にいそしむことで解放されるという期待を植え付けるためのものでした。ちなみにBの文字のふくらみが上と下で逆になっています。これは、収容された人たちによるせめてもの抵抗だったのではないかと言われています。
そのほか、ビルケナウではガス室に送る際に「シャワーを浴びてもらう」と嘘をついて衣服をすべて脱がせました。ガス室に入っても感づかれないよう、シャワーの蛇口を作っていたとも言われています。
強制収容所での犠牲者
ビルケナウ強制収容所が造られると、一度に大量の人を殺害できるようにガス室による処刑が行われるようになり、一日に多くの人が処刑されました。
正式な数はわかっていませんが、このアウシュビッツ強制収容所で殺害された人たちは百万人を超えています。これは原爆が落とされた広島、長崎の市民の数よりも多い数です。数の大小を言っているわけではなく、原爆という核兵器ではなく人の手によってこれだけの数の人々が殺されたという事実は、人間の愚かさと残酷さを映し出しているように見えます。
グラウンド・ゼロ(アメリカ:ニューヨーク)
9.11という言葉を聞くと多くの人が2001年のテロ事件を思い出します。アメリカのニュースの生放送中、後ろに映っていたワールドトレードセンター(WTC)に飛行機が突っ込む姿が映し出された時の映像はその後、何度もTVで放送されました。
21世紀に入り世界最強の国アメリカの大都市で、飛行機によるテロが発生したことはいろいろな意味で世界中の人々にショックを与えました。
なぜテロが行われたのか?なぜWTCなのか?
なぜアメリカに対してテロが行われたのか。世界最強の国である一方、アメリカに対して敵意を持つ国や人々も数多くいることも事実です。9.11のテロはそんなアメリカの帝国主義の出鼻をくじくものでした。
アメリカの象徴的な建物はエンパイアステートビルや自由の女神などがありますが、なぜWTCが狙われたのかについてはいろいろな説が流れています。
・周りに高層ビルが無く、狙いやすかった
・WTCに入っている金融機関を狙った
など。
グラウンド・ゼロ
(出典:http://karavinka.at.webry.info/201309/article_1.html)
WTCの跡地にはグラウンドゼロと呼ばれる記念碑と、9.11 Memorial Museumが建設されました。9.11 Memorial Museumは以前は予約制でしたが、2014年5月にリニューアルオープンして以降、現在は予約なしでも入場することが可能です。
いかがでしたでしょうか。今回ご紹介した3つの場所は、戦争や争いの違った部分から、人が争いを生み出し、同じ人間同士で殺しあうことのむなしさ、恐ろしさ、不幸さを物語っているように思います。
戦争について考える時、特に戦争を経験したことのない世代は「戦争をする」とはどいうことかを感じることがとても難しいと思います。そのような戦争を知るには、なるべく具体的に戦争によって行われたことや起こった悲劇などを知ることがまず第一歩ではないでしょうか。今回ご紹介した場所はいずれも戦争を考えるきっかけになる、人類にとって重要な場所ではないでしょうか。そんな場所にぜひ一度足を運んで、そこで何かを感じ取ってみてはいかがでしょうか。
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