世界遺産の楽しみ方

【世界遺産】見どころや歴史は?宇治上神社を100倍楽しむためのマメ知識3選

京都の世界遺産のみならず、世界中の世界遺産の中で恐らく最も小さな世界遺産の1つでもある宇治神神社。
宇治市にあり、宇治川を挟んであの有名な平等院鳳凰堂(世界遺産)に対面するこの世界遺産について、ご存じない方も多いのではないでしょうか。
平等院鳳凰堂に比べると見劣りしてしまいますが、同じ世界遺産として肩を並べる宇治上神社の歴史や成り立ち、見どころを詳しくご紹介します!

1.【世界遺産】宇治上神社の歴史と成り立ち

宇治神社との関係

宇治上神社の歴史はとても古く、厳密にこの神社がいつ創建されたのか、それを記す歴史資料が無いのではっきりしたことは分かっていません。

ですが、927年に成立した「延喜式」に「宇治神社二座」という記載があることから、諸説ありますがもともとはこの宇治上神社と隣接する宇治神社は二社一体の存在とみなされ、「宇治離宮」という名前で信仰されていたと考えられています。
つまり、少なくとも宇治上神社の存在は10世紀前半にはあった、ということにもなりますね。

「離宮」という名前の由来は、これも古い歴史資料である「山城国風土記」によれば、宇治上神社の境内は応神天皇の離宮と考えられている「桐原日桁宮」の旧跡であるとの伝承や、菟道稚郎子(うじのわきいらつこのみこと)の離宮があった場所であったことによることにあります。

ちなみに、もともと一体であった宇治上神社と宇治神社が2つに分かれたのは、明治時代に入ってからとなります。

祭神、菟道稚郎子(うじのわきいらつこのみこと)とその物語

先ほど、菟道稚郎子(うじのわきいらつこのみこと)、という名前をご紹介しましたが、これは宇治神社と世界遺産の宇治上神社の祭神の1人の御名前で、応神天皇を父に持つ人物です。

「古事記」と「日本書紀」によると、父親であった応神天皇と宮主矢河枝比売(みやぬしやかひめ)との間に生まれた菟道稚郎子には、応神天皇と仲姫命(なかつひめのみこと)との間に生まれた異母兄である大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)という人物がいました。

百済から学者を招き、その学者の元で熱心に勉学に励んだ菟道稚郎子は、もともと聡明であったこともあり、父の応神天皇からも寵愛を受けることになります。そして、父が亡くなった後、兄の大鷦鷯尊を差し置いて菟道稚郎子に皇位を推すことになったのです。

これには単に父親の寵愛を受けていた、という理由だけではなく、天皇がより長きに渡って王位に就き治世を行う上で、より若い継承者が皇位を受け継ぐべき、という考えが古くはあったとも考えられています。
今では原則として直系&長兄が皇位継承順位として優先されることを考えると、ちょっと意外ですよね。

自分が差し置かれて異母弟が天皇となることに対し、大鷦鷯尊が恨みを持ったとする記録はありません。むしろ、大鷦鷯尊と菟道稚郎子の間で互いに天皇の地位を譲り合ったと言われています。
百済からの学者に学んだ菟道稚郎子には、年上を敬うという儒教の思想が身に付いていたと考えられており、それゆえに菟道稚郎子は兄を推し、兄は日本の古くからの考えに基づいて弟を推した、ということです。

この譲り合い、何と決着がつかずに3年の時間が経ったと言われており、この間は天皇不在の空白期間となっています。そして、この決着は菟道稚郎子が自らの命を絶つことにより付けられることになりました。

一般的には美談として考えられているようですが、このような古い時代であっても、「自殺」というものが存在していたと考えると、なんだか悲しい気持ちになります。

結局兄であった大鷦鷯尊が天皇となり、これが第16代の仁徳天皇となった人物です。

余談ですが、2019年に世界遺産に登録された「百舌鳥・古市古墳群」には仁徳天皇陵古墳が含まれています。この仁徳天皇陵古墳は皆さんもご存じの通り、日本で最も大きな古墳であり、世界三大陵墓(残り2つはエジプトにあるクフ王のピラミッドと、中国にある秦の始皇帝陵です。)の1つとしても有名です。

宇治上神社の祭神

世界遺産でもある宇治上神社は、先ほどご紹介した菟道稚郎子(うじのわきいらつこのみこと)、応神天皇と仁徳天皇を祀っている神社なのです。

二人の天皇とその皇子が人神化されて祀っているということも、同じ京都の世界遺産の神社である上賀茂神社、下鴨神社と対比してみると面白いかもしれません。

2.【世界遺産】宇治上神社の見どころ

日本に現存する最古の神社建築

まず何といっても注目すべきは、宇治上神社の本殿と拝殿は現存する日本で最古の神社建築とされています。「現存する」というところがポイントなのですが、これは宇治上神社が日本で最も古い創建であったということではありません。
あくまで、本殿と拝殿が当時の姿をそのまま今に遺している遺構として、日本で最も古いということになります。

最も古いというのは、当時の様子をそのまま今に伝えるものとして当然貴重なものであり、それゆえに本殿と拝殿はいずれも国宝に指定されています。また、この貴重な建築物の遺構が世界遺産に登録された要因の1つと言えるでしょう。

それでは本殿と拝殿はどのくらい古いのか。
2004年に行われた年輪年代測定法による調査では、本殿は1060年頃の平安時代後期、拝殿はそれよりも150年近くあと、1215年ごろに建てられたものであることが判明しています。

現存する最も古い神社建築というだけあり、宇治上神社の本殿と拝殿には他では見ることができない特徴を見て取ることができます。それをご紹介しましょう。

本殿(国宝)

本殿(国宝)

本殿に感じる違和感

こちらが世界遺産、そして国宝にも指定されている宇治上神社の本殿です。

ぱっと観て少し違和感を感じられた方も多いのではないでしょうか。というのも何やら正面は格子で覆われていて、中があまり見えないためです。

ですが、実は本殿をこれだけ間近で見られる神社は逆に珍しいんです。というのも、通常、本殿というのは神様を御祀りしている場所であり、つまりは神様がいらっしゃる建物のこと。
偉大な神を御祀りする神社において、神様をそう軽々しく扱うなんてことはできません。常にその御身をお隠ししておく必要があるのです。
この理由から、通常本殿は常に閉ざされた状態にあり、中を伺うことはできません。

一方、神社には神様を参拝する「拝殿」という建物もあります。これは神様を参拝することを目的とした建物であり、参拝者のために造られたもの。ですので、この建物には人が立ち入ることが許されているわけです。

皆さんがよく神社にお参りに行かれた時、宮司などが祈祷をしている場面を見かけることがありますが、これはあくまでも拝殿であって本殿ではありません。

少し話が逸れましたが、本殿である以上、その中にいらっしゃる神様をお隠しするため、正面は格子が張り巡らされているというわけです。

本殿の中に内殿三社が存在する!

先ほど、宇治上神社には菟道稚郎子(うじのわきいらつこのみこと)、応神天皇と仁徳天皇が祀られている、とお話ししました。
ですが、神様がいらっしゃるはずの本殿は1つしかありません。

外からだと分かりにくいのですが、実は本殿の中は内殿が三社が建てられており、それぞれを覆うように屋根が1つになって横に長く連なっている構造になっているのです。

ちなみに、3つの社に祀られている神様は、左(右殿)が仁徳天皇、中央が応神天皇、そして右(左殿)に菟道稚郎子という配置になっています。
※左、右は参拝する我々から見た側、右殿、左殿は神様がいらっしゃる側から見た側を言います。

また、3つの内殿は同時期に建てられたものではなく、左殿、中央、右殿の順番に創建されています。さらに3つの内殿は大きさも異なっており、右殿が最も大きく、次いで左殿、中央が左殿よりもさらに小さいサイズになっているのも面白いポイントです。

外から観ることはかなわないのですが、左殿と右殿の内側には平安後期に描かれたと考えられている童子像と随身像が描かれており、神道に関連する壁画としてはこちらも日本に現存する最古のものと考えられています。

本殿と内殿の構造

本殿前に立てられた木の看板には次のような説明が記されています。

・覆屋(おおいや):桁行(けたゆき)五間、梁行(はりゆき)三間、流造、檜皮葺
・内殿三社:一間社、流造、檜皮葺

それぞれの意味をご説明しましょう。

まず「覆屋」というのは外側から見た建物全体、つまり内殿を覆っている建物を指します。「桁行」と「梁行」というのは建物の横と奥行きの長さのことで、五間というのは柱と柱の間を「1間」と数えた場合、横が五間、奥行きが三間になる、という意味です。

流造:前面に向かって長く伸びている

「流造」というのは、屋根を側面から見ると三角形の形をしているわけですが、それが前後対称ではなく、前の方に長く流れている造りを指しています。

「檜皮葺」というのは、写真を観てお分かり頂けるように、屋根に瓦ではなく檜(ひのき)の樹脂が使われていることです。

以上をまとめると、覆屋と内殿は流造、檜皮葺で同じ構造と言えますが、実は内殿の右殿と左殿の側面と屋根は覆屋から独立しておらず、独立しているのは中殿のみ、という造りになっています。

こうしてみると、内殿三社もそれぞれ異なる部分があることになりますが、これも日本最古の神社建築と言われるだけあり、とてもユニークなポイントではないでしょうか。

続いて、拝殿をご紹介しましょう。

拝殿(国宝)

拝殿(国宝)

同じく国宝に指定されている拝殿は、本殿よりも低い場所に設置されています。
元々この辺りの地形を利用して宇治上神社は建てられたのでしょう。よく拝殿の奥に本殿が置かれている神社を目にしますが、宇治上神社では拝殿と本殿が立地的にも切り離されており、高低差を利用して拝殿から本殿を見上げるようにして、参拝する仕組みになっています。

拝殿にも感じる違和感

さて、実際に宇治上神社を訪れて拝殿を真正面から観たことがある方は、その時に違和感を感じなかったでしょうか。

1つ目の違和感は、流造の屋根が正面から見た時に水平ではなく、左右で一度うねっていること。

そして2つ目の違和感は、拝殿の入り口が拝殿の建物全体の中央から少しずれた場所にあるということ。

先ほど、一間、二間の意味をご紹介しましたが、それに沿って拝殿を中央から観て頂くと中央の桁行五間が入り口になっていて、その左右両端にスペースがあることが分かります。

この左右両端、柱に沿って注意深く観てみてください。向かって左側は柱が3本立っており、その間が均等ではありません。つまり、二間というより1.5間。一方右側は柱が2本しか立っておらず、こちらは一間。
そう、左右で柱の間隔と本数が異なるために、入り口が建物全体の中央からずれてしまっているのです。

正面から観た時に見える屋根の左右のうねりも、この入り口の左右にあるスペースによるもの。屋根のうねりから見ると、これら左右のスペースは、屋根を支える「庇」(ひさし)のスペースのようなものと考えられています。

それではなぜ、このような「庇」のスペースと左右で非対称となるような造りになったのでしょうか。その理由は謎に包まれています。

本殿と拝殿に見る宇治上神社の面白さ

これまで、本殿と拝殿を「違和感」というキーワードをもとにご紹介してきました。

大きさや造りも微妙に異なる本殿の内殿三社と、左右でアンバランスな拝殿。これらが意味するものとはいったい何でしょうか。皆さんはどう思いますか。

ここからは筆者個人の見解ですが、先ほど本殿の内殿三社の大きさは右殿が最も大きく、次いで左殿、中殿の順に小さくなるとお話ししました。
これと拝殿の左右の「庇」のスペースを合わせて考えてみると、拝殿も向かって左側、つまり右殿側の庇がやや広く、左殿のスペースがそれより小さくなっています。本殿と拝殿で左右のバランスが同じように異なるのは単なる偶然でしょうか。

もしこれが意図的に設計されたものだとすると、当然本殿にいらっしゃる神様への意識があったものと思います。つまり、仁徳天皇と菟道稚郎子の父である応神天皇に最も大きな内殿を御造りし、次いで信仰の厚かった菟道稚郎子に相対的に小さな内殿を御造りする。

そして、それが参拝する拝殿にも影響を与えているとすれば、もしかすると宇治上神社において、本殿と拝殿は、それぞれ神様とそれを参拝する人が入る建物として別々に扱うべき、という思想よりも、神様が拝殿にまでお出ましになる、もっと近く、言ってみればオープンな存在として考えられていたのではないでしょうか。

皆さんもいろいろと想像を膨らませてみてください!

3.宇治上神社が世界遺産に登録された理由

 

それでは最後に、宇治上神社が世界遺産に登録された理由を考えてみましょう。

現存する日本最古の神社建築

これまでじっくりご紹介してきた通り、やはり何といっても本殿と拝殿が日本で現存する最古の神社建築である、ことが一番の理由でしょう。

これは最も古いから貴重である、ということに加え、それぞれ平安時代後期、鎌倉時代初期の神社建築と、そこから見えてくる当時の人々の信仰の様子をうかがい知ることができるとても貴重な遺産である、ということです。

平等院鳳凰堂との関連性

もう一つの理由として、宇治川を挟んで反対側にある世界遺産の平等院鳳凰堂との関係性が挙げられます。

藤原頼道が平等院鳳凰堂を開設したのは1,052年のこととされ、本殿が創建されたと考えられている1,060年とかなり近似しています。

また、宇治上神社は平等院鳳凰堂がある方角に向けて建てられていることから考えると、本殿が創建された当初は、平等院鳳凰堂の鎮護社としての目的もその創建にはあったのではないかと考えられます。

そう考えると、平等院鳳凰堂と宇治上神社は切っても切れない、1社1寺ということになります。これは同じく奈良の世界遺産であり、藤原氏の氏寺である興福寺と、その鎮護社である春日大社の関係と類似しているとも言えるでしょう。

 

いかがでしたでしょうか。
一見とても地味で、平等院鳳凰堂に比べると参拝、観光客もまばらな世界遺産の宇治上神社。ですが、その遺産が私たちに見せてくれているものはとても貴重であり、またいろいろな想像を掻き立てる存在として、非常に魅力的なものであることを感じて頂けると幸いです。

 

(参考:「日本の古建築 美・技術・思想」中川 武 青土社、「大学的京都ガイド」同志社大学京都観学研究会 昭和堂)

 

 

 

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