ひとり旅コラム

いじめに苦しんでいるあなたへ、旅ができること

大人になるまで、8月と言えば夏休みで、旅行、自由研究、友達と遊んだりなど、思い出に残ることの多い月です。
夏が終わり秋が見えてきたころ、学校が始まりますが、ここ数年、学校が近づくこの時期に、悩みを抱える若者に向けてのメッセージを良く見かけるようになりました。
今回は「旅」という視点も絡めて、学校といじめについて考えてみます。もしあなたが学校やいじめで苦しんでいるなら、その気持ちを少しでも軽くすることができれば幸いです。

1.学校といじめ

人は、生きているといろいろな集団の中で多くの時間を過ごすことになります。人は学校や職場、家庭、さらに大きな目で見ると、要するに「社会」という存在の中でルールや秩序を守りながら生きている社会的な生き物です。

集団の中で生きている以上、特定の人を攻撃したり蹴落としたり、排除しようとする「いじめ」という行為は言ってみれば病気のようなもので、どんなに気を付けてそれが起こらないようにしようとしてもゼロにするのは難しいのかもしれません。

今回は「学校」という場所とそこで起こるいじめについて考えてみたいと思います。

「学校」という場所の功罪

学校を舞台にしたドラマはたくさんありますよね。特に人気があったのは「3年B組金八先生」ではないでしょうか。金八先生は中学校を舞台にしたドラマですが、筆者が特に好きだったのが「みにくいアヒルの子」というドラマです。

「みにくいアヒルの子」は特別編のドラマも3作放送されるなど、こちらも当時人気のドラマで、その舞台は小学校です。
北海道の女満別出身の、岸谷五朗さん演じる「平泉玩助(がーすけ)」先生はちょっと型破りですがいつでも生徒のことを考えて、信じ、生徒のことが大好きな熱血先生。

そんながーすけ先生が最終回、「学校」について少し語るシーンがあります。

先生は、学校が大好きだった。

 

ひとりじゃできねーことも、学校じゃ、できる。

 

ひとりじゃつまらねーことも、学校でやれば、案外おもしろい。

 

ひとりじゃいつまでたっても悲しいことも、学校に来ると、きれいさっぱり忘れちまった。

 

そこには、

 

友達がいたからだ。

(「みにくいアヒルの子」第11話より)

大学や職場と違って、特に公立の小学校や中学校は、その時その地域に住んでいる子どもたちが偶然に同じ場所に集まって、そこで学び、一緒に生活を送ります。

選別なく本当にいろいろな生徒が集まってくる「学校」という場所は、ある意味特殊かもしれません。そして、だからこそ、そこで運良く最高の友達が出来れば、その存在は生涯の財産になるのです。

たくさんのクラスメートや友達と遠足に行ったり、運動会や音楽会、文化祭を一緒に頑張ったり。ひとりでは楽しむのが難しく、みんながいるから感じることが出来る楽しさがありますよね。

そんな幸せを作ってくれる可能性があるのが、「学校」という場所なのかもしれません。

 

一方で、「学校」が全く逆の存在になってしまうこともあります。

仕事と同じように、そこに通う生徒にとって、1日の大半の時間を過ごす場所である「学校」が楽しい場所ではなく、苦痛に満ちた場所になってしまったとしたら、その苦しみはどんなにつらいでしょう。

筆者はいじめではありませんが、高校の時につらい経験がありました。
ここで書きだすととてもまとめきれないので割愛しますが、そのつらい当時、筆者にとって学校という場所はまさに「牢獄」でした。

朝を迎えるのが憂鬱で、学校に近づくたびに気が重くなる。
学校の門をくぐると、授業が終わるまで逃げることは許されない。まるで牢獄。
もちろん、学校から逃げだそうと思えば抜け出せたのかもしれませんが、変に生真面目な性格で、一度学校に行ったら途中で逃げたくない!という思いが強かったのかもしれません。

今学校に通っている人の中には、このような辛い思いを抱いている人がいるかもしれません。そんな人にとって、長い夏休みが終わりに近づき、学校に行く日が近づいてくると、1日1日どんどん気持ちが重くなって憂鬱になって、しんどい思いが日増しに強くなっていきます。

筆者が学生の頃はインターネットが普及し始めた頃で、今のようにSNSもありませんでしたが、ネットやSNSが当たり前の現在、ちょうどこの時期にたくさんの著名人が学校やいじめに関して温かいメッセージを発信しています。

こんな声が身近に聞けること、そして情報に溢れている現在を、学校やいじめで苦しんでいる人たちはどう感じているのでしょう。新しいいじめの温床になる可能性も秘めている一方で、ネットやSNSが少しでも救いになり、気持ちがふっと軽くなる存在になっていることを願うばかりです。

「学校」でのいじめ

学校でいじめはどうして起こってしまうのでしょうか。

いじめる側は、どんな気持ちでいるのでしょう。そして、いじめている時に何を感じているのでしょうか。

本当に悪意を持っていじめている場合。
自分がいじめられたくないから仕方なく。
友達との「遊び」のネタとして楽しんでいる。

いずれにしても、いじめる側にとって、いじめられている側の気持ちや、時にはそのいじめによって「死にたい」と思ってしまうほどの苦しみは分からないでしょう。

「想像力の欠如」、つまり自分のしていることで相手がどんな気持ちになるか、それを「実感」出来ないといじめが無くなることは無いと思います。
そして、相手の気持ちを推し量ることは大人になっても難しい。
時には知らず知らずの間に相手を傷つけてしまっていることだってあります。

相手の気持ちが常に分かる人なんていませんし、そんなことばかり気にしていたら生きるのが息苦しくなるでしょう。だからこそ、自分以外の誰かがそのことを気づかせてくれることが大事なんじゃないかと思います。

学校でのいじめでは、その気づかせてくれる存在は生徒と接している教師であり、親であり、周りのクラスメートということになります。
周囲が協力していじめを止めることが出来れば理想ですが、何といっても苦しい思いをしていじめを受けている側を守ることが最優先で何より大事だと筆者は思います。

2.いじめで苦しんでいる人へ

いじめを受けている側は、悪口や暴力、無視といったいじめそのものから苦痛を受けていることはもちろんですが、それだけではありません。

それによって、中の良かった友達と疎遠になったり、自分自身を責めたり、希望が持てなくなったり、どうしたら良いのか思い悩んだり。

「生きるのってこんなに辛いことなのか。」

それまで楽しく生きてきたあなたが、もし今いじめに苦しんでこんな気持ちに襲われていたり、出口や光が見えない、暗闇の中にいて苦しんでいたら、お伝えしたいことがあります。

あなたは悪くない

日本人は良く「喧嘩両成敗」という言葉を使います。どちらにも悪いところがある、ということです。

いじめに関しても同じことを言う大人がいるかもしれません。いじめる側に問題はもちろんあるが、いじめられる側にも問題がある-、と。

断言しますが、そんなことは100%ありません。

あなたは何も悪くない。だから自分を責めることはやめてください。

学校がすべてじゃない

学校が楽しい場所であることを筆者はもちろん望んでいます。

一時辛い時もありましたが、筆者は友達と遊んだり騒いだり、いろんな行事を楽しめる学校という場所が好きでした。

ですが、もしあなたにとって学校がそんな場所じゃないなら、その場所にこだわることはありません。
今はそんな簡単には割り切れないかもしれませんが、世界は広いし、たくさんの素晴らしいことであふれています。あなたにはまだまだこれから、たくさんのことを経験して、体験して、見聞きして、たくさんの人たちと出会う素晴らしい時間が待っています。

もし嘘だと思うなら、筆者と一緒に旅に出ましょう。学校は決してすべてじゃない。あなたの可能性はそこにとどまっている必要なんてないんです。

助けを求めることは恥ずかしいことじゃない

決して一人で抱え込まず、悩まないでください。

親でも先生でも友達でもネットでも、助けを求めることは恥ずかしいことではありません。

自分の力でいじめをしている相手と対峙して解決する-。もちろんその強い意志があるなら応援します。ですが、先ほども書いた通り、第三者が手を差し伸べることが一番効果的だし、解決への一番の近道なんじゃないかと思っています。

自分一人の力では限界があることでも、周りの力を借りることで達成できることがたくさんあります。仕事もそうです。だからこそ、声を上げて助けを求めることができる人ってすごい事ができる人なんだと思います。

逃げることの大切さを知って

いじめのように理不尽な状況にいつまでも堪える必要なんてありません。だから、もう駄目だとギリギリの状況に追い込まれたら、いつでも逃げていいんです。
(そもそも立ち向かう必要のないいじめに対して、「逃げる」という表現もおかしいんです。)

逃げる、という言葉を聞くと、「何かに負けた」と感じてしまうかもしれません。ですが、逃げることって自分を守る以外にもとても大事な事を教えてくれるんです。

それは、「自分を知る」ということ。

大人になっても、何年生きてみても、自分のことって分かっているようで分かっていない部分が多々あります。そして、出来ること、出来ないことも人それぞれ。最初は出来ないことに直面した時、それを認めてしまうことには勇気が要ります。認めてしまうと、どこかで自分の限界を認めたことになってしまうから。でもそんなプライドは無い方がいいです。

実は自分の力を知って初めてそれを伸ばしたり、出来ることを広げたりすることができるんです。

それに、逃げるということは今と違う場所に行くということですが、それってそれなりにエネルギーとパワーが必要です。新しい場所や環境で、また一から自分の居場所やそこにいる人たちとの関係を築いていく必要があるからです。でも、それによってまた自分の知らない事や人に出会うことができるのです。

だから、今の状況や環境から離れることは決して悪い事でも、マイナスでもありません。でも、あなたが大切にしたいものからは逃げないでください。それは友達だったり、好きな趣味だったり。
もし今いる場所で信頼できる友達がいるなら、その友達とはずっと繋がっていてください。それには努力が必要かもしれません。自分に必要なものや存在だけはあなた自身の手でつかみ取ってください。

苦しみ悩んでいるあなたは強く優しい人間になれる

もしあなたが今もいじめに苦しんでいて、
「なんで自分がこんな思いをしないといけないのか」
「なんで自分だけ」
という感情に襲われているかもしれません。

ですが、たとえ結論が出ない悩みかもしれませんが、それに向き合って考えること、素直に自分の気持ちをぶつけることは無駄ではありません。

苦しい思いや、人一倍真剣に悩んだりしたあなたほど、人の気持ちを思いやることのできる優しくて強い人間になれるんです。そして、そんなあなたを必要とする人が必ずいます。

3.旅がいじめにできること

最後に、旅がいじめに対してできることを考えてみたいと思います。

「学校」以外の世界を「実感」する

あなたにとって、「学校」という存在はとても大きく、それが生活の大半を占めているかもしれません。ですが、その外側にはとても広い世界が広がっています。

「知る」ことと「感じる」ことは雲泥の差です。そして、世界を「実感」するために、旅をすることは一番の近道だと思います。
何も海外を旅する必要はありません。日本国内であっても、あなたの知らない日常や生き方をしている人たちがたくさんいます。

いつもと違う景色を観て、違う人と話をして、食べたことのない料理を食べて。それだけでも、学校の外側にある世界を実感できるでしょう。

例え今いる学校が苦しく、居場所が無かったとしても、その外に広がっている世界を実感できれば学校なんてその中のちっぽけな存在でしかない事に気づきます。そして、自分の居場所が他にまだまだありそうだ、これから友達になれる人たちが学校の外で待っている、と思うことができれば気持ちが楽になるはずです。

「生きている」を「実感」する

我々が生きている現在は、昔に比べると衣食住にも事欠かなくなり、戦争もずっと少なくなって平和な時代と言えます。でもだからこそ、「生」に対する意識が希薄になっているのかもしれません。

学校に行って、勉強をして、ご飯を食べて、大きくなったら社会に出て働いて。

今の社会は、言ってみればより多くの人が取りこぼしなく生きて行けるようにするために、人が作り出した効率的な仕組みと言えるでしょう。だから、多くの人にとってそれは違和感なく受け入れられるものなのかもしれません。

ですが、みんながみんなそうじゃない。そこに違和感を覚えたり、疑問を持ったり、苦痛を感じたり。

「社会」というものに目や意識が向きすぎて、周りと何かが違う人は「異質な存在」と感じてしまい、そして根本の「生」が見えなくなっていることで、いじめが生まれてしまうことは多いのではないでしょうか。

「人と違う」ことは、何も考えや感じ方だけでなく、その外見からも捉えられてしまいます。

先ほどご紹介したドラマのタイトルにもなっている「みにくいアヒルの子」は、他の鳥と姿や形が違うアヒルの子がいじめられるお話です。

そして、このドラマの最終回でがーすけ先生の4年3組は、小学校の演劇会でこの「みにくいアヒルの子」の劇をします。そこには、「いじめられている側だけじゃなく、いじめている方の気持ちも分かってほしい」というがーすけの思いが込められていました。

4年3組がみにくいアヒルの子の劇をするなかで、みにくいアヒルの子はこんなことを言っています。

どうして、みんなは

ぼくのことをいじめるんだろう?

 

どうして、

どうしてみんなは、ぼくのことをいじめるんだろう?

 

ぼくが、みんなとちがうから?

 

すがたや、かたちや、性格が、みんなとちがうから?

 

ぼくが、みにくいアヒルの子だから?

 

だから、みんなでぼくをいじめるの?

 

 

ぼくだって、みんなと同じに、生きてるのに

生きてるのに!!

(「みにくいアヒルの子」第11話より)

このシーンは今でも筆者の心にとても強く残っています。

外見が違う、性格が違う、人とどこか違っている-。

そういったことで起こる差別やいじめに対して、「差別やいじめは良くない。」とか「人の個性を尊重しなさい。」とか、普通ならそんなメッセージを伝えると思うんですが、このドラマでは、

「いじめられているアヒルの子もみんなと同じに生きている」

というメッセージを伝えているんです。この「生きている」という言葉がとても強烈に心に響きました。

生きているってどういうことでしょう?ただ息を吸ってはいて、ご飯を食べて、寝て、その繰り返し?
その通りなんですが、でもそれを「実感」することって実はとても難しいと思いませんか?自分がそうなのですから、人が生きていることを実感することはもっと難しいです。

だからこそ、旅に出て外の世界に触れることが大事になってくるんです。ネットやテレビから見えるくすんだ世界ではなく、ありのままの、カラフルな世界を見て感じることが、自分も含めてたくさんの人の「生」を感じることに繋がります。

人が生きているとはどういうことか、それを「実感」することでいじめる側の気持ちに少しでも変わるきっかけが芽生えたら、どんなに素晴らしいだろうと思います。

 

もしこの記事を読んで、あなたが旅に興味を少しでも持ってもらえたなら、ぜひ一緒に旅をしましょう。旅を通じて少しでもあなたの心に光が差し、ふわっと軽くすることができれば、旅人としてこんなにうれしいことはありません。

 

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