世界遺産の楽しみ方

【世界遺産】ミステリーの宝庫!?京都・清水寺に伝わる七不思議

京都の世界遺産の1つ、清水寺。京都の中でも歴史が古く、また広く民衆の信仰を集めたこのお寺には、いつからか広く伝わる不思議な言い伝えがたくさん残されています。
今回は知っておくとより清水寺のお参りが楽しくなる七不思議をご紹介します!

【世界遺産】京都・清水寺ってどんなお寺?

京都の世界遺産の1つ、清水寺。JR京都駅からも比較的近い場所にあり、清水寺は京都の有名な観光スポットの中でも特に人気のあるお寺です。
ですが、清水寺がいつ創建されたのか、その歴史について知っている人は意外に少ないように思います。ここでは清水寺にまつわる七不思議をご紹介する前に、簡単に清水寺をご紹介しようと思います。

清水寺の創建

清水寺の歴史は古く、その創建は778年と言われています。平安京への遷都が794年ですから、それよりも前からこの地にすでにこのお寺が存在していたことになります。

お寺が建てられた場所というだけあって、大昔からこの場所はとても神聖な場所だったのでしょう。ある時奈良の高僧、延鎮(えんちん)が夢で川の中を流れる一筋の金色の水を見ました。
これが何かの霊夢であると悟った延鎮は、この金色の水を探し求めてついに淀川の中を流れる一筋の金色の水を発見します。

この金色の水を辿っていくと、京都は東山、音羽の瀧へと至りました。そこには仙人がすでに延鎮を待っており、延鎮に観音力を封じた霊木を授け、これに観音像を刻んでこの場所にお寺を建てるよう言い渡すと、仙人はどこへともなく去って行ったということです。

その後この場所で延鎮が修行をしていると、山へ鹿狩りに来た坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)と出会います。坂上田村麻呂といえば、征夷大将軍にも任命された勇将で、ご存じの方も多いでしょう。
坂上田村麻呂は妊娠中の妻にいつまでたっても出産の兆しが見られないため、鹿を獲りにこの山に入り込んだのですが、延鎮に無駄な殺生は止めるよう進言され、ひたすら観音様に祈願することを勧められます。

延鎮の教えに従い、ひたすら観音様に祈ったところ、無事に子どもが生まれた坂上田村麻呂はそのお礼に、この場所に自身の屋敷を寄進して堂舎を創建します。
これが清水寺の始まりです。

清水寺のご本尊と脇侍

創建の由来の通り、清水寺のご本尊は十一面千手観世音菩薩(じゅういちめんせんじゅかんぜおんぼさつ)です。

また、ご本尊の両隣には毘沙門天像(びしゃもんてんぞう)と地蔵菩薩像(じぞうぼさつぞう)が安置されていますが、これも実は清水寺のユニークな見どころの1つです。なぜなら、観世音菩薩の脇侍として置かれるのは、通常は通常は婆藪(ばす)仙人と大弁功徳天(だいべんくどくてん)だからです。

清水寺に脇侍として毘沙門天像と地蔵菩薩像が置かれているのも、実は坂上田村麻呂にまつわる伝説から来ています。

先ほど、坂上田村麻呂は征夷大将軍になったとお話ししましたが、この将軍職は京の都から遥か遠い場所にある現在の東北を平定する任務を負った役職です。
当時、東北地方を支配していた蝦夷を平定する任務を負った坂上田村麻呂はその遠征の中で、苦戦を強いられていたのですが、そこに援軍をとして毘沙門天と地蔵菩薩が加勢に現れ、無事に蝦夷平定の任務をこなすことができたと言われています。

この時の伝説にちなんで、清水寺の脇侍には毘沙門天像と地蔵菩薩像が置かれているのです。

創建の名残が残る見どころ

清水寺と言えば大舞台の少し先にある音羽の瀧が有名ですが、ここがまさに先ほどご紹介した清水寺創建の場所と言えます。遥か昔、金色の水がこの場所から流れ落ち、延鎮という高僧に見出されたわけですから、ぜひ神聖な気持ちでお参りなさってください。

そして、その奥にある奥の院がまさに、延鎮が修行を行っていた草庵があった場所です。

また、清水寺には子安塔を有する泰産寺というお寺がありますが、こちらはその名前の通り今では安産祈願のお寺として有名です。
先ほど坂上田村麻呂と妊娠中の妻のお話をしましたが、このお寺はその妻、三善高子が無事子の出産を終えたことにちなんだ場所となっており、清水寺は女人の観音信仰の場所としても有名です。

【世界遺産】京都・清水寺の七不思議

それではいよいよ、世界遺産・清水寺に伝わる七不思議をご紹介します。なお、七不思議と書いていますが、実はこのお寺には七つ以上のたくさんの言い伝えが残されており、「七つの不思議な言い伝え」という意味ではありませんのでご留意ください。

ここではその中でも有名なミステリーを7つご紹介します。これら7つのミステリーは今も実際に確認することが出来ますので、ぜひ清水寺を訪れ際には合わせて確認してみてください!

景清爪彫の観音

景清、というのは平景清(たいらのかげきよ)という平家の武将です。別名「悪七兵衛」(あくしちびょうえ)という異名でも知られていた、とても勇猛な武将だったと言われています。

ですが、皆さんもご存じの通り平家は壇ノ浦の戦いで源氏に滅ぼされてしまうわけで、景清は落ち武者としてはるばるこの清水寺まで逃げ落ちてきたわけです。
勇猛な武将というだけあり、この地に潜んで景清はいつの日か平家再興の日を夢見て、打倒源氏を願い心魂を込めて自分の爪で石に観音像を刻んだという伝説が残されています。

伝説と言われていますが、実は今も随求堂の手前に「景清爪形観音」(実際はひらがなで刻まれています)と刻まれた石柱があり、その背後に灯籠が置かれています。
この灯籠の火袋の奥にある火穴の奥面に観音像が線刻されていると言われており、懐中電灯で照らすと今もその姿を観ることができるようです。

景清の足形、弁慶の足形

本堂の西手、朝倉堂との間に大きな石が置かれており、その大きさは台座部分を除いてなんと長さ52センチ!という大型の足形二つが刻まれています。これは弁慶や、景清の足形石と言われていますが正確にはは仏足石であり、その足裏の魚絞や雲形を削り取ったものであることが判明しています。

この足形を撫で、頭を撫でると頭が良くなる、という言い伝えもあります。

馬繋の鐶が逆さについている

清水寺には馬駐(うまどめ)と言う、馬を縛って停めておくための場所が設けられています。馬に乗って参拝にやってきた貴族や武将が、ここで馬を下りて本堂に進まれるというわけです。

清水寺の馬駐はわが国最古の厩の遺構と言われているほどとても歴史のあるもの。

この馬駐、良く観てみるとその鐶が二か所、向かって右から三本目の柱右面上方と、四本目の柱右面下方の鐶ですが、垂直に垂れ下がるように取り付けられていますが、その他は横向けに取り付けられています。
通常は横向けに取り付けられるのが普通で、なぜ二か所だけ垂れ下がるように取り付けられているのかは謎に包まれています。

歯痛の人は渡れない轟橋

轟橋(とどろきばし)というのは轟門(とどろきもん)の手前にある短い橋のことです。現在はこの門の手前にある発券所で拝観券を購入し、轟門にいる係員にチケットを見せて本堂に向かいます。

この轟橋、川の上にかかっているわけではないのでおそらく多くの人が気付かずに通っていると思いますが、この橋にも言い伝えがあるのをご存じでしょうか。

橋の造りを良く観ると中央が板張り、両側は石造りになっていて、これを中央部分を舌、石造り部分を歯、つまりこの橋の中は口中として見立てられてきました。この見立てにちなんで、「歯痛の人がこの橋を通ると歯痛が治らないのでこの橋を渡ることができない」、という言い伝えが残されています。

ちなみに、この轟門の脇には手洗鉢(ちょうずばち)が置かれていますが、この鉢は「梟(ふくろう)の手洗鉢」と言われています。

見たところフクロウの姿はどこにも見当たりませんが、手水鉢の足元の台座部分、台石を良くご覧になってください。なんと四方仏が掘ってあり、これは歯痛の人が仏様に祈ったものと言われています。
はっきりとは分かりませんが、さらに良く目を凝らしてみると仏様と一緒に梟のような姿が彫られている!?

また、先ほど水が通っていないのになぜか橋が架けられている、と言いましたが、これも一つの謎とされています。

一説ではもともと下に水の流れがあったものが、地形が変わったことで現在のように流れが無くなったと言われています。
なお、物理的な意味合いの他にも、現世穢土から神聖な本堂に入るため、二つの世界の架け橋という意味も込められているようです。

虎の石燈籠

仁王門をくぐった先にある広場(西門下の階段前であり、中興開山故大西良慶和上の巨大な石碑「念彼観音力」の立つところ)。石碑の右斜め前に石灯籠があり、その火袋の下に岸駒筆と伝わる虎の絵があります。
この虎の絵、真に迫っていると言われ、いわゆる「八方にらみ」の虎と言われているのですが、夜になるとこの虎が吠えると言われています。
石灯籠から抜け出して音羽の滝の水を飲みに出かけたり、寺内をパトロールしているのだとか。

仁王門外角柱の腰貫の頭がへこんでいる

仁王門を見られる時は注意深く門の周りを観てみてください。
仁王門正面の向かって右外側、西南の柱の腰貫の頭が、楕円形に深くえぐられたようにへんこんでいます。この腰貫の出っ張った頭をカンカンとたたくと、その音がはすかい裏の対角にある角柱の腰貫の貫頭に伝わると言われています。

仁王門前の狛犬はどちらも「阿」の口をしている

お寺の守り神である狛犬。通常は「阿」(あ)「吽」(うん)のセットで片方は口を開き、片方は口を閉じた姿であることが一般的です。ですが、ここ清水寺の狛犬はどちらも「阿」の形をしており、口が開いています。

今の二体の狛犬はもとも阿吽の狛犬でしたが、太平洋戦争中に戦争軍需用に持ち出されてしまい、その後に狛犬が無いのを悲しんだ信者団体が寄贈したものと言われています。
そして、この狛犬は東大寺南大門裏の脇の間に安置されている両方開口の狛犬をモデルにしているため、両方の口が開いているというわけです。

その他、門前の魔除けの意味だけでなく、お釈迦様の教えを大声で獅子吼している姿である、という説や、「疲れなど笑いとばせ」という願いを込められているという説もあります。

まだまだある!京都・清水寺のミステリー

いかがでしょうか。ミステリー好きのあなたのために、もう少し清水寺に伝わる不思議な言い伝えをご紹介します!

六本柱の鐘楼

清水寺の鐘楼は1607年の再建で、桃山後期の彫刻が蟇股などに施されており、見どころの一つになっています。

この鐘楼、良く観ると柱六本で支えられているのですが、通常は四本柱で支えられているのが一般的。これは重さ約2.3トンとも言われている重い梵鐘を支えるためではないかと言われています。
ちなみに、この梵鐘は現在は宝蔵殿にて保管されています。

三重塔の鬼瓦

清水寺の三重塔は国内最大級の大きさで、1633年に本堂と共に再建され、法3間、瓦葺の造りであり、大日如来像を安置しています。

この三重塔の各層の四隅に鬼瓦があるのですが、良く観ると東南隅の鬼瓦だけが「龍」の姿になっています。

なぜ東南だけ「龍」なのか。それは龍が古くから火除けの神として祀られているためです。

また、四つの方角を司る四神で考えてみると、「龍」である青龍は東を守る神。清水寺は京都の東に位置し、音羽の滝には龍が住まうとも言い伝えられています。
さらに、京都の西北には火伏せの神が鎮座して都を火災から守っていますが、その対角線上にある東南を防災する意味も込められているのだとか。

本堂に残された弁慶の爪跡の不思議

本堂をお参りされた際には、あの有名な「清水の舞台」以外にもぜひチェックしていただきたい場所があります。

それが本堂の東西、大人の胸当たりの高さの裳階窓(もこしまど)の下の腰長押(こしなげし)に残された深さ1~2センチほどの条痕です。
この条痕、ずっと長く付いており、「弁慶の指跡(爪跡)」と言われているのですが、実際はこのお寺でお百度参りなどぐるぐると寺の中を回って祈願する風習があった時に、回った回数を数えるために数取りに使った串などで長押に押し付けてできたものと言われています。

三年坂(産寧坂)の伝説

清水寺の近くには三年坂(産寧坂)と呼ばれる坂道があるのですが、この坂道で転ぶと三年以内に死ぬ、という穏やかではない伝説が残されています。

ちなみになぜ「三年」なのかというと、清水寺が建立された807年が大同二年であり、その翌年、つまり大同三年にこの坂道ができたことからこの名前が付いたと言われています。
一方「産寧坂」という名前は、先ほどご紹介した子安塔へ安産祈願への参拝道であることから付いた名前です。

また、瓢箪(ひょうたん)を腰に付けておくと、転んでも魂が壊れずに瓢箪の中に入るので死なずに済むのだそうです。

 

いかがでしたでしょうか。
まだまだ多くの言い伝え(ミステリー)が残る世界遺産、清水寺。

庶民に愛されたお寺であり、散策にも適した場所ですので、ぜひじっくり参拝して今回ご紹介したミステリーも合わせてお楽しみください!

 

(参照:「京都の七不思議」田中緑紅 京を語る会、「清水寺の謎 加藤眞吾 祥伝社黄金文庫」、「京都の古寺Ⅰ」小室 博一 JTBパブリッシング)

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