滋賀県彦根市といえば、ひこにゃんが有名ですよね。
天守が国宝に指定されている彦根城のほか、彦根にはここにしかない魅力がたくさん!
今回は週末ひとり旅にもおススメな、彦根でしか経験できない見どころを6つご紹介します。
1.彦根城と玄宮園
彦根城と井伊氏
彦根は江戸時代より、近江彦根藩藩主として井伊氏が治めてきた地です。
もともと静岡県の井伊谷という場所にその発祥を持つ井伊氏は、それまで遠江国の武将として井伊谷を守ってきました。
その井伊氏が彦根に根を下ろすきっかけとなったのが、1600年の関ヶ原の戦いです。
この戦で井伊直政が収めた武勲により、徳川家から、もともと石田三成の居城であった佐和城を含む彦根藩の領地を与えられるのです。
この直政は、2017年の大河ドラマ「女城主直虎」の主人公、井伊家宗家の一人娘、直虎によって守り育てられた人でもあります。
国宝:彦根城天守
日本には数多くのお城が今も残っていますが、その中で国宝に指定されているお城は5つしかありません。
彦根城はその内の1つに数えられており、天守が国宝に指定されています。
国宝に指定されている大きな理由の1つは、天守が当時の姿のまま現存して残っているからです。
1622年の築城以来約400年も経っていますが、400年前の姿を今も見ることができるというのは想像するだけでもわくわくしますね。
天守の中は見学することが可能ですので、ぜひ中に入って当時のお城の様子を楽しんでください。
今回は一部ご紹介したいと思います。
天守入口で靴を脱いで階段を上がると、広間にでます。内側にスペースが作られ、それと外の回廊との間に区切りが設けれています。
さらにここから天守の上に上いきますが、この階段がかなりの急斜面!
もちろん当時の階段がそのまま残っているのですが、こんな急こう配の階段を、当時の武士たちはなんなく上り下りしていたのかと思うと驚きです。
天守内の壁には、このような鉄砲や弓矢を撃つために開けられた穴がいくつか残っています。
お城を築く上での一番重要なことは、外からの敵の侵入をいかに寄せ付けず、また追い払うか、ということ。
天守の内側からこの穴に弓矢や鉄砲を通し、外敵を攻撃していたのでしょう。
城が築かれた1622年と言えば、江戸幕府が開いて間もないころですので、まだまだ不安定な時代だったのかと想像できます。
重要文化財:天秤櫓
天守へ入る途中にある天秤櫓。
この形をした櫓は日本でもここ、彦根城でしかみることができません。
天秤櫓と名づけられたのは、その外観がまるで両端に重りをつけた天秤のようで、均整のとれた左右対称の形をしていることに由来します。
ですが写真をよく見ると、櫓2階部分の向きが向かって右と左では異なっていることがお分かりでしょうか。
上から見ると「コ」の形をして左右対称に見えるそうですが、真正面からはこのように、厳密には対称となっていません。
本丸へはこの橋を渡ってしか入ることができない造りになっていて、この橋が無ければ外敵は高い石垣と天秤櫓を乗り越えるしかありません。
天秤櫓は城の攻守の要となる重要な役目を持っていたんですね。
彦根城は天秤櫓だけでなく、西の丸の三重櫓なども中に入ることができ、中をじっくり見て回ると楽しいです。
櫓も、壁には外の様子を伺う窓が設けられていますが、外部からの侵入の真正面に当たる窓は、簡単に破壊されないように二重壁になっており、強固な造りになっています。
一方で、城の内側に作られた壁は破壊される心配が無いことから、二重構造にはなっていません。
このような城の実践的な造りを実感できるのも彦根城の魅力ではないでしょうか。
井伊直弼も育った屋敷、楽々園
さて、彦根城を順路に沿って歩き、西の丸から城外を下って玄宮園へ。
この玄宮園の手前に、「井伊直弼生誕の地」の石碑と、直弼が育った屋敷、楽々園があります。
楽々園は井伊氏の屋敷として井伊家の人たちが使っていた家になりますが、面白いのはその中に「地震の間」と呼ばれる、地震の際に避難する用の別室を設けてあることです。
地震対策ということで、その造りは耐震性にも優れていたことと思いますが、江戸時代からすでにこのような建築技術が進歩していたことが分かります。
楽々園の前に造られた枯山水の庭園。
屋敷の縁側に座って毎日このような美しい庭園を眺められたら、どれだけ幸せでしょうか。。
井伊直弼が羨ましく思えるひと時です。
枯山水の庭園の奥には玄宮園が続いています。
至極の美しさ、玄宮園
さて、楽々園からすぐに玄宮園の入り口に到着します。
彦根城で入場券を買うと、玄宮園の券もセットになっているためここで別料金を払う必要はありません。
玄宮園は井伊家4代藩主の直興が1677年に造営した池泉回遊式の大名庭園で、紅葉がきれいなことでも有名ですが、紅葉の季節以外でもこの見事な日本庭園の美しさを感じることができます。
玄宮園の名前の由来は、この庭園が唐の玄宗皇帝の離宮庭園を参考にして造園されたことにあります。
玄宮園の詳しいお話はまた別の記事でご紹介しますが、特徴の一つが、写真のように彦根城を借景とした庭園であることです。
彦根城自体、一周歩くのもそれなりに時間がかかるぐらいの広さを持っており、その北の一角に玄宮園があるため、とても静かで街中にあるとは思えないほどで、周りを木々で囲まれています。
池のほとりには鳳翔台と名づけられた茶室もあり、その庭先から池をじっくりと眺めるのも良いでしょう。
人懐っこいアヒル!?
玄宮園の入り口の向かい側には彦根城を囲む池堀があるのですが、そこに泳いでいる1羽のアヒル。
池のそばを歩いていると、ゆっくりとこちらに近づいてきて、一緒についてくるではありませんか!なんとも可愛い・・
近づいてみると、逃げもせずに道沿いの岸辺まで寄ってきてくれます!
彦根城を訪れた際は、ぜひこのかわいいアヒルを探してみてください!
2.近江ちゃんぽん
続いて、彦根を訪れた際には必ず食べたいのがこちらの近江ちゃんぽんです。
ちゃんぽんというと長崎ちゃんぽんを思い浮かべますが、こちらの近江ちゃんぽんはベースとなるスープが違います。
写真のように、透き通ったスープは魚介ベースの和風だしから作られていて、麺も中華麺を使っています。
お酢を入れると二度おいしい!
近江ちゃんぽんの食べ方として、まずはそのまま和風だしのスープを味わいながら麺をすすります。
途中から、お酢を適量入れてスープの味を少しとがらせて食べてみましょう。また違った美味しさで、こちらもクセになること間違いなし!
お酢を入れると身体も温まるので、少し肌寒い日などにはぴったりです。
彦根駅の北側(彦根城側)出てすぐの場所にあるのが、近江ちゃんぽん発祥のお店と掲げているちゃんぽん亭です。
昼間もずっと営業しているので、ぜひ一度食べてみてください。
3.石田三成ゆかりの地
三成の居城、佐和山城があった佐和山
これまで井伊氏の名前がたくさん挙がりましたが、江戸時代に入る前、彦根は石田三成の居城である佐和山城があった場所でもあります。
石田三成と言えば関ヶ原の戦いで東軍に敗れた武将ではありますが、その忠義を重んじる人柄であったため、今も彦根市民に愛されている存在でもあります。
佐和山は彦根駅を降り、彦根城に向かう途中にある市役所を東に進むと歩いて10分ほどでふもとに着きます。
ふもとには写真のように、佐和城を復元した模型が置かれています。この模型を見る限り、佐和山城はとても立派で見事な造りだったことが伺い知れます。
三成に過ぎたるものが2つあり。島の左近に佐和山の城
とまで言われるほど、素晴らしいとされた佐和山城。当時の面影を少しでもこの目で見たいという方は、佐和山城址まで登ってみてはいかがでしょう。
ふもとには案内板があり、佐和山城址まで2つのルートがあります。Aコース:3㎞、Bコース:4kmとなっており、簡単な道のりではなさそうですね。。
花しょうぶ通り商店街
彦根城から佐和山と反対方向に歩いて12,3分の場所にある花しょうぶ商店街通り。
彦根市は彦根城の城下町として栄えていましたが、地震や第二次世界大戦の空襲からも免れた場所であったため、今も昔の面影を残す通りや家が多く見られます。
この花しょうぶ商店街通りも、昔の店通りを思わせるような、どこか懐かしい感じの通りになっていて、歩いてその雰囲気を味わうのも楽しいです。
通りの両端にはそれぞれ、石田家と井伊家の石碑が置かれていて、いかに両氏が市民から親しまれているかがわかります。
彦根は、少し入っていくと道がとても狭く作られています。
これは昔、彦根城の城下町を迷路のように入り組ませることで、簡単に城に近づけないようにするために作られたと言われています。
花しょうぶ通りは昔の商店街のような通りだったため、まだ道は広いほうですが、それでも写真のとおり少しこぢんまりとしています。
街頭や店先の看板がどこか懐かしい感じがします。
この通りの面白いところは、十字路が一つもないこと。わざと横道を互い違いに造っているんです。
これも先ほどお話しした通り、道を少しでも複雑に入り組ませることで、彦根城への道を少しでも遠回りにさせるためです。
いかがでしたでしょうか。次回は、ひとり旅にぴったりな彦根の面白いスポットをさらにご紹介します!