カンボジアの世界遺産、プレア・ヴィヒア(Preah Vihear)寺院。「天空の世界遺産」とも呼ばれており、断崖絶壁の上に建てられた神聖な寺院だけでなく、またそこからの絶景の眺めも見どころの世界遺産です。
同じくカンボジアの世界遺産であるアンコール・ワット(アンコール遺跡)とも関連するプレア・ヴィヒア寺院の魅力と見どころをご紹介します!
【世界遺産】カンボジア:プレア・ヴィヒア寺院の紹介
イントロダクション
カンボジアの世界遺産、アンコール・ワットに近いシェムリアップの街から車で片道3~4時間、タイとの国境にある岩山の上に、その寺院は建てられています。
頂上までの道のりはあまりに急な勾配のため、通常の自動車では登りきることができず、二輪バイクか4WDの馬力のある車に乗り換えて頂上を目指します。
登りもそうですが、実は下りの際には思わず立ちすくんでしまうほどの急斜面を、慣れた手つきでカンボジア人のガイドたちは観光客を乗せて上がったり下ったり。
そんな急斜面を上がった先に見えてくるのがカンボジアの世界遺産、プレア・ヴィヒア寺院です。
プレア・ヴィヒア寺院周辺の地理
現在のタイ南部からカンボジア、ベトナムにかけての大陸はその昔、緩やかに台地が隆起してできた場所です。
その隆起した丘陵を、長い年月をかけて水が侵食し、「ビュート」と呼ばれる孤立した岩山が誕生しました。プレア・ヴィヒア寺院はこのようにしてできた岩山の頂上に、アンコール王朝時代に築かれたヒンドゥー教の寺院です。
切り立った崖に造られたことがよく分かるのは、プレア・ヴィヒア寺院の最南端に立った時。まさにその数センチ先は垂直にそびえ立つ岩山の崖であり、その先にははるか彼方まで続いているんじゃないかと思うほど、広大な緑の平原が続いています。
その眺めは思わず息を飲み立ち尽くしてしまうほどの圧巻。この寺院が「天空の世界遺産」と呼ばれることも良く分かります。
このプレア・ヴィヒア寺院はどのようにして誕生したのでしょうか。
【世界遺産】カンボジア:プレア・ヴィヒア寺院の歴史
創建当初(AD9世紀)
世界遺産プレア・ヴィヒア寺院(Preah Vihear)はカンボジアとタイの国境にある、ダンレク山地の切り立った崖の頂上、地上からの高さ625メートルに建てられたヒンドゥー教寺院です。
その創建の歴史ははっきりしていませんが、現在のカンボジアのシェムリ・アップからタイ、そしてラオスにまで勢力を伸ばしたアンコール王朝を802年に興したジャヤヴァルマン2世(JayavarmanⅡ)の治世が始まってから間もなく、9世紀頃と考えられています。
それを紐解く手がかりの1つが、アンコール遺跡から見つかった碑文に記されています。それによると、ジャヤヴァルマン2世の息子とされているインドラユーダ(Indrayudha)がシヴァ神を信仰しており、隣国を攻め滅ぼすなど破竹の勢いで勢力を広げるほど勇敢な戦士でした。
このインドラユーダがシヴァ信仰の苦行を積む為にリンガプラ(Lingapura:現在のラオスのワット・プー。世界遺産。)に赴き、そこでシヴァ神の命を受けたインドラユーダは、リンガの破片を持ち帰ってシーカレシュヴァラ(Shikhareshvara)という場所に新たに祀ったとされています。
このシーカレシュヴァラこそが、現在の世界遺産プレア・ヴィヒアだと考えられているのです。
最盛期(AD11世紀)
9世紀に興ったアンコール王朝は、その後紆余曲折を経て徐々にその勢力を拡大していき、あのアンコール・ワットを築いたスールヤヴァルマン2世(SuryavarmanⅡ)やアンコール・トムのベイヨン寺院を築いたジャヤヴァルマン7世(JayavarmanⅦ)の時代に最盛期を迎えます。
この間、プレア・ヴィヒアはアンコール王朝の支配する領地にあったわけですが、どのように統治・管理されていたかについてはすべてが明確になっていません。現在私たちが見ているプレア・ヴィヒア寺院も、アンコール王朝の特定の王が一代ですべてを創建したわけでは無く、歴代の王たちによって増築を重ねて現在見る規模に至ったと考えられています。
ですが、すべてが謎に包まれているわけでは無く、プレア・ヴィヒア寺院から見つかった碑文で明らかになった歴史もあります。それによると、1,002年からアンコール王朝を統治したスールヤヴァルマン1世(SuryavarmanⅠ)とアンコール・ワットを創建したスールヤヴァルマン2世(SuryavarmanⅡ)の関与が明らかになっており、これらの王の時代に今のプレア・寺院ヴィヒアの姿に繋がる整備がされたと考えられています。
それではこれらの王の時代の、プレア・ヴィヒア寺院とアンコール王朝の関わりを少しご紹介しましょう。
アンコール王とプレア・ヴィヒア寺院の関わり
厚遇されていた僧侶
プレア・ヴィヒア寺院から見つかった碑文によると、当時のアンコール朝における寺院の運営管理と同じように、プレア・ヴィヒア寺院にもその運営維持を行う僧侶が任命されていました。
碑文ではその僧侶の名前も「シュリ・タパスヴィンドラ-パンディータ:Shri Tapasvindra-pandita」と記されています。
アンコール朝において、寺院を司る僧侶には大きな権限が付与されており、寺を維持するための労働力や土地などもすべて僧侶が自由に利用することができる、とされていたほどです。
アンコール王朝の歴代の王たちにとって、自分たちこそがヒンドゥー教の神々から正当な血筋を継承した存在であることを民衆に示すことで、国を一つに束ねてその国力を安定的に強大なものにすることが重要でした。
それを行う上では、民衆から厚い信仰を得ることは必要不可欠であり、その信仰を広げるための場所として寺院と僧侶はとても重要な存在だったのです。
アンコール王朝において僧侶が厚遇されていた背景はここにあると言えるでしょう。
碑文によれば、スールヤヴァルマン王は僧侶に、神聖な蛇の神であるナーガを形どった棒で支えられた金の輿(こし)などの金品を贈ったと記されています。
他の寺院と異なる神聖性
このようにプレア・ヴィヒア寺院も他のヒンドゥー教寺院と同じように運営、管理されていたわけですが、この寺院は他の寺院とは明らかに異なる扱いを受けていたことも分かっています。
碑文によると、プレア・ヴィヒア寺院は「シヴァ神により奇跡が起こされる場所」であり、「シヴァ神と同一と考えられるShri Shikarashvaraを祀る寺院」とされています。
「シヴァ神の所業による奇跡が起こる場所」ということは、それだけこのプレア・ヴィヒア寺院が当時のアンコール朝の王や民衆にとっては特別に神聖な場所であり、その意味で他の寺院とは異なる「格」として扱われていたとも言えるでしょう。
世界遺産のプレア・ヴィヒア寺院が他の寺院とは明らかに異なる存在であることが分かる、その特徴をご紹介します。
【世界遺産】カンボジア:プレア・ヴィヒア寺院の特徴
構造上の特徴
寺院の形状
世界遺産プレア・ヴィヒア寺院を訪れた方ならお分かり頂けるかと思いますが、何といってもプレア・ヴィヒア寺院の特徴はその構造にあります。
アンコール・ワットをはじめとするアンコール遺跡は、基本的には平らな土地に四角形に造られており、その中心にメインとなる宮殿がそびえ立っている、という構図になります。
これはもちろんヒンドゥー教の信仰上の理由から来るもので、中央にそびえる宮殿はヒンドゥー教で世界の中心にあると言われる須弥山(Mt.Meru)を表しており、その周りにある「入海攪拌」(にゅうかいかくはん)のエピソードでもある大海を表すために、濠が周りを取り囲むように張り巡らされています。
アンコール遺跡で最も大きなアンコール・ワットをご覧頂ければ、これがよく実感できると思います。
一方のプレア・ヴィヒア寺院はどうかと言えば、同じくシヴァ神を祀るヒンドゥー教寺院ではありますが、その構造は南北に800メートルにわたって造られており、四角形というよりかは直線系の構造となっています。
構造上の軸
さらに、アンコール遺跡のほとんどが東西を軸として東向き(アンコール・ワットは西向き)に建てられているのに対し、プレア・ヴィヒア寺院は南北を軸として北向きに、ほぼ左右対称の構図で建てられています。
プレア・ヴィヒア寺院には南北に5つの楼門があり、それぞれ「南」から第一、第二、、と番号で呼ばれることが通常(英語では「Gopura」)ですが、参拝のルートとしては「北」の第五楼門から続く道をたどります。
さらに、創建された順番で言えば、一番南側の崖っぷちにある第一楼門が最も初期に造られたものであり、そこから北に拡大していきました。
傾斜も北から南に向かって歩くごとに徐々に高くなる造りになっており、その標高差は120メートルにもなるそうです。
また、それぞれの楼門の先はその手前からは見えない造りになっており、参拝すると少しずつ上がっていく道と共に、楼門をくぐる都度新たな視界が開ける、そんな仕掛けになっています。
この自然を利用した仕掛けによって、参拝する人は徐々にその神聖な雰囲気が高まっている様子を感じることができるようになっているのです。
寺院に占める参道の割合
最初にご紹介した通り、プレア・ヴィヒア寺院は南北に800メートルに伸びる寺院となっており、その大部分がこの参拝道で出来ていることになります。
これもメインが中央に建つ宮殿であるアンコール遺跡とは明らかに違う特徴と言えます。
信仰上の特徴
代々の王により維持されてきた
世界遺産プレア・ヴィヒア寺院の信仰上の特徴として、最も注目すべきなのが、この寺院が歴代のアンコール王朝の王たちによって大切に維持、管理されてきたことです。
「歴代の王が代々大事にするのは当たり前なんじゃ?」
と思われる方もいるかもしれません。ですが、ここアンコール王朝においてはそれはむしろ異例とも言える慣習なのです。
先ほど少しご紹介した通り、歴代のアンコール王朝の王たちは、自分たちの神聖さ、偉大さ、正当さを民衆にアピールすることで民衆の支持と信頼を勝ち取ってきました。
実はアンコール王朝においては代々王の家系が王を継ぐ、ということはなく、どの時代も実力主義による奪い合いにより、勝ち残った者が王となります。このため、新しく王の座についた者はそれまでの王が築いた王宮を捨て、新たな王宮を建設しました。時によっては都ごと遷都することも。
新しい王にしてみれば、それまでの王が使っていた宮殿を利用することは、自分がその王よりも劣っていると受け取られかねません。そのため、歴代の王たちはこぞって立派で壮大な王宮を築き上げたというわけです。
この慣習を考えると、プレア・ヴィヒア寺院もそれを最初に築いた王の一代で廃れてしまうところですが、この寺院だけは歴代の王により何百年にもわたって信仰されてきました。
重要な歴史上の文書を保管する機能を有していた
プレア・ヴィヒア寺院から見つかった碑文によれば、この寺院は「文書を保管する」機能を有していた場所であったと記されています。
なぜそのような機能を有していたのか-。
ここからはあくまでも想像からの推測にすぎませんが、先ほどからお話ししている通り、歴代の王にとって自分の正当性を証明することが何よりも重要なことでした。
それを示すために、歴代の王たちは自分の家系や血筋を記した記録を残していたと言います。
王が変わることで都や宮殿の場所がコロコロ変わる王朝では、その歴史を正確に記録することは困難です。そこで、王が変わっても神聖な場所として変わらずに信仰される場所として、プレア・ヴィヒア寺院の存在は歴代の王たちにとっても大きなものだったでしょう。
そして、そこに文書を保管することでその正当性や神聖性が担保されたのではないでしょうか。
いかがでしょうか。プレア・ヴィヒア寺院の特徴を理解すれば、いかにこの寺院が特別な存在だったかを分かって頂けるかと思います。
【世界遺産】カンボジア:プレア・ヴィヒア寺院の見どころ
それでは簡単に、世界遺産プレア・ヴィヒア寺院の見どころをいくつかご紹介しましょう。
美しい砂岩で造られた寺院
アンコール遺跡を観た後にプレア・ヴィヒア寺院を訪れると、少し物足りなさを感じてしまうかもしれません。というのも、建物の装飾はさほど凝っておらず、比較的シンプルな造りになっているからです。
ですが、だからこそ、より一層その材料である砂岩の美しさや、建物全体の格調高い雰囲気が伝わってきます。
プレア・ヴィヒア寺院は切り立った崖の上にあるため、寺院を造る材料になる岩石などの運搬も大変だったのでは?と思うかもしれません。
ですが、材料に関して言えばプレア・ヴィヒア寺院は他のアンコール遺跡ほど苦労はなかったようです。というのも、この寺院が立っている岩山が砂岩の層で出来たものだからです。
ですので、プレア・ヴィヒア寺院はすぐ足元に寺院を造る材料があったと言えます。そしてそれを示すように、すぐ近くには採掘場の跡も見つかっています。
各楼門の見どころ
第五楼門
まず最初に見えてくるのが第五楼門になります。この楼門の特徴は、建物が覆われておらず野風にさらされた吹きっさらしの構造になっていることです。
これはアンコール遺跡の建築でもあまり見られない造りとなっています。
第四、第三楼門
続いての2つの楼門はどちらも十字形の形をしています。第四楼門にはアンコール遺跡でもおなじみの「入海攪拌」や「ヴィシュヌ神の眠り(Cosmic Sleep)」などの彫刻を観ることができます。
また、第三楼門は東西に建てられた「小屋」の真ん中に造られています。この東西の「小屋」に関しては何の用途に用いられていたかははっきりしていません。おそらく、食糧の保管庫か、または巡礼者の滞在する場所であったと考えられています。
第二、第一楼門
最も南側の切り立った崖のすぐ手前にあるのが、第一、第二楼門です。
第二楼門には2つの「経蔵」が建てられていますが、この寺院全体の軸からやや西側にずれて造られているのが特徴です。
また、第一楼門はアンコール遺跡でもあまり見られない、建物全体を取り囲む回廊が設けられています。回廊の外側には2つの建物が残されていますが、こちらも何のための建物かは分かっていません。
プレア・ヴィヒア寺院が世界遺産に登録された理由と課題
世界遺産に登録された理由
いかがでしたでしょうか。プレア・ヴィヒア寺院の魅力が少しでも伝わっていれば幸いです。
最後に、この寺院が世界遺産に登録された理由を考えてみましょう。筆者は大きく次の2点にあると考えています。
・切り立った岩山の頂上に造られた寺院であり、その自然を見事に利用したヒンドゥー教寺院建築の傑作である。
・アンコール遺跡とは異なる信仰、慣習の存在を示す遺跡であること。
やはり何といってもこの寺院が建てられた場所が特に大きな理由と言えるでしょう。特別な場所に建てられたからこそ、より神聖な場所として信仰され、またその独特な立地条件だからこそ、寺院建築や伽藍形式にも他には見られない特徴が多く見られるのが、このプレア・ヴィヒア寺院の魅力と言えます。
今も残る課題
このプレア・ヴィヒア寺院はちょうどカンボジアとタイの国境に存在している寺院ということもあり、特に20世紀に入ってからたびたびタイとカンボジアの間で領有権が争われてきた場所でもあります。
そして、2008年にこの寺院が世界遺産に登録された際には、タイ側での反発が高まり、残念なことに両国の衝突により死者が出る惨事を引き起こすことにもなってしまいました。
この課題についてはまた別の記事で詳細を取り上げますが、本来は世界平和のために造られた世界遺産という取り組みが、このような不幸を生み出すきっかけとなってしまったことはとても悲しいことでもあります。
筆者がこの場所を訪れた際にも、カンボジアの軍隊と思われる隊員たちが数名常駐している状況でした。
少しアクセスしにくい場所にありますが、たくさんの魅力が詰まったプレア・ヴィヒア寺院。ぜひ皆さんも訪れた際にはその魅力を感じるとともに、現在の私たちが抱えている課題についても向き合ってみてください!
(参考:「Temple in the Clouds」John Burgess, River books)