【事実?伝説?】法隆寺に伝わる七不思議とは!?世界遺産のミステリーに迫る!

奈良の世界遺産、法隆寺。世界最古の木造建築として有名なこのお寺は、その長い歴史から未だに解明されていない謎も数多く残されています。
そんな法隆寺に伝わる七不思議があるのをご存知でしょうか。不思議があるからこそその魅力も一段と増すもの。
知ると訪れて確かめたくなる、世界遺産法隆寺の七不思議を詳しくご紹介します!

【世界遺産】法隆寺に伝わる七不思議

それでは早速、法隆寺に伝わる七不思議をご紹介しましょう。まずは広く知られている七不思議から。

法隆寺の七不思議①:法隆寺には蜘蛛(クモ)が巣をかけない

法隆寺の神秘的な雰囲気がなせる業でしょうか、法隆寺の中では蜘蛛(クモ)が巣をかけないと言われています。

蜘蛛が巣を張るのは木の枝や建物内の壁の四隅というイメージがありますが、ぜひ法隆寺を訪れた時にはこのような場所にも目を配ってみてください。

実際はどうなのでしょうか。
結論から先に言うと、これまで蜘蛛の巣は確認されたことがあるということなので、言い伝えということになります。

法隆寺の七不思議②:南大門の前に置かれた鯛石

南大門前に置かれた鯛石

法隆寺を訪れる時、たいていは南側の南大門から入ることになりますが、その南大門前の石段の手前に一際目立つ石があります。
周りの石は四角形なのに、この石だけはいびつな形をしており、その形は良く見ると魚のよう。そこから「鯛石」という名前が付けられています。

その昔、大和川の氾濫により法隆寺を含む奈良盆地に洪水が発生しても、不思議とこの鯛石より先に水が押し寄せることが無かったと言われています。そのため、この鯛石を踏むと水難を免れるとも言われています。

こちらは写真が示すように実在する石なので、ぜひその目でお確かめください。

鯛石とキトラ古墳を結ぶ不思議なつながり

上の写真を見ると分かるように、鯛石は南大門前のほぼ中央に置かれています。南大門の目の前の、しかも参道の中央に埋め込まれていることから、鯛石は何か重要な意味を込められて意図的にこの場所に置かれたものと考えられます。

その手がかりの1つに、キトラ古墳との不思議なつながりがあるのです。

法隆寺は長きに渡って再建説と非再建説の2つの論争が繰り広げられてきましたが、若草伽藍跡が発見されたことで、現在の法隆寺は火災で焼失した後に再建されたものであるという再建説が定説となっています。

もともとあった若草伽藍は、現在の法隆寺の伽藍と軸が少しずれていたことが分かっています。
(詳しく知りたい方は、こちらの記事をご参照ください。)

鯛石から、この若草伽藍の軸と平行に線を延ばしていくと、なんとキトラ古墳に行きつくのです。
何とも不思議な話ですが、これはもちろん何らかの意味があるものと考えられており、キトラ古墳に埋葬されていた人物に仏教の加護を与えるためではないかとも考えられています。

キトラ古墳の埋葬者も、誰が埋葬されたのか実ははっきりしたことは分かっていません。
鯛石とキトラ古墳の関係も含めて、まだまだ法隆寺には謎が多いです。

法隆寺の七不思議③:五重塔の上に鎌がかけられている

法隆寺に伝わる3つ目の七不思議、それは五重塔の上になぜか鎌がかけられていること。
上の写真で少し分かりにくいですが、鎌が2つ両端から出ており手前側に1つの鎌を確認することができます。

五重塔には4つの鎌がかけられているのですが、建築学上も優れた建造物である五重塔の上に、何とも雑に鎌がかけられているのは何とも不思議ですよね。

なぜ五重塔の上にこのように鎌がかけられているのか、説としては2つ考えられています。

1つ目は、落雷避け。再建説が定説となり、その昔一度焼失した法隆寺を考えると、落雷による焼失は当然に対策を考えないといけないものです。五重塔の鎌は、落雷を避けるために設置されたものではないかというのは最もらしいですよね。

2つ目は、信仰的な理由によるもの。五重塔はいわゆるストゥーパ(仏塔)が変形したものですが、その高くそびえる姿、形から魂が上へと上がっていく流れのようなものがあると考えられていました。
五重塔にかけられた鎌は、その上へと昇る流れを塞いで押しとどめる役割を果たしているのではないか、ということです。

それではなぜそのように押しとどめておく必要があったのでしょうか。それには、五重塔や金堂を含む西院伽藍は何のために創建されたのかを知る必要があります。

手短にお話しすると、聖徳太子の魂が心安らかに眠るように祈願して創建されたものと考えられています。
聖徳太子が亡くなった後、斑鳩宮に住んでいた太子の王子である山背大兄王一族は蘇我入鹿により攻め入られて焼き払われ、山背大兄王一族は法隆寺で自決しました。

一族を皆殺しにされた聖徳太子とその一族の怨念を恐れた人々が、その魂の鎮静化と心安らかに眠るよう祈願をこめて西院伽藍が創建されたと考えられています。いわゆる太子信仰の始まりとも言えるかもしれません。

五重塔の鎌は、聖徳太子とその一族の怨念が西院伽藍から外に出ないよう、その流れを塞ぐためにかけられていたとも考えられているのです。

法隆寺の七不思議④:不思議な伏蔵がある

法隆寺の七不思議、4つ目は西院伽藍の中庭に不思議な伏蔵があるというもの。

金堂の北東角、経蔵の中と廻廊の南西角、五重塔の前あたりに3つの石の蓋があり、その中に隠れた蔵が設けられていて、その蔵の中には様々な財物が保管されていると言われています。

これは仏法が滅びた時に中に保管したものを使うように、と聖徳太子が言い残して中に財物を保管しておくよう指示したものではないかと考えられています。仏法が滅びた時には有用になる財物なので、法隆寺の秘仏と言えるかもしれません。

このような言い伝えが残されているのは、歴史のロマンを感じますね。

法隆寺の七不思議⑤:法隆寺の蛙(カエル)には片目が無い

法隆寺5つ目の七不思議は何とも不思議なもので、法隆寺に住み着いている蛙には片目がなぜか失われているというもの。

法隆寺の西院と東院を結ぶ参道は両端を塀で囲まれていますが、その先に因可池(よるかのいけ)という池があります。その因可池に住む蛙にはなぜか片目が無いそうです。

伝説では、その昔瞑想や勉強にふけっていた聖徳太子が因可池から聞こえてくる蛙の鳴き声に悩まされ、池に向かって筆を投げたところ、運悪く蛙の片目に当たってしまい、それ以来そこに住む蛙には片目が無くなってしまったのだとか。

もちろんそんなことは無く、因可池の蛙にもちゃんと両目がそろっていることは確認されているので、こちらも言い伝えの1つということになります。

法隆寺の七不思議⑥:夢殿の礼盤の下が汗をかいている

法隆寺6つ目の七不思議は、夢殿の礼盤(お坊さんがお経を唱えるために座る台座)の下がなぜか常に汗をかいている、というもの。

こちらは想像がつく方もいらっしゃるかと思いますが、汗と言うのは結露による水滴のことではないかと考えられています。

それにしても、実際にお坊さんが座られる礼盤の下が結露にせよ水滴が付いているのは何とも不思議な話ですよね。それを”汗”と考えるのもの納得です。

法隆寺の七不思議⑦:雨だれが穴を開けるべき地面の石に穴が開かない

法隆寺最後の七不思議は、最初の七不思議と一緒で法隆寺の神秘な一面を教えてくれるもので、法隆寺の石にはなぜか雨だれによる穴が開いていないというもの。

世界最古の木造建築である法隆寺ですから、その歴史は1,000年以上にも及びます。そんな長期間、雨にさらされた石ですから雨だれによる穴が開いていないというのは何とも不思議です。

こちらも実際に穴の開いた石は確認されていることから、言い伝えの1つということになります。

 

いかがでしたでしょうか。
ご紹介した通り、明らかに事実ではないと判明しているのは、
①法隆寺には蜘蛛(クモ)が巣をかけない
⑤法隆寺の蛙(カエル)には片目がない
⑦雨だれが穴を開けるべき地面の石に穴が開かない
の3つのみ。

実際に確認できる七不思議もあるので、ぜひ法隆寺を訪れた時には七不思議にも注目してみてください!

法隆寺の若草伽藍発掘に関する七不思議

法隆寺に伝わる七不思議は一通りご紹介しましたが、実はこれ以外にも別の七不思議があるのをご存知でしょうか。それは先ほど少し触れた、法隆寺の創建に関わる七不思議です。

そちらもご紹介しましょう。

法隆寺、若草伽藍発掘の七不思議①:中門中央に設置された柱

出典:Pixta

法隆寺の西院伽藍の入口に造られた中門。上の写真をご覧いただくと分かるように、両端に金剛力士像が置かれ、真ん中の2つが入口となっている、間口が4間の造りとなっています。

実はこの4間、建築上はあり得ない構造なんです。というのも、通常は3間や5間といった奇数性が普通で、奇数性の間口の場合ちょうど中央に柱が置かれない構造になるので、人の出入りがしやすくなります。

それが、法隆寺の中門のように4間となると、門の中央に柱を置く必要があるので、人の出入りがしにくい造りになってしまうのです。

法隆寺の中門がなぜこのような間口4間の造りになっているのか、大きな謎の1つとされていますが、考えられる理由はずばり、中門はそもそも入口として造られたものでは無かった、ということ。

先ほどの五重塔の鎌の七不思議でお話しした通り、西院伽藍は聖徳太子とその一族の魂を鎮めることを祈願して創建されたと考えられており、その魂をこの中に封じ込める意図があったと考えられています。

そうであれば、中門も西院伽藍の出入り口というよりは、魂を封じ込める区間を作る区切りであって、またその目的があるのであればあえて中央に柱を置くことにも理にかなっていると言えるでしょう。

法隆寺、若草伽藍発掘の七不思議②:金堂と五重塔に造られた裳階

法隆寺、若草伽藍発掘に関する七不思議の2つ目は、金堂と五重塔に設けられた裳階(もこし)の存在です。

上の写真をご覧いただくと、金堂は3階建ての建物のように見えますが、一番下の屋根は裳階と呼ばれる構造物で、こちらは屋根ではありません。

この裳階は薬師寺でも観ることができ、建築の歴史上8世紀の初期の建築様式であると考えられています。とすると、7世紀の聖徳太子の時代に創建された金堂や五重塔に裳階がある説明が付きません。この時代にはまだ裳階は存在していなかったと考えられているからです。

さすがに世界最古の木造建築だけあり、建築上の謎がまだまだ多いのも法隆寺のミステリアスな魅力に一役買っていますね。

法隆寺、若草伽藍発掘の七不思議③:中門、講堂中軸線の食い違い

こちらの図は西院伽藍の伽藍配置図です。ご覧の通り、一番下の中門の中心は、金堂と五重塔の中央を通っています。

ですが、西院伽藍と東院伽藍をご紹介した記事でも記載した通り、西院伽藍の構造は厳密には左右対称にはなっておらず、そのため中門の中央と一番上の講堂の中央は一致していません。

現在の講堂は間口9間なので、偶数の4間の間口を持つ中門とは中央軸がずれてしまいます。
なぜこのような食い違いが起こっているのか、謎の1つとされてきましたが、最近の研究では現在の講堂は解体工事後のものであり、解体工事前の講堂は間口8間だったことが判明しています。

間口8間の解体前の講堂だと、中門の中央線と講堂の中央線がぴたり一致します。

法隆寺、若草伽藍発掘の七不思議④:五重塔の四天柱礎石の火葬骨

法隆寺、若草伽藍発掘の七不思議4つ目は、五重塔の東北隅の柱の穴から火葬された人骨が見つかりましたが、この人骨が誰の物かは分かっていません。

また、この火葬された骨が火葬による埋葬なのか、焼失によるものなのかというのもはっきりしていません。このように説が分かれてしまう理由として、東北という方角が鬼門に当たることが挙げられます。

あえて鬼門である方角に火葬された骨を埋めたのか、それとも他の理由によるものなのか-。謎は多いです。

法隆寺、若草伽藍発掘の七不思議⑤:伏蔵

こちらは先ほどの七不思議の④でご紹介した、「不思議な伏蔵がある」と同様なので割愛させて頂きます。

法隆寺、若草伽藍発掘の七不思議⑥:五重塔心礎舎利器に舎利が無い

法隆寺、若草伽藍発掘に関する七不思議の6つ目は、五重塔の仏舎利に関する謎です。
五重塔はストゥーパ(仏塔)と呼ばれるものであり、仏陀の遺骨などが納められています。

法隆寺の五重塔も例外なく、鎌倉時代の「聖徳太子伝私記」によれば仏舎利が6粒、髻髪6毛が納められていると記載されていますが、その後大正時代にはこれらの仏舎利が無くなっていることが確認されています。

いつ、なぜ仏舎利が無くなってしまったのかは謎に包まれたままです。

法隆寺、若草伽藍発掘の七不思議⑦:若草伽藍の心礎

さて、最後にご紹介する七不思議は若草伽藍のベースとなる心礎が地面の上に出ていること。

通常、伽藍の心礎は地中に埋まっているものですが、なぜか法隆寺に残る若草伽藍の心礎は地面の上に出ています。

この謎を解くカギは案外単純で、誰かが地中から一度持ち去った後に再びこの場所に戻したものの、元ある場所が分からなくなったため、地上に放置されたものがそのまま残ったのではないか、ということです。

 

いかがでしたでしょうか。歴史が長い建築物には謎も多く残されているものですが、世界遺産の法隆寺もこのような七不思議が言い伝えられているのは面白いですよね。

この七不思議に限らず、法隆寺には他にもまだまだ謎が多く残されていますので、皆さんもぜひ法隆寺の謎を見つけたら教えてください!

(参考:「キトラ 高松塚の軸線 法隆寺コード」野田 正治 三弥井書店)

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